22卒 本選考ES
研究開発職
22卒 | 北里大学大学院 | 男性
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Q.
医薬品開発に携わりたいと考えるようになった経緯をあなたの歴史を振り返って説明してください
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A.
私は小学2年生の時に生まれつきの病気で手術を受けました。入院生活は痛みや体調不良でとても辛いものでしたが、医師や看護師の方が一生懸命に励ましてくれ無事完治しました。そこから自分を救ってくれた医療業界に携わって恩返しをしたいと思いました。 また、私は現在大学でペプチドに関しての研究を行っています。自分の行っている研究は将来的にペプチドを用いた医薬品の開発を最終目標としています。これらの研究に携わってきた結果、医薬品業界の興味を覚えました。 以上の2点から、医薬品開発に携わりたいと考えています。 続きを読む
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Q.
学業・研究以外であなたがChangeしてきたことは何ですかChangeしなければならなかったエピソードを含めて、具体的に記載してください
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A.
私は高校3年生という大事な時期に足を怪我した経験から、「最後まで諦めないで努力し続けること」、「効率的な方法を計画的に実行すること」ができる様にChangeしてきました。 私は高校3年生の陸上部で足を怪我しました。怪我の原因は過度な練習と練習後の体のケアを怠った事だと考えました。またリレーの選抜時期に被ってしまい、私は短距離リレー代表から降りることになりとても悔しい想いをしました。そこから、私は練習法の見直しと合わせて走り方のフォームの改善、練習後の徹底的なケアを行うように心がけました。 結果的に、復帰後もリレーの代表には戻れず最後まで悔しい想いをしましたが、走り方や練習の見直しによって自己ベストを更新する事ができ、後悔なく高校の部活動を引退することができました。 以上の事から、「最後まで諦めないで努力し続けること」、「効率的な方法を計画的に実行すること」ができる様にChangeを心がけてきました。 続きを読む
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Q.
あなたしか出来ないアプローチで、周囲と協働して成果をあげたことは何ですか (質問3まではシミック株式会社のESと同じ、共通ESです。)
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A.
私は学生時代アルバイトで勤めていた塾で、教室全体の成績向上率25%アップを達成しました。 私の教室は、当初は成績向上率50%ほどで地域における最低レベルでした。副リーダーだった私は根本的な問題として講師間の情報伝達が不十分かつ指導法もばらばらであることだと考えました。 私は物理学科出身ながら生物・医療系の研究という自分にとっては新しい分野にチャレンジしています。「新しい事を恐れずにチャレンジ」するため、今まで教室が取り組んでこなかったことを取り上げる様にしました。具体的には指導法のマニュアル作成、テスト見直し方法の根本的修正を行いました。その結果、教室全体の成績向上率25%アップを達成しました。 私はこれらの経験により、物事をより論理的に進めることを得意にすることができました。また、それらの経験が研究活動でも活かせていると思っています。 続きを読む
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Q.
研究職として目指す姿について、あなたの強みに触れながら自由に述べてください 500文字以下
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A.
主体性と協調性を併せ持ち、独自の視点を持った研究職に就きたいと思います。 私は大学での研究活動で、自分なりの意見を持つようにすることを心がけています。今までの自分の経験や知識から推測したことを意見として必ず持つようにしています。好奇心の強い性格ということもあり、自分の意見を持てることは自分の強みです。しかし研究活動は1人で行えるものではありません。実験備品や装置の維持などは研究室の人と協力しなければいけませんし、1人で研究活動を行なっていても、行き詰まる時があります。自分も試料分析法の評価について、行き詰まることがありました。そうした中で、先生や先輩、同期と積極的に意見交換をすることを大事にしていました。自分よりも研究期間が長い先輩が様々なことを知っていることはもちろん、自分とは少し違う系統の研究を行なっている同期は別の試料調製法やデータの見方を持っているので、自分にはない知識や見方を積極的に共有していたりしています。これらの経験から周囲の考え方を取り入れる事の大切さを感じました。 これらの経験を生かして、自分の意見を持つ主体性と周りの意見を取り入れる協調性を持つ研究者になりたいと思います。 続きを読む