19卒 本選考ES
記者職
19卒 | 北海道大学 | 男性
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Q.
志望動機を教えてください
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A.
教科書に載らない「歴史」を記録し発信できる人になりたいと考え、貴社の記者職を志望します。私の夢は日本史の教員になることでした。しかし大学3年生の時に行った屋台取材がその考えを変えました。屋台に渦巻く不満を聞く中で、名もなき「市井」の声、価値観も歴史を形作っているものの1つだと気づきました。それを記録し、後世に残す使命を担いたいと考え記者を志望するようになりました。 数ある新聞社の中でも貴社を志望する理由は、地元に密着しながら企業取材をし、企業努力を発信したいからです。学生時代、ヒッチハイクをする中で。中小企業の社長さんにお話を聞く機会が多々ありました。その中で中小企業の「その会社にしかできない仕事」の魅力に気づき、この魅力を発信できる記者になりたいと考えました。モノづくりが盛んな地元の中部地方に密着し、企業努力を発信していきたいです。 続きを読む
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Q.
あなたのセールスポイント
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A.
私の強みは結果が出るまで耐え忍べる点です。高校時代、試合で歩く選手の姿に憧れて競歩を始めました。そして高校の引退試合の結果に満足できず、大学でも競歩を続けました。しかし大学に入ってからは、膝曲がりと接地不良といった各違反に対する判定が厳密になり「歩型の美しさ」も追求する必要がありました。そこで私は長い期間を費やして、自分の歩型を見直しました。週に4回、1時間半以上ゆっくり歩く日を設けて、美しい動作を心がけました。そして徐々にスピードを上げて歩く練習を増やし、美しい動作を速いスピードでも維持できるようにしました。そして違反を一枚ももらわず、高校時代の5000mWの自己記録を1分更新できました。自分自身の歩型に真摯に向き合った結果だと思っています。根気強く継続できる粘り強さが私にはあります。この強みは取材相手先に足繁く通い、信頼関係を作った上で情報を引き出すことに生きてくると思います。 続きを読む
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Q.
あなたの学生時代に打ち込んだこと
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A.
私は高校と大学で「競歩」に打ち込んできました。そして「競歩の日本選手権出場」を目標に練習に励みました。しかし、大学で競歩を続ける上で私の障害となったのが、0歳の頃から患っているアトピー性皮膚炎でした。練習中、激しい身体の痒みに悩まされました。大学から競歩の練習で歩く距離が増えたことにより、炎天下で大量の汗をかくようになったことが原因でした。痒みが原因で、競歩において失格の有無も左右する非常に重要な「歩型」が崩れ、時には練習を中断しなければならないほどでした。私がこの状況を練習メニューの組み方を変えることで乗り切りました。夏場、気温が高くなる時期は高校時代のように短い距離の練習、気温が下がる時期に長い距離の練習と、時期によって練習の距離を変えました。この自分の身体的ハンデに合わせた練習で、目標の日本選手権に出場することができました。この経験を通して、私に足りていなかった、自らの境遇を言い訳にせず、精神的にも身体的にもタフに逆境に打ち勝つ「意志」を学ぶことができました。 続きを読む
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Q.
最近関心をもったニュース
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A.
アメリカのフロリダ州の高校で起きた銃乱射事件のニュースです。昨年のラスベガス銃乱射事件から始まって公共の場での銃乱射事件のニュースが目立っており、アメリカで議論を呼んでいます。ただ、私はこのニュースをアメリカの問題だと割り切ることができません。なぜなら約25年前に私の出身高校の先輩がアメリカのバトンルージュに留学中、銃で射殺されたからです。そのような理由もあり、銃規制について高校時代から考える機会が多く、私自身も銃規制に賛成です。しかし段階的な規制をしていく必要があると思います。なぜなら銃の所持は合衆国憲法に国民の権利として規定されており、銃の規制は国民の権利を制限することになるからです。複雑な要素が絡み合う銃規制問題ですが、銃弾の規制や連射型の銃の規制など徐々に規制の範囲を広げていく必要があるのではないでしょうか。 続きを読む