21卒 本選考ES
総合職
21卒 | 関西大学 | 男性
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Q.
・志望動機
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A.
私は、人が当たり前を体感できる空間を作りたいと考えています。大学生活で被災地に多く接し、当たり前の『対極』を多く見ました。被災者の方にお話を伺ってみると、口々に仰られたのは、「普通に過ごしたい」という言葉でした。この経験により、自分が今過ごす空間が普通で当たり前を享受できる事の幸せを改めて深く心に刻みました。そこで、当たり前を感じる事のできない人を減らす為に、当たり前を創り、守りたいと考えました。この空間を保つ為に必要な交通インフラをを運営としている鉄道会社を志望しています。 その中で御社は、私の住む関西の雄となる大阪府の中核都市を結んでいる鉄道網を有しており、生活まちづくり企業として、人々の生活の当たり前を提供している為、私が思い描いている物を達成できると考えています。また、民営化になり従来の鉄道事業以外の成長性の高い事業を創り出さねばいけないと考えており、若い世代が挑戦できる場が整っていると考えています。私の人に寄り添い、困難な物に正面から立ち向かっていく力を活かしたいと考え、志望致します。 続きを読む
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Q.
・自分史
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A.
私は、大阪府で生まれました。幼少期は非常に鉄道や車が好きな子で、よく電車を見に近くの踏切に行き、はしゃいでいたそうです。生まれた時から住吉区で居て、仲良い友達が沢山いる中で、幼稚園に入園した。その後,年中の時に今住んでいる兵庫県に引っ越しが決まりました。その時に、仲良い友達を失い、新しい幼稚園に行く事を頑なに嫌がりました。この経験で、今までの明るい感じではなく、少し暗く本などを1人で読む子に変わっていきました。その後、小学生で僅かな仲良い親友ができましたが、アクティブでは無く図書館で1人で本を楽しんでいました。 中学生になった時に一つの転機が訪れました。それは、数少ない親友が野球部に入ると言ってきた時でした。私は、運動神経が悪く、体力も無い中で、また友達を失いたく無いと考え、野球部に入部しました。体力が無い中で、一人だけメニューを少なくして頂き、同期や顧問の先生からも励まされ、1年が経った時には、他の部員と同じメニューを出来るぐらいになりました。そうした3年間を過ごした中で、一度もレギュラーになった事の無かった私は、非常に悔しいという感情を持つ様になりました。高校生では、絶対にレギュラーになると強く決心しました。 そうして高校生になり、水球部に入部しました。初めて水球を見た時、今まで見た事のないスピーディかつ激しいボディコンタクトに、「かっこいい。やってみたい。そう思って入部した。しかし、今まで水泳を習った事のない私には大きなチャレンジでした。泳力は競泳をしていた同級生と比べ、50mで10秒の差があり、手先も不器用で、ボールを扱う力も劣っていました。絶対にレギュラーとして活躍したいと思った私は、練習がハードで自主練をする選手がいない中で3年間、朝1時間半・夜1時間と、部で1番自主練習を繰り返しました。その結果、見事に兵庫県代表選手として選出され、近畿大会4位などの実績を作り、活躍できました。この経験で難しい事にチャレンジし、努力を続けてチームに貢献できる事の喜びを経験する事ができました。 今、大学生では様々な事に挑戦し、現場を見る事にこだわっています。戦没者遺骨収集事業や災害派遣活動という活動に挑戦しました。また、それに携わっている人や被災者の方々の話を聞く中で、当たり前の大切さ、尊さという今の就職活動の軸となるものが見つかりました。 続きを読む