19卒 本選考ES
記者職
19卒 | 北海道大学 | 男性
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Q.
なぜ西日本新聞なのか、また新聞社でやりたい仕事はなんですか
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A.
教科書に載らない「歴史」を記録し発信できる人になりたいと考え、貴社で記者を志望します。私の夢は日本史の教員になることでしたが、大学3年生の時に行った福岡市の屋台取材がその考えを変えました。屋台に渦巻く不満を聞く中で、名もなき「市井」の声、価値観も歴史を形作っているものの1つだと気づきました。それを記録し、後世に残す使命を担いたいと考え記者を志望するようになりました。 記者を目指す上で貴社を志望する理由は2つあります。1つは、報道を通して九州の人々に恩返ししたいと考えているからです。北海道から福岡市の屋台へ通う中で、福岡市の人だけでなく、九州全域の人々との出会いがありました。私の悩みを聞き、時に厳しい言葉をかけてくれる、そんな温かみある九州の人々に報道という形で恩返ししたいです。 2つ目は、貴社で働く記者に非常に魅力を感じているからです。以前御社の記者にお会いした時に、半ば強引な私に興味を持ってくださり、西日本新聞経済電子版のコラムに私との出会いを掲載して記事にして頂けました。就職活動中、数多くの記者にお会いする機会がありましたが、取材された経験は初めてでした。私がお会いしたのはほんの一部でしたが、「日々、おもしろいことにアンテナを張れる」記者が貴社にいることは、記事や連載を見ても明らかです。その中で記者として働き、「ニッチなことに興味を持てる」自分の長所を伸ばし、取材に活かしたいです。 続きを読む
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Q.
学生生活から学んだこと
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A.
競歩を通して、逆境に立ち向かい、目標に向かってやり抜く強い意志を学びました。私は高校と大学で「競歩」に打ち込み、「日本選手権出場」を目標に練習に励みました。しかし、大学で競歩を続ける上で私の障害となったのが、0歳の頃から患っているアトピー性皮膚炎でした。練習中、激しい身体の痒みに悩まされました。大学から競歩の練習で歩く距離が増えたことにより、炎天下で大量の汗をかくようになったことが原因でした。痒みが原因で、競歩において失格の有無も左右する非常に重要な「歩型」が崩れ、時には練習を中断しなければならないほどでした。私がこの状況を練習メニューの組み方を変えることで乗り切りました。夏場、気温が高くなる時期は高校時代のように短い距離の練習(月間約250km)、気温が下がる時期に長い距離(月間約400km)の練習と、時期によって練習の距離を変えました。自らの境遇を言い訳にせず、目標を達成するために、私なりの工夫でした。この自分の身体的ハンデに合わせた練習で、目標の日本選手権に出場することができました。 高校生の時に私に足りていなかったものは「逆境への対応力」でした。この経験を通して、私に足りていなかった、自らの境遇を言い訳にせず、精神的にも身体的にもタフに逆境に打ち勝つ「意志」を学ぶことができました。この意志の強さを武器にして、ネタが取れるまで絶対に引き下がらず、取材を止めない記者を目指します。 続きを読む
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Q.
最近興味を持った社会的出来事とあなたの考え
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A.
アメリカの銃規制についてです。昨年のラスベガス銃乱射事件から始まって公共の場での銃乱射事件が度々起こり、アメリカで議論を呼んでいます。私にとって銃規制の議論が非常に身近でした。なぜなら私の出身高校の先輩が留学中、銃で射殺されたこともあり、銃規制について高校時代から考える機会が多かったからです。そして私自身も銃規制に賛成です。しかし段階的な規制をしていく必要があると考えます。なぜなら銃の所持は合衆国憲法に国民の権利として規定されており、銃の規制は国民の権利を制限することになるからです。よって、銃弾の規制や連射型の銃の規制など徐々に規制の範囲を広げていく必要があるのではないでしょうか。 続きを読む