「素晴らしいですね」この言葉は中学校の学級担任の口癖である。国語を担当教科に持つ伴先生の下、『走れメロス』の読解をしていた。当時なまじ成績が良かった私は授業そっちのけでノートにクイズを書き、後ろの友達に解かせていた。当然先生から叱責を受けた。しかし彼女は否定するだけではなく「想像力を働かせ、会話の道具を作り出せるのは素晴らしいですね」という言葉も付け足した。驚きと同時にその評価に応えたいと感じた。『走れメロス』の単元が終わる回に感想文を書く機会があった。私はクイズを考える情熱を感想文にも向けた。稚拙ながらも太宰のバックボーンや元ネタとなったギリシャ神話を調べ、それらに触れながらメロスの揺れ動く心情について、裏紙に至るまで用紙をびっちり埋めた。見て下さいよ!と自信満々に提出した作文は先生を大変喜ばせた。再び、「素晴らしいですね」の言葉を貰った。それだけでなく学年全員に私の作文を印刷し配布した。作文は教科書が如く扱われ、解説された。街に辿り着いたメロスのように照れ臭く思いながらも先生を更に喜ばせようと私はより熱心に授業に取り組むようになった。それからの授業でも生徒による優れた作文は学年に共有し、それぞれ思い思いの解釈を意見交換する制度が導入された。
今自分が向き合っている人間の優れた所を見つけ、褒める。言われた相手は勿論嬉しくなると同時に、期待に応えようとする。それがやがて人間の成長に繋がっていく。相手を頭ごなしに否定することは簡単である。良いところはきちんと向き合っていないと見つけられない。そうやって見つけた相手の良いところを互いに、あるいはみんなで共有することで集団をより成長させていく。私は今に至るまでその精神でコミュニケーションをしている。これはきっと学生生活だけでなく社会人になっても通用するという確信がある。このことに気づかせてくれた伴先生に「素晴らしいですね」と評価を贈りたい。
この授業によって私は努力して他人の期待に応えることの快感、人と考えを共有することの重要性を知った。人に認められたければ自分から動くしかない。逆に言えば自分が行動すれば伴先生のようにきっと相手は認めてくれる。そういった関係をつくるためにも自分自身も相手を正しく評価しなくてはいけない。また、自分だけではなく相手の意見も聞く必要がある。私はコピーされ配られた他の人の感想を見る度に自分にはない発想があると感じた。伴先生の授業がなければ自分が一番作品を理解していると思い込んでいたことだろう。年齢を重ねてもこの二つの精神を大事にしている。更に今度は期待される側や意見交換の場を設ける立場として、人と触れ合うようにしている。
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