22卒 インターンES
総合職
22卒 | 非公開 | 男性
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Q.
あなたが雑誌のコラムを書くことになりました。テーマを自分で好きに決めて、自由に書いてください。
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A.
自尊心という言葉がある。これはプライドだとか誇りと言った意味で、他よりも自分が優れたと感じた時などに口にされる。けれどもそんな自尊心は時々豪快に打ち砕かれる時がある。挫折のない人生を歩んできたときほどその時の衝撃は大きい。20歳を過ぎてたくさんの絶望と失敗を経験したタイミングで自尊心の本当の意味がわかってきた。「自己を尊ぶ心」とは自分を粗末にしない心のことなのではないか。すなわち自分を大切にしたいという気持ちで、そう思える時があるとしたら誰かが自分を大事に思ってくれている時であろう。そう、自尊心とは他人から与えられるものなのだ。子供の頃を振り返ると周りの大人から大切に育てられていた思い出が多いと思う。しかし歳を取るごとに誰かから強く大切にされていることが少なく感じてしまうのは甘えなのだろうか。そんな時は誰かを大切に思い、そして考え、できれば何か目に見える形で行動に移してみよう。私だけが唯一取り残された人間ではないはずだ。きっとあなたの心に浮かぶその人も同じように考え、同じように悲しみや寂しさを抱えている。Give and Take、いい言葉だ。強がってGive and Giveなんて言ってみたいところだが、あいにく誰もそこまで強くはない。自分がどこかから温もりを欲している時こそ、誰かに何かをしてあげるべき時なのかもしれない。 続きを読む
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Q.
生きる意味ってなんだと思いますか?自分なりの意見を教えてください。
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A.
抽象画家の元永定正さんは作品に対し「これは何だ?」と問われると「これはこれだ」と答えるそうだ。確かに、誰かに好きと言って「どうして」と聞かれたら「あなただから」と答えるしかないのと同じだ。人生には答えはないのに問わずにはいられない問いがひしめいている。「自分らしい」とはどういうことかを考えることもよく似ている。「自分」というものは存在しているのにそれがあるかどうかの確信ができない。だから他者ではなく「自分」というものを決定づける確かな証拠を探してしまうのではないか。仮に見つけることができ、それを自分らしさと呼ぶとしよう。しかし、これまで持っていなかったものの方へ移行していくわけだから、それはもう自分ではないという矛盾に陥る。私は「自分らしさ」とは、自分がそうありたいと思っているものだと考える。私たちは、それが何であるか分からないまま、しかしそれを問わずにはいられない。このような問いは「問題」ではなく「課題」と呼べないだろうか。問題に答えはあるが、課題には答えがないからだ。それに取り組むことにその意味の大半がある。「生きる意味」という問いもまた問題ではなく課題なのであって、死ぬまで私たちはそれを問い続けるしかない。そしてそこにこそ「わたし」の存在意義がある。きっと、元永さんは絵の意味を言葉で説明することにキリをつけ、むしろ描くという行為で問いかけを続けているのではないだろうか。 続きを読む
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Q.
これって私だけ?って思うものを教えてください。
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A.
空気を読めない人がいる。それもアホだが、空気を読んでばかりいる人はもっとアホだと思う。しかしそのさじ加減が難しい。ジェンダーや働き方で多様性が求められている時代だ。それにもかかわらずどうも「極・単」な世界に思えてならない。自由にしなさいという命令を聞いたとこで、結局は自由ではないという逆説のようだ。日本人の良さがとうとう弱みに変わってきた。ズレやすきまを尊重しあえる社会はやってこないだろうか。 続きを読む