
24卒 本選考ES
記者部門
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Q.
卒論・修論のテーマとその狙い、ゼミで学んだことなどを記入してください。(50文字以内)
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A.
戦時期の『アサヒグラフ』の表紙について。時勢に合わせて雑誌の顔の表紙はどのように変化したかの考察。 続きを読む
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Q.
趣味・特技(30文字以内)
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A.
展覧会めぐり、利きジャスミンティー 続きを読む
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Q.
記者をめざすきっかけや、記者になりたい理由は何ですか。(400文字以内)
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A.
大学生になって過去の『アサヒグラフ』を収集し始めたことがきっかけです。日中戦争時から記事を読んでいくとまさに当時の同誌は「読むだけで領土が広がる読み物」でした。現代人からすると負の記録ですが当時の人々は同誌を読んで大いに沸き、癒され盛り上がったことだろうと考えました。時局が進むと虚実が入り混ざったり思うような記事を書けなくなったり不自由があったりしましたがどの時期も戦争を、社会を伝えるんだという意思がありありと伝わってきました。現代人として生きる私は「まっすぐに社会を伝える」ということを信条に記事を通して確実な情報源となり、時に人々を癒せるような娯楽になれるような文章を書きたいと思ったからです。 続きを読む
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Q.
朝日新聞社で働きたい理由は何ですか。(200文字以内)
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A.
私にとって朝日新聞社といえば卒業論文で研究している『アサヒグラフ』が真っ先に思い浮かびます。関東大震災で一度壊滅的な被害を受け出版が大阪からになるゆえに日刊から週刊に切り替えたことや新聞の方は印刷機がなくとも情報を手書きでまとめて新聞を作るなど常に時局に柔軟に対応し続けている会社だと思います。伝統がある朝日新聞でジャーナリズムを発揮して社会に「考える」ことを投げかけ続けたいです。 続きを読む
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Q.
あなたのアピールポイントを教えてください(この数年で力を入れたことなど)。(400文字以内)
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A.
所属している映像研究ゼミでどうしたら一番伝わるかを考え抜いて「ドラマの絵コンテを描き上げたこと」です。夏休み期間を活用してゼミでドラマ撮影をすることになった時のことで、初めての経験でしたが挑戦してみようと思い絵コンテ担当になりました。絵コンテを描くためにはまず撮影場所を完璧に把握した上で最適なカメラ割りを考えなければいけません。ロケハンに行き様々な角度から撮影した写真を参考にして頭の中で出演者を配置しながらイメージを絵に落としていく作業をしました。短い作業期間で見ている人に訴えかけるような画になるように考え、それを紙に起こすのにとても苦労しました。この体験を通して第一に与えられた業務を遂行することへの責任感と完成した時の達成感を大いに感じました。また頭の中で完璧にできていてもそれをアウトプットする難しさ、アウトプットに必要な情報や資料を最大限活用することの大切さを学びました。 続きを読む
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Q.
2022年1月以降に朝日新聞や朝日新聞デジタルで掲載された記事、写真・映像で、印象に残ったものをあげて、その理由を教えてください。(300文字以内)
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A.
2022年7月9日朝日新聞朝刊です。私は普段ニュースや政治の情報はテレビとSNSの各新聞社やテレビ局の発信、大学が登録している朝日新聞デジタルサーチで新聞を紙で読む機会は殆どありません。私にとっての新聞は生まれた日の号やセンター試験の掲載号など「特別な日」を残しておくものでした。馴染みのある元首相が暗殺されて死ぬというのは衝撃的な出来事で「今日という日を忘れてはいけない」と思い翌朝にコンビニで新聞を購入しました。どれも7月8日の夜までの情報しか載っておらず紙面から大きなショック、何が起きているか不明な困惑が伝わってきてある程度の事実が分かった今とは違う衝撃が記事から伝わってきました。映像メディアやアーカイブ技術が成熟している今ですが7月9日にしか発売されていない「暗殺の第一報」を紙媒体は私が保管している限り今後データの改ざんや消失の恐れのない改変不可能の事実であると思うので大切にしています。 続きを読む
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Q.
これまでの人生でどんな困難に直面しましたか。また、それをどうやって乗り越えましたか。(300文字以内)
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A.
高3の体育祭演目のダンス練習の時のことです。私の高校では毎年高3女子による恒例のダンス演目がありました。ダンスが本当に苦手で苦痛で練習が始まったころから一時的にですが体育のある日は不登校になってしまいました。責任感と抱え込んでしまう性格から押しつぶされる毎日でしたが耐えきれなくなってしまい友人に相談しました。友人からは「抱え込みすぎ。そんなの誰かに相談すればどうにでもなるよ」と叱咤されました。それがきっかけで親や担任に相談して、結果私は体育祭に「行かない」という選択をしました。ただの逃げかもしれませんが私にとっては少しずつ人に相談できるようになったきっかけの大切な一歩であったと考えています。 続きを読む