個人主義と集団主義の違いを、学校生活において感じることが多かったです。
日本では合唱コンクール、文化祭、運動会などクラス単位の行事が多く、集団を通じて何かを成し遂げる喜びが分かち合えます。しかし、アメリカの高校は大学と同じように単位制であるため、学級そのものが存在せず、学級を単位とした全校レベルの集団行事は存在しません。美術、音楽、運動部等それぞれの部活単位の発表会や試合の場はありますが、そういったチームに全員が所属するわけではないので、日本のように誰もが集団で何かをなし遂げる機会はありません。
授業は選択制で同じ学年とは限らない上に、飛び級もあり年度の途中から転出入も自由にあるので、学年共通の到達目標はなく、日本のように学年や上級生・下級生を強く意識することは少ないです。どちらかというと、それぞれが個人レベルで好きな科目や好きな事に打ち込んでいて、学年末には科目単位、部活単位で表彰されます。個人の意思が尊重され、教師や上級生が何かを強制するという場面はほとんどありません。どの科目もそこそこできることよりも、得意なものを伸ばして突出することの方が尊ばれる傾向にあるように思います。
いっぽうで、全員が同じ目標を共有するという機会は大変少ないように思います。
私が区立中学校にいたとき、全員参加の臨海学校で遠泳指導がありました。全員一緒に3kmの遠泳をおこなうもので、小さい頃からスイミングスクールに通う選手級の生徒もいれば、私のように帰国生で25m泳ぐのがやっとだった生徒もいました。当日には一人の脱落者もなく、全員が3kmを泳ぎ切りました。全員が同じ目標を共有して一斉に取り組むことが、思わぬ力をもたらすという貴重で感動的な体験をしたと思います。このように集団が個の力を押し上げることもあり得るので、人生において皆と協力してなにかを成し遂げる喜びを知る機会は重要だと思います。個人主義と集団主義、どちらが勝っていると一概に言えるものではなく、どちらにもそれぞれの良さがあるということは確かだと思います。
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