17卒 本選考ES
営業、企画、進行管理
17卒 | 早稲田大学 | 女性
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Q.
保有資格・スキル
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A.
ニュース時事能力検定試験2級(2015年11月) 続きを読む
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Q.
趣味・特技
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A.
趣味は漫画や本を読むこと。また、史跡巡り。大河ドラマ「新選組!」を観てから幕末に興味を持ち始め、主に新選組関連の史跡を巡るようになった。特技はイラストを描くこと。大学時代に訪れた旅行先のレポートを1冊にまとめてオリジナルの旅行記を制作した。 続きを読む
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Q.
学業、ゼミ、研究室などで取り組んだ内容
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A.
日本の近代文学を読み解くことで、「多様な視点をもつ力」を培った。特に興味深かったものは、「テクスト論」という語り手と作者の意図を切り離して考える文学理論だ。1年次の演習で指導を受けてから、独自の読み方を模索するようになった。また、3年次では川端康成の『山の音』や川上未映子の『乳と卵』を扱い、複数名で読み解く作業も行った。先行研究を分担して調べ、各々の意見に関する質疑応答を繰り返すことで、1つの物語に対する様々なアプローチを出し合った。卒論では、近代文学における家族像の変遷について取り組む予定だ。 続きを読む
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Q.
自己PR
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A.
「麦は踏まれて強くなる」がモットーだ。大学受験に一度失敗したことから、「悔いのない学校生活を送ろう」と考え、出版サークルと美術サークルでの活動を4年間続けた。「高校時代に打ち込んだ映像制作とは違う形で、残るものを作りたい」という気持ちからの選択だった。出版サークルでは、雑誌のレイアウトや販売など、少人数で集中して取り組む仕事が多かった。一方、美術サークルでは、油そば屋の外壁塗装や巨大絵画の制作など、大人数で協力し合う作業が中心だった。両方が忙しくても、「手を抜きたくない」という思いでやりきった。特に雑誌の販売では、突然書店が閉店し、1000を超える残部が発生するという事態に見舞われた。それでも「多くの人に届けたい」と考え、他店への声かけや販売時期の拡大などを提案し、実行した。結果、残部を減らすことに成功。この4年間でずいぶんと、「打たれ強さ」と「ポジティブ思考」を伸ばせたと考えている。 続きを読む
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Q.
学生時代に最も打ち込んだこと
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A.
広告制作会社のアルバイトで、「ローソンフレッシュ」というネットスーパーの認知度を上げる企画に社員と2人で取り組んだ。店の主要顧客層は、「30~40代の共働き家庭」。利用者は女性が多いことから、ターゲットを「働くアラフォーママ」に設定し、彼女達の悩みを突き詰めていくことにした。そうした中で、「旦那さんと2人きりのデート」に注目し、話し合いを進めていった。結果、子ども向け料理教室を利用した企画案が採用された。その名も、「おまかせ!お子様キッチンデビュー」。料理教室に子どもを預け、その間両親には2人の時間を満喫してもらうというものだ。ネットスーパーで販売する料理キットのメニューを、この教室では1から調理する。食育を学ぶと同時に、集団でのコミュニケーションを築く体験ができるのも利点だ。この経験で、ターゲットの悩みとサービスの長所を結びつける難しさを学んだ。一方で、物事を深く考えていく力を養った。 続きを読む
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Q.
当社を志望する理由を書いてください。また、リクナビ・オンラインセミナー等の情報で、興味を持った点をあわせて記入してください。
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A.
「人の暮らしに大きな影響を与えたい」という強い思いから志望した。特に貴社では、「出版物を通して、実用的な側面から人を支える仕事がしたい」と考えている。理由の1つとして、大学時代に所属していた出版サークルでの経験があげられる。私はそこで、雑誌を制作するだけではなく、学生向け情報誌の宣伝や販売活動にも中心となって取り組んでいた。また、郵送販売の窓口を担当し、読者と直接やり取りを行うこともあった。そこから、発売を楽しみに待つ新入生の声や、情報誌が役立ったという学生の反応を得て、大きな喜びを感じた。こうした経験から、「メディアを介して人を支えたい」と考えるようになった。他にも貴社の仕事では、地域活性化への貢献や、まちづくりに関わる点に関心を寄せている。出版社のインターンで、銀座、下北沢と様々な街に出て取材を行い、人や街並みにそれぞれ独自の色があると気がついたからだ。そのため、オンラインセミナーでは、「地方分権改革」、「地方創生の推進」といったお客様を取り巻く変化に興味を持った。地方の活躍が求められる現在、街ごとの新しい魅力を見つけ、個性を伸ばし、そこで暮らす人達の生活をより良くしていきたい。 続きを読む
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Q.
今までの経験のうち、集団行動において頑張り抜いたのはどのような時ですか。その時のあなたの行動、特に「どう困難を乗り越えたか」について具体的に書いてください。
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A.
高校1年の夏、部活動で映画を自主制作した時だ。当時私は、映画研究部に所属していた。文化祭の上映会に向けて、部員の有志5人で15分ほどの作品を初めて作ることになった。脚本から撮影、編集までの全てを自分達で手掛けた。その中で、最も苦労した取り組みが脚本会議だった。撮影や編集といった技術的な部分は、先輩達の力を借りて解決することができたが、脚本作りはそう簡単にいかない。なによりも、5人全員の意見を反映させ、納得できる物語を作ることが大変だった。そのため、夏休みは毎日のように学校へ集まり話し合いをした。そんな中、会議からよく脱線するお喋り好きな部員Mと、時間延長を嫌う真面目な部員Bとの対立が激しくなっていった。時には、Bが厳しく叱ることで、Mが泣き出すということもあった。私はリーダー役だったため、亀裂を生じさせないようにと必死だった。そこで、物語の方向がある程度決まったところで、大まかな人物設定、絵コンテ作成、ロケへの持ち物管理、撮影場所や当日のスケジュールをまとめる担当をひとりひとりに割り振った。仕事を偏らせないことで、自然と会議の空気も真剣になり、無事に作品作りを乗り越えることができた。 続きを読む