20卒 本選考ES
総合職
20卒 | 東京大学 | 女性
- Q. 学生時代、最も注力している取り組み、または誇りにしていることは何でしょうか。
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A.
部活・サークル 続きを読む
- Q. 上記ご回答いただいた内容について具体的に教えてください
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A.
〇〇での活動。バスケの練習に注力するのはもちろんだが、私は運営面にも深く携わった。個々の力では勝てるはずのチームに負けるといった悔しい思いを多くし、自分の力だけでなくチーム力を磨く必要性を痛感したからだ。そこで、大学内の他団体との連携を行う役職等、業務量の多い仕事を積極的に引き受けることで部員と信頼関係を築きつつ、チームの方向性を統一するための新たな制度を発案、実行した。 続きを読む
- Q. 当社への志望動機をお書きください
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A.
家庭教育に携わることで子どもたちに勉強の楽しさを伝え、保護者の子育ての不安を軽減したいため。私の兄弟は三者三様だった。学校を楽しんだ私、馴染めず不登校になった弟、インターナショナルスクールに行くことを選んだ弟がおり、子どもの学校教育に対する適応の多様性を身をもって感じている。勉強を楽しませる様々な工夫が凝らされバリエーションが豊かで、人間関係に囚われず家庭で勉強できる貴社の通信教育は、性格や環境が様々な子どもたちに勉強の楽しさを伝えるためには最適なツールだと考える。また、私は家庭教師のアルバイトを通じて多くの保護者と子どもの教育について密に話す機会があったが、そこで保護者は子どもの教育に対して様々な不安を抱えていた。子どもの教育に寄り添いたいと思っている保護者対して、貴社の通信教育の付録コンテンツを用いて子育ての不安を和らげる手助けをしたいと考えている。以上の理由から私は貴社を志望する。 続きを読む
- Q. あなたが、学生時代に、「最大限『頭』を使って解決、もしくは達成したこと」及び、そこから学んだことについて、具体的に教えてください。
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A.
部に縦割り班制度を導入したこと。私の考える強いチームとは、個の実力を足し合わせた以上の結果を出す「かけ算」のチームで、その実現のためには同じ目標の共有と部員間の相互作用が不可欠だと考える。しかし、当初部員それぞれが自分のことに精一杯で目標の共有ができていなかった。この状況を打破しようとまず部員にヒアリングしたところ、上下間でのコミュニケーション不足に起因する悩みを抱えている者が多く、問題の根源は部員間の相互作用のための土台がないことだと分かった。そこで土台となるような縦割り班を作ることを考案した。中でも異なる立場の部員の意見を反映した上で様々な工夫をすることに特に注力した。その結果、上下間での指摘や相談が増加し、互いに実力を伸ばしあうことや目標の共有につながった。この経験から、コミュニケーション量を増やすことで成し得る情報収集や、異なる立場の人への共感力が課題解決において重要だと学んだ。 続きを読む
- Q. あなたが学生時代に、「最大限『体』を使って解決、もしくは達成したこと」及び、そこから学んだことについて、具体的に教えてください
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A.
〇〇で練習を積み重ねてレギュラーになったこと。当時自分の弱みを得意とする部員が多い状況だったため、弱みの底上げを行いつつ自分の強みに焦点を当てた練習に時間と体力を割いて取り組み、誰にも負けない強みを作ろうと考えた。そのために体力面で厳しくみんなが嫌う練習に誰よりも真剣に取り組んだり、ほぼ毎朝空き時間にシューティングをしたりすることで得意なディフェンスやシュート力の向上を図った。正規練習はもちろん授業やアルバイトもあったため、毎日の自主練習は体力面で厳しかったが、レギュラー入りを果たすことに成功した。それだけでなく、部員を自主練習に誘うことで積極的な自主練習の文化が部に生まれ、目標に向けてどのような努力をすべきか自発的に考える風土を作ることができた。この経験から目標達成における堅実さや継続の重要性と、周りを巻き込むためにはまず自分が熱意を持って取り組むことが必要だということを学んだ。 続きを読む
- Q. あなたが、これまでに受けた「授業」で、「自分のためになった」と思う授業内容と、その理由を述べてください。※授業は、「小学校・中学校・高校・大学・大学院」いずれの授業か明確にした上で、論じてください
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A.
大学三年生の時に受けた「〇〇」という授業。特に印象に残ったのは「読み書きできない子どもの難関大学進学は可能か?」というテーマだ。ここでは学習障害を持つ生徒への入試における合理的配慮を題材に議論が行なわれた。授業内で「合理的配慮は障害者に下駄を履かせるものではなく、スタートラインに立ってもらうためのものだ。ある問題によって問いたい能力でない能力、例えば鉛筆で文字を書く力がないからといって不合格にされるのは理不尽ではないか。」との言葉があった。私はこれを聞き理解はしたもののどこか納得できなかった。配慮はどこまで認められるのかという疑問があったからだ。例えば大学入試において、論理的思考力が優れているが学習障害により記憶力に問題がある生徒は辞書を持ち込んでもいいのか。確かに大学で学問をする上で細かい単語を一つ一つ暗記している必要はないだろう。しかし本質ではないからと言って記憶力は全く問わなくてもいいのだろうか。私がこのように批判じみた疑問を感じたのは、自分の今までの受験経験や学歴が否定されているように感じたからだ。私は記憶力や速記力など問題の本質でないところで他者に勝っていただけで、受験における評価基準が本質のみを問うものに変わることによって今まで自分が受けてきた評価が覆る可能性があると認識したのだ。そこで私を評価してきた人を思い返すと、今まで生きてきた世界が狭すぎたことに気がついた。中高大と、自分と似たような環境で育った人と多くの時を過ごし、その人たちの価値判断基準の中で生きてきた。しかしこの授業によって、国外での合理的配慮の急速な進展、テクノロジーの発達により生じた求められる能力の変化を再認識させられ、自分の価値観は数年前から更新されていないと痛感した。自分が育った環境外や国外を含む広い視野を持ち、自分の価値観を再構築する必要がある。そう思わせてくれた授業だった。 続きを読む