①小学校2:リュックで通ったら5年生たちにいじめられる
4歳〜小2まで海外に在住。現地ではランドセルが手に入りにくいため、みんなリュックで通っていた。
小2の6月に帰国。日本の小学校でもリュックで通い続ける。
結果、5年生たちに傘を取り上げられるなど意地悪をされる。
この頃から日本が生きづらいと感じ始める。
②小学校:母親の暴力が小3くらいから激化
母親が精神病院に入院することも。小3の時、母親のキックでみぞおちというものを知る。
勉強なんて何の役にも立たないと思い、毎日筋トレをし・ボール遊びで走り回り・ボクシングを習う友人に鍛えてもらう。結果母親の攻撃をかわせるようになり助かる。グレたりしなかったのはその友人のおかげ。謝罪は一切ないので今でも母親のことは許していない。
③小学校〜:ボーイスカウトと茶道
尊敬できる大人にたくさん出会えた。
ボーイスカウトでは厳しいことも多かったが、リーダーたちはかっこよかった。茶道の先生は活動的で顔が広く教養があり、多くの人から慕われている。
④中学校:教員がセクハラ・いじめ
中学時代、自分の代の担当教員が問題な人ばかり。教員同士でいじめがあり、いじめられた側が退職・別の教員が自分の同級生の女子にセクハラをし騒動発生。
教員たちに対し反抗するようになる
⑤高校2:留年しかける
100点満点の数学のテストで7点を取る。先生たちが温情で助けてくれ、無事に進級。
「数学は役に立つ学問だと思うので、僕は受験では数学を使おうと思います。」と言った僕に対し、先生たちは爆笑しながらも温かい目で見守ってくれた。その恩に報いるべく浪人時代猛勉強し、数学選択で早稲田を含む受験校全てに合格。
⑥高校2:震災とボランティア
震災の年の夏にボーイスカウトの仲間たちと現地(宮城県南三陸)へ。津波で流された街を見て呆然。
少しでも現地の人の苦しみを救えた嬉しさ、同時にそれがほんの極一部でしかないことへの悲しさ
→ビジネスで「誰かを稼がせる」仕組みを作る方を目指したいと考え始める
⑦高校2:登山で死にかける
父と2人でイラン最高峰に挑戦。吹雪と霧に遭い下山ルートを見失う。追い詰められた状況の中でも常に冷静な父の姿があった。2人で知恵を出し合い、なんとか下山し助かる。
この経験から「明日死ぬかも」論には反対。自分たちはいつ火事で死ぬか分からない江戸っ子とは違う。常に思い残すことがないよう意識して生きるなんて無理だと思うし、もし死にそうになったら諦める前に最後まで最善を尽くすべし。
⑨大学1・2:サークルで嫌な思い
宗教的で上下関係の厳しいアカペラサークル。こき使われた1年生たちがブラックバイトのスパイラルでどんどん辞めていく。先輩たちのやり方に勇気を持って反対できなかったことは今でも後悔している。
しかしその経験から人との縁を大切にするようになった。その結果よろちゃんを通じてHuber.に出会えたり、授業やシェアハウスなどたくさんの繋がりや友人ができた。
⑩大学4:年上の社会人と恋愛
去年から今年にかけて。彼女はいつも背中を押してくれたり、おもしろい場所を見つけてきてはそこに誘ってくれたり。自分も仕事が大変な彼女を少しでも支えようと努力したが、やはり自分の未熟さを実感。強く頼もしい男になりたい。
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