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オンワード樫山の本選考ES(エントリーシート)一覧(全6件)

株式会社オンワード樫山の本選考における、エントリーシートで出題された設問とそれに対する先輩の実際の回答を公開しています。卒年や職種による設問の違いや傾向をつかむために、詳細ページにて全文を確認し、選考対策に役立ててください。

オンワード樫山の 本選考の通過エントリーシート

6件中6件表示
男性 20卒 | 神戸大学 | 女性
Q. 学業、ゼミ、研究室などで取り組んだ内容。
A.
大学では現代ヨーロッパのキリスト教文化、西洋美術について学んでいます。宗教にあまり馴染みが無いからこそ、聖書のストーリーや信仰する習慣などに関心がありました。ベルギーに交換留学中、西洋美術史の授業を受けて絵画分析の奥深さに非常に興味を持ちました。西洋美術では宗教画もたくさん描かれているのでキリスト教に関する知識は美術史の勉強に役立ちました。またベルギーでは数々の著名な画家を輩出しているため、実際に美術館へ足を運び彼らの作品に触れたことでフランドル美術に興味を持ちました。フランドル美術はイタリアのルネサンスと同時代である15世紀に現在のオランダやベルギーにあたる地方で発展した美術です。ヤン・ファン・エイクはその先駆者の一人であり、油彩技術を発明したことで絵画のより正確な表現や長期間の保存を可能にし、当時の絵画の発展に大きく貢献しました。彼の作品は多く残りますが生い立ちや師弟関係など未だ解明されていない点が多くあります。その謎の多さや、独特な雰囲気を放つ絵画に惹かれヤン・ファン・エイクに興味を持ったため、現在は卒業論文のために彼が他の画家へ与えた技法や作風などの影響や彼の絵画について研究しています。 続きを読む
Q. 自己PRをお答えください。
A.
私は目標を達成するために困難なことに対しても粘り強く努力できる人間です。1年間ベルギーで交換留学した際、語学のハンディキャップを乗り越え、一緒に受講した日本人学生半分が脱落した授業もある中で私は受講した授業の単位を全て取るという目標を達成しました。大学はベルギートップの大学で毎週の課題も多く、英語が完璧でなく専門知識も浅かった私は授業中ノートを取ることで精一杯でした。そこでまず語学面の強化のため、日々の単語勉強に加え毎日英語動画を英語字幕で観ました。また日本人が多く意識しなければ日本語で生活できた環境の中、耳を慣らすため積極的に他の留学生と英語で会話する機会を得ました。そして授業後は分からなかった部分を録音した音声を聞いて理解し、曜日ごとにやることを決めて計画的に課題と試験勉強を進めました。それでも高度な語彙や文献の多さに投げ出したくなることもあり、ある授業では一緒に受けた友人の半分が課題提出や試験の受験あきらめました。しかしそれまでの勉強をあきらめたくなく、留学を楽しいだけに終わらせず結果を残したいという思いから最後までやり抜いた結果、受講した9つすべての単位を取得できました。 続きを読む
Q. 学生時代に最も打ち込んだことをお答え下さい
A.
100人規模の留学生支援団体の運営です。私は大学の留学生が日本人学生と交流できるイベントを企画する大学公認の団体に所属し、2年次に総務の一員として1年間運営に携わりました。1年の時、団体をより留学生に役立ち求められる存在にしていきたいと思い自ら総務に立候補しました。総務就任後団体としての方向性が定まらず、「留学生支援とは何か」について総務内で揉めることがありました。そこで留学生目線になって考え何度も議論を繰り返し、またイベントの参加者アンケートを見直して留学生にヒアリングも行いました。そこから日本人と友達になりにくいと悩む留学生が多いことが分かり、その後も続く関係を築けるようなイベントを企画していくことに決めました。具体的には、例えば紅葉狩りでは今まで当日にグループを発表していたのに対し事前にグループを分けその班でプランを考える形にしました。また月に一度小規模のイベントを開催して留学生が気軽に参加できる機会を増やし、私たちに親しみを持ってもらい安心できる家のような存在を目指しました。その結果、イベントに何度も来てくれる学生が増えたように感じ、実際にイベントの全体的な満足度も上がりました。 続きを読む
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公開日:2019年7月24日
男性 18卒 | 同志社大学 | 女性
Q. 学業、ゼミ、研究室などで取り組んだ内容
A.
【語学力の向上】初めての留学では、周囲の話すことが全く理解できずに挫折を経験しました。帰国後は毎朝5時に起床 し、登校までの時間は毎朝必ず語学に向き合う時間を設け、それ以外に1日70個以上の単語を覚えました。すると大学入 学時に290点だったTOEICを860点に向上させ、HSK一級も取得することが出来ました。この経験から高い目標も、諦め ずに適切なステップを踏むことによって叶られることを学びました。 続きを読む
Q. 自己 PR
A.
【私は黒子です。】アルバイト先の現在訪日旅行会社で私は、アジア11カ国から来日なさる方々を電話やメールでサポート する担当です。お客様のお顔を直接見てサービスは出来ませんが、だからこそ大切にしていることは限られた情報源から” よく観察”し、”気付きを行動に移す”ことです。例えば、電話の会話から特別な記念日のご旅行だと気がつけた時には、 お客様が予定しているレストランにお祝いしていただけるようお願いするなどの工夫をします。また、ご出身の国や文化に よるお客様の好みの傾向を勉強するなど必要な知識を持ってご相談にのることも心がけております。その結果感謝のお手紙 や、「また日本に行きたいからあなたが手伝って」といった嬉しいお言葉を頂くようになりました。このように、お客さま からは見えない裏側にいる時こそ黒子としてアンテナを張り巡らせ、全力を出して向き合ってサービスするホスピタリティ の心を大切にしております。 続きを読む
Q. 学生時代に最も打ち込んだこと
A.
【女子硬式テニス部での活動】高校生の私達が掲げていた目標は、大阪府大会の団体戦に出場することです。モチベーションが低い部員や休みがちな部員がいる問題を解決するためにキャプテンとして私が大切にした事は、部員の話しをよく聞き、行動に移す事です。例えば、その日一番頑張っていた部員を名指しで褒める「今日のエース」という仕組みを作ったところ、皆のモチベーションが向上しただけでなく、互いに興味を持ち合うようになりました。また、部活動に並行して塾に通う部員も参加しやすい練習時間設定を心がけたところ、全員が共有出来る練習時間が増えてチームの一体感が高まりました。こうした取り組みを続けることで深い信頼関係を築いてゆく様子を強実感でき、掲げていた目標を達成することが出来ました。この経験を通して、相手の立場に立ち、心を1つにすることで大きな力を発揮でき、高い目標を達成できるということを学びました。 続きを読む
Q. 学生時代で一番困難だったことはどんなことですか?またそれをどうやって乗り越えましたか?
A.
【ロサンゼルスの病院で男の子と時間を共にした経験】昨年留学先のUCLAで所属していたボランティアサークルでは、現地の学生と一緒に小学 校や孤児院、病院などを訪問する活動を行っておりました。ロサンゼルス病院で出会ったある男の子は、大変大人しく、他の子どもたちが集ま る輪に参加できない様子でした。私は仲良くなろうと彼に積極的に話しかけましたが、心の距離は簡単には縮まりませんでした。彼との接し方 に戸惑い、思い悩んだ時に、私が大切にしていたのは「相手は鏡」という母がよく遣う言葉です。曇ったままの彼の表情は私のアプローチが最 善ではないことを映していると考え、私はただ単に話しかけるのではなくそっと寄り添ったり無理に賑やかな輪への参加を勧めぬよう気をつけ ました。また、私の帰国後も友達に囲まれて欲しいという思いから、仲良くなった後には彼と一緒に多くの子どもが集まるスペースに足を運 び、他の子どもとコミュニケーションをとるきっかけ作りができるよう努力しました。このように悩みながらも、根気よく彼に向き合うことで 段々と仲良くなることが出来、最後には彼の方から話しかけてくれるようになっただけではなく、子どもたちの輪から大きな笑い声を聞かせて くれるようになりました。この経験から相手が本当に求めているものは何か、真剣に考える姿勢を身に着けました。こうした姿勢を活かして貴 社でも、お客さまは当然のこと、共に働く仲間の声にならない声をもキャッチできるようアンテナを張り巡らせ、創意工夫を重ねます。 続きを読む
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公開日:2017年9月16日
男性 18卒 | 立教大学 | 女性
Q. 自己PRをしてください(400字)
A.
企画力と行動力があります。学生時代は組織の先頭に立って動くことが多く、又面白そうだと感じたことは周囲と共有したいという思いもあり、様々な企画を行ってきました。中でも印象に残っているのが、大学時代の国際交流ボランティアでの活動です。日本に来た留学生をサポートすることが主な仕事でした。私は親交を深めようと努めましたが、メールだけのやり取りではなかなか相手との距離は縮まりません。そこで同じ悩みを抱えていた5人と共に、留学生とボランティアが交流できるレクリエーションを企画しました。私は、皆が個性を生かし、尚且つ楽しく準備できる環境づくりを心掛けました。100人規模で行われたこの会は成功し、留学生との親交も深めることができました。私は常にアンテナを張り、興味を持ったことには飛び込み、時には他人を巻き込みながら自己成長を遂げてきました。これらの力を生かして常にチャレンジし続ける社会人になりたいです。 続きを読む
Q. 学生時代に力を入れて取り組んだ事は何ですか(400字)
A.
バスケットボールサークルの女子代表として、女子の参加率向上に尽力しました。私のサークルには女子が24人所属していましたが、女子の普段の平均練習参加率は2~3人で、女子のみで試合ができないことが課題でした。参加率の悪いメンバーに参加しない理由を聞いてみると、「バスケがあまり得意ではない」「行かなくなってからますます行きづらくなった」という意見が挙げられました。この意見から、参加率が上がらないのはサークルの参加率が高いメンバーを中心に“内輪感”が出てしまっていたことが原因だと分析し、サークルの主活動とは全く関係のない、某ランイベントに参加する企画を立てました。この他にも学年旅行等、メンバーが親交を深められる機会を作っていきました。この結果、徐々に練習の参加人数は増加し、現在は女子のみで試合ができるまでに参加率は向上しています。この経験から、相手の立場から問題を分析する事の大切さを学びました。 続きを読む
Q. 学生時代に最も困難だったこと、それをどう乗り越えたか(800字)
A.
高校時代のハンドボール部での部員の意志統率です。私は部長として、同期19人、全体で50人程の部員をまとめることに尽力しました。なかでも最も苦労したことは、引退試合前の同期部員の意志統率です。レギュラーメンバーとサブメンバーの練習意欲の差が引退試合を目前にして顕著になってしまったことが課題でした。このままの状態で引退してしまえば、私にも、皆の心にも後悔が残ってしまうと危機感を感じ、幹部のメンバーと解決策を何度も何度も話し合いました。私自身は、部員と共に活動していくなかで、皆の部活動での達成目標が“試合に出ること”に集中してしまっている為、試合に出る機会が少ないメンバーの士気が下がってしまっているのではないかと分析しました。部活は、レギュラーメンバーだけで成り立つものではありません。それぞれの個性があり、それが生かせる場所が必ず存在しています。その個性が集まってこそ、組織として大きな力を生み出せると私は考えていました。そこで私は、それぞれのアイデンティティを確立することで部員の意思統率を図ろうと考えました。具体的には、練習内外で、常に視野を広く保ち、部員の些細な行動や心情の変化にも対応し、声掛けをするように心掛けました。この活動を幹部の皆にも共有していくことで、部活動全体に広めていきました。この結果、部活動内での目標が“試合に出ること”だけでなく“それぞれの役割を全うすること”にも広がり、組織がそれぞれの個性を発揮できる環境へと変化していきました。それ以降は、部員の練習への意欲も向上し、皆が皆を思いながら活動しているという実感をしながら練習に励んでいたことを今でも覚えています。この体験から、組織の先頭に立つ上で重要なことは、組織のメンバーの個性の一番の理解者であること、その個性を生かせる環境づくりに尽力することであると分かりました。 続きを読む
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公開日:2017年9月14日
男性 17卒 | 関西学院大学 | 女性
Q. ダブルスクール経験もしくは留学経験などはありますか?/全角100文字以内
A.
2014年5月~8月の間、カナダに留学しました。 続きを読む
Q. 語学資格(TOEIC/TOEFL/英検など)はお持ちですか? /全角100文字以内
A.
TOEIC810点 続きを読む
Q. 学生時代で一番困難だったことはどんなことですか? また、それをどうやって乗り越えましたか?800文字 (最小100文字)
A.
母校の器械体操部で指導をおこなうアルバイトでは、後輩からの一言で自分の指導方法の欠点に気付き、それを改善するために私の一番の強みである粘り強さを活かして、困難なことも投げ出さずに挑戦しました。指導者としてチームを牽引する立場になるのは初めてでしたが、約11年間器械体操に打ち込んだ自身の経歴から私は自分の指導方法に自信を持っていました。しかし、ある時後輩に指導方法を変えてほしいと言われ、それまでただ一方的に練習メニューを押し付けていただけだと気が付きました。自分のふがいなさを悔しく思いこのまま諦めることはできないと思った私は、自分なりに改善方法を模索し試行錯誤を重ね、指導方法を変えていきました。まずは相互理解を深めるために定期的に後輩と話し合う時間を作って一人ひとりの要望を聞くようにし、その要望を叶えるために効果的な練習メニューを自らの経験に基づいて考えることを実行しました。また、自主性を大切にするために敢えて指導しない自由時間を設ける工夫もしました。この目的としては、後輩たちが自ら練習計画をたて、自分がやりたいことを自らの力でやり遂げたときの喜びや達成感を通じて器械体操をする楽しさを感じてもらうためです。この練習方法ができあがるまで、後輩と何度もコミュニケーションを取り悪い点を少しずつ改善していき、最終的にこの形の練習方法を定着させることができました。このように、新しい指導方法に取り組むときは、後輩と意見を交わして再び自分の価値観の押し付けになっていないか確かめることを常に意識しました。このような努力を続けていくうちに、徐々に後輩たちが以前より意見や要望を言ってくれるようになり、最終的に全部員が納得する指導方法に変えることができました。この経験を通して、ずっと周りを巻き込むことから逃げていた私は大きく成長でき、人を巻き込んで行動することへの苦手意識がなくなりました。 続きを読む
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公開日:2016年9月5日
男性 16卒 | 早稲田大学 | 女性
Q. 学生時代で一番困難だったことはどんなことですか?また、それをどうやって乗り越えましたか?800
A.
私が学生時代に困難だったことは中学と高校で所属していた部活が存続の危機に陥ったことです。私はハンドベルという楽器を演奏する部活に所属していました。ハンドベルはチームワークがとても重要な楽器です。なぜならハンドベルは10人のチームで音を振り分けてから全員で音を合わせて演奏するからです。そんなチームワークが重要な部活でチームワークの崩壊が起こりました。きっかけは部員が突然1人辞めてしまったことです。辞めた部員は毎日放課後にある練習が受験勉強に支障をきたすという理由で退部しました。すると退部した部員に便乗して自分も辞めたいという部員が3人も出てきてしまいました。3人も辞めてしまうと部員は6人となりハンドベルの演奏は成立しません。長い間一緒に部活をしていた仲間だったので6人は3人に裏切られた気持ちでした。そして部員同士全く口を聞かなくなってしまったのです。私もこの状況に落ち込みました。しかし今まで築き上げたチームワークを失うのは悔しいとも思っていました。そこで私は3人の本意を聞き出すために1人ずつと対話しました。そこで3人はハンドベルが嫌いになったわけではないということが分かりました。ただ受験勉強の時間を削ってまで部活に放課後の時間を取られるのがストレスに感じていたのです。私はこの意見から朝に部活をやるという案を考えました。朝は受験勉強が大変な部員も空いていたからです。朝に部活をしてみると部員は部活本来の楽しさを思い出していきました。そして部員全員が自然に会話するようになり部活を復活することができたのです。私はこの経験から2つのことを学びました。1つ目は問題が起きた時は冷静になって解決策を考えることが大切だということです。2つ目は話しにくい相手でもこちらが真摯に向き合えば心を開いてくれるということです。私はこの経験を生かして問題発生した時に頼られる存在になりたいと思います。 続きを読む
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公開日:2015年12月21日
男性 16卒 | 早稲田大学 | 女性
Q. ダブルスクール経験もしくは留学経験などはありますか?100文字。
A.
特になし 続きを読む
Q. 語学資格は御持ちですか?100文字。
A.
TOEICスコア925、実用英語技能検定準一級 続きを読む
Q. 学生時代で一番困難だったこはどんなことですか?またそれはどうやって乗り越えましたか?800文字。
A.
サークルの役職で初めて担当した幹部引退パーティーの企画にあたり、一つの大きな課題の解決を試みた事です。その課題とは下級生の参加率の低さです。これは例年のことであり、原因は主役である上級生達のために企画していたパーティーも、下級生にとっては参加してもただドレスアップした上級生が楽しんでいる様子を眺めているだけのように感じる点にありました。今までイベントの準備に時間を取られ、課題にまで手が回らず黙認されていました。しかし、これからのサークルを考えてイベントをより一層盛り上げるためにも変化が必要なのだと思い、私はこの課題に挑戦しました。まず、50人いる下級生の参加率を10%から60%以上までに引き上げることを目標とし、上級生が残してくれたマニュアルも改変して下級生も楽しめるような内容へ変更する事にしました。私は他の役職にも掛け合いアイデアを募ろうとしましたが、皆もその課題については黙認する姿勢でいたようで説得には骨が折れました。サークルをより盛り上げるためだと強く説得すると同期は納得し、0からアイデアを出し合いました。結果、例年の下級生の私服参加から、華やかなドレスコードの設定と、あまり交流がない上級生との会話を増やすため学年混合でチームを組み、景品を勝ち取るチーム対抗のクイズやゲームなどを企画しました。参加者を募る段階でも、イベントの告知時から新しい内容とその楽しさを下級生との直接の会話の中で何度も伝えました。準備と並行して一人一人と向き合って話すのは心身共に厳しいものでしたが、その結果下級生の80%が参加し、イベントは大盛況に終わりました。この課題を乗り越えられたのは、長年黙認されていたにも関わらず失敗を恐れず挑戦し、下級生の視点に立って考えたからでもありますが、1番は同期と一緒に、イベントを盛り上げるために一丸となって協力し合えたおかげでした。 続きを読む
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公開日:2015年12月21日
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オンワード樫山の 会社情報

基本データ
会社名 株式会社オンワード樫山
フリガナ オンワードカシヤマ
設立日 2007年3月
資本金 50億円
従業員数 963人
※2017年2月期
売上高 1410億9600万円
※2017年2月期
代表者 大澤道雄
本社所在地 〒103-0027 東京都中央区日本橋3丁目10番5号
平均年齢 39.1歳
電話番号 03-4512-1020
URL https://www.onward.co.jp/
NOKIZAL ID: 1130373

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