22卒 本選考ES
編集職
22卒 | 日本大学 | 男性
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Q.
報知新聞社を志望する理由
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A.
私は、小学校の時から今日まで様々な種類のスポーツをしてきた。その中でも、野球に関しては、中学生から今日まで約10年間続けてきた。ここまで、続けてこれた理由は、1つではないが、やはり自分の人生の約半分も続けてきたその根底には、やはり野球が好きだという気持ちがあるからだと考えられる。そして、その「好き」を紙面やデジタル記事を通して、多くの人に共有することで、私の好きな「野球」というスポーツの奥深さなどを伝えられ、野球人口の減少に歯止めをかけられるようになれば、私の本望である。以上の理由から、私はスポーツ紙の記者を目指いしている。加えて、なぜ数あるスポーツ紙の中で、私が貴社を志望しているのか。それは、アナログからデジタルへ新聞業界そのものが移行している現代において、貴社はSNSを積極的に活用するなど、スポーツ紙の中でも先駆け的な存在になろうとしていることから、自分が入社した後も安心して働くことができると考えたからだ。また、SNSを用いて選手やチームの細かい箇所までスポットライトを当てることで、私が前述した「好き」をより深く、世間に伝えることができるとも考えた。 続きを読む
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Q.
あなたがスポーツ報知の1面で取り上げたい人は誰ですか?その上でどのような紙面を作りたいか説明してください。
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A.
私がスポーツ報知の1面で取り上げたい人は、プロ野球千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手だ。先日、プロ初登板を果たし、見事1回無失点で抑え、シーズンに向けて良い形を作ることができた。そのような彼は高校時代に「令和の怪物」と呼ばれ、日本の高校生の歴代最速となる163キロを計測するなどプロ野球の門をたたく前から注目を浴びていた。私は、彼の野球選手をしての顔だけではなく、1人の人間としての素顔にも迫りたいと考えている。佐々木選手は、岩手県陸前高田市の出身であり、今からちょうど10年前の東日本大震災の津波の被害により父と祖父母を亡くされており、実家も流されてしまった。また、注目を集めた高校時代。地元の高校で甲子園を目指したいと進学した大船渡高校のエースとして、高校3年生時には岩手県大会の決勝まで進出する。あと1勝で夢の甲子園。しかし、大船渡高校の監督であった國保陽平さんは、「故障予防のため」として決勝戦での佐々木選手の登板を見送った。結果、チームは敗れてしまい「地元から甲子園」という佐々木選手の夢は叶わなかった。この登板回避は多くの野球評論家によって議論され、社会問題にもなった。その後、行われた18歳以下の野球ワールドカップでは、大会前に右手中指にマメができてしまい、結局登板する機会がないまま期待に応えることができなかった。その後、プロ野球千葉ロッテマリーンズに入るものの、昨年は1軍、2軍共に試合での登板がないままシーズンを終えた。以上のように、私が知る限りでも佐々木選手にはこれだけ多くの苦難を乗り越えてきたことがわかる。それらを乗り越えることができた精神力や人間性といったものは、まだ世間に十分に伝わっていない。また、その部分を世間に伝えることによって、佐々木選手の魅力を理解してもらうとともに佐々木選手にも自身の特集記事を読んでもらうことで、今までの苦難が今後、彼が駆け上がるであろうスターの階段への足がかりしてくれればと考えている。そのためにまず、佐々木選手に取材を行い、佐々木選手自身の年表を作成する。そして、その出来事1つ1つに対して、その時どのような感情だったのかを聞き出す。可能であれば、その当時の写真も紙面に掲載したい。また、紙面は1ページすべて用い、前述した通り、記録して残したいという思いから、なるべくわかりやすい年表を作成したのち、佐々木選手の思いの部分は掲載できるだけ載せて、佐々木選手の人間性を伝えたい。 続きを読む