![](https://static.syukatsu-kaigi.jp/packs/images/student/common/top/img_square-es-c5b153e06427c70f057b.png)
18卒 本選考ES
運動記者職
![](https://static.syukatsu-kaigi.jp/packs/images/student/common/top/img_human-18393aec7940b18b7988.png)
-
Q.
自己PR
-
A.
私は幅広い好奇心を持っており、色んなことにチャレンジしてきた。塾講師、東京ドームのボールボーイ、スターバックスなど様々なアルバイトに取り組んだ。タイに一年間留学に行き、カンボジア、ラオス、ミャンマーを旅した。タイマッサージ学校にも通った。 続きを読む
-
Q.
第一志望職種を目指す理由
-
A.
「スパンッ」直球がキャッチャーミットに吸い込まれるとき、私は三塁側のベンチ前にいた。心臓の鼓動が速くなる。「ストラーイクッ!」審判の腹の底から出た声。「今の高いよー」三塁ベンチの野次。東京ドームのボールボーイのアルバイト。テレビからも観客席からも見えない世界がそこにはあった。そして自分の思いに気付いた。最前線で見たい。聞きたい。感じたい。それを伝えたい。選手とファンをつなぐ運動記者になりたい。 続きを読む
-
Q.
入社後、第一志望職種で取り組みたいと思うテーマとその理由
-
A.
プロ野球審判員の橘高淳さんに取材したい。テーマは、「ビデオ判定の是非」。審判の役割をAIに託すことも技術的には可能だが、それでも人間がやる意義はあるのだろうか。「今後、人間がやるべき仕事とロボット(AI)がやるべき仕事」という切り口で、問題提起したい。 続きを読む
-
Q.
あなたが人より秀でていると思うものを具体的なエピソードを入れて説明してください。
-
A.
私はこれまで何事にも主体的に取り組んできた。「岡村、どう思う?」私の高く挙げた手を見て、キャプテンは言った。月1回行われる陸上部、駅伝チームの定例ミーティング。数人の先輩から練習量を増やすべきではないかという提案があった。「今の僕たちの走力で練習量を闇雲に増やすと、怪我につながる恐れがあります。量を増やすのではなく、質を上げていくべきです。」1年生の私は答えた。この一言で流れが変わった。活発な議論の末、先輩たちも納得し、距離は変えず設定タイムを上げていく練習方針が決まった。 先輩に迎合しない。空気に流されない。安易に常識を信じない。自分の判断軸を持って本質を見抜く。私はそんな人間だ。共同通信の記者として日本の言論空間を盛り上げていきたい。キャプテンは言う。「岡村は御意見番だからな」 続きを読む
-
Q.
過去一年で印象的なニュースとその理由
-
A.
トルコで大統領の権限を大幅に強化する憲法改正の是非を問う国民投票が行われ、僅差で改憲が承認された。昨今、世界各地の選挙や国民投票等で接戦が多く、世論が二分されているケースが目立つ。一昨年の大阪都構想住民投票や昨年のイギリスEU離脱国民投票、アメリカ大統領選が典型例だ。 国民投票の結果を受けて、トルコのエルドアン大統領はサッカーに例え次のように述べた。「1対0だろうが5対0だろうが勝ったのなら(点など)どうでもいい。大切なのは試合を取ることなのだ。」たしかに民主主義の原則は多数決だ。たとえ拮抗した結果であっても、多数派の勝利には違いない。しかし、半数近い反対意見にも耳を傾けなければならない。少数意見の尊重も、また民主主義の原則だからである。その意味で、エルドアン大統領のコメントに、私は衝撃を受けた。国民一人ひとりが考え、悩み抜き、投じた一票。その積み重ねである票数をどうでもいいと切り捨てる姿勢からは民主主義への敬意が感じられない。 民主主義は完璧ではない。限界がある。矛盾もある。今、世界で民主主義が問われている。私は記者としてよりよい民主主義を追求していきたい。 続きを読む
-
Q.
今まで一番困難な経験を書いてください。その困難をどうやって乗り越えましたか。
-
A.
2015年9月。タイに留学してから1ヶ月。初めての一人旅に出た。行き先はナコーンラーチャシーマー。バンコクからバスで4時間ほどの東北の地方都市だ。事件は帰りのバスで起きた。バスターミナルを出発した直後、嫌な予感がした。周りの人とチケットが違うのだ。標識を確認した。バンコクとは逆方面に向かっている。 私の不安をよそにバスは快調に飛ばしていく。何とかしなければと思った。隣の人に話しかけた。しかし英語が通じない。車掌にチケットを見せると、途中で降ろされた。周りには何もない。ここがどこかも分からない。近くの民家のドアを片っ端から叩き、住民に話しかけた。6人目でようやく英語が通じた。親切な女性がバイクで元のバスターミナルまで送ってくれた。2時間遅れでバンコクに帰った。 本当に怖い体験だった。自分を乗せたバスの行き先が分からない。今いる場所がどこか分からない。言葉が通じない。しかし壁は自分で越えるしかない。越えるために必要なのは少しの勇気だった。少しの勇気を振り絞れば、必ずどこかに助けてくれる人がいる。高く見えた壁も越えてみると、案外高くなかった。もうどこへ行っても大丈夫だ。 続きを読む