17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 九州大学大学院 | 男性
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Q.
趣味・特技・スポーツ等
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A.
趣味は映画鑑賞です。映像制作経験から、撮影、編集、脚本、衣装、照明、音効、それぞれの観点から分析しレビューを書いています。特技はマジックで、18年間独学で学んでいます。状況に応じた内容や尺など「コンテンツにおけるおもてなしの作法」を身につけました。他にもホルン、DJ、音楽鑑賞、楽曲制作、焼肉、スポーツではスキー、空手、水泳など、私は面白そうだ思えば何でも極めたくなる性格で、比較的多趣味な人間だと考えています。 続きを読む
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Q.
興味のある事業と、その理由。
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A.
「映画・企画制作」映画館で観た経験は心に残り、私はそれが人生の財産になると考えています。貴社のライブビューイングや細かいニーズに応える小映画館での配信など、人を心から笑顔にしたいという姿勢に強い憧れを抱きます。私は売れるために品質を優先しない本末転倒ではなく、音楽や映像といった日本文化が詰まっていて世界に発信できるコンテンツを作りたいです。映像制作経験において求められるソリューションを追求し発想につなげるようにして培った企画力で良質なものづくりに貢献したいと思っています。 続きを読む
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Q.
学生時代に最も力をいれたことと、その成果
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A.
「フリーランス映像クリエーターとしてのビジネス経験」大学で映像学を学び、スキルを磨くために制作会社の手伝いをしていましたが「自らのアイデアをもって、そのコンテンツで人に喜んでもらいたい」と思ったことがきっかけで、個人活動という挑戦を始めました。初めは福岡で小規模な案件をして地道に人脈を広げていましたが、学生ということで舐められないようにハイスピードハイクオリティを徹底していた結果、最近では電通、バンダイナムコ、富士通、ムンディファーマ、フリュー、ピエトロなど、大手企業に仕事を依頼して頂く機会が増えました。技術的な問題で仕事を断ることは絶対にあってはならず「できないことはない」と勉強に実践を重ね、映像表現における武器の幅を広げていきました。受け身ではなく、求められているソリューションを積極的に把握し、いかに映像表現という手法で解決するかという試行錯誤を行っていました。自らビジネスの機会をつくり難解な課題にも真摯に挑戦し続け、仕事の度に毎回自分の進化を実感していました。その結果、映像に関することだけではなく、何事においても強い自信を抱くことができるようになりました。 続きを読む
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Q.
一番印象に残っているエンタテインメントと、その理由。
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A.
「ランスバートンのマジックショー」5歳からマジックに没頭していた私は、7歳の頃、ラスベガスで活躍する世界的マジシャン、ランスバートンの来日ショーに衝撃を受けました。手を挙げてステージに上げてもらい、私の手から鳩を消された感触は今でも忘れません。マジックは、マジックをしなくても自分に自信を持った魅力的な人がしてこそ光るエンタテインメントであり、その人間的な自信は練習と失敗を重ねるマジックによって育てることもできると考えています。私はランスバートンに、人を喜ばせることの素晴らしさを学びました。 続きを読む
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Q.
コレだけは誰にも負けないこと。
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A.
「不利な状況でも求められる人材になり得る力」私は九州朝日放送の報道でカメラアシスタントを3年間続けています。報道は事前に緻密な撮影計画がないため現場で最適な判断を常にしなければなりませんが、初めは現場の1回きりという緊張感や判断ミスで全く使い物になりませんでした。あまりに悔しく、周りから一番恐れられていたベテランカメラマンに敢えて付くということを毎回実行しました。厳しく叱られながらも現場現場で先を見越したアシスタントができるようになり、現場判断力を認められるようになりました。 続きを読む
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Q.
一学年1000人の卒業アルバムで一番目立ちたい。あなたなら何をしますか?
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A.
卒業年次の夏休みに40人集め、イベントとしてキャンパス内で「人間将棋」を企画します。その様子は話題のページになり、皆が楽しめる上に皆が見るそのページでプレーヤーをする私は目立てると考えます。 続きを読む
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Q.
「ヒーロー」をテーマに作文を書いてください。題名も付けてください。(A4原稿1枚以内)
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A.
『私がヒーローになった日』 そのあまりにも嬉しそうな父の笑顔は痛烈だった。私は大学で兵庫県の実家を離れ、福岡県に来て六年目になる。それから母と姉、妹に囲まれた父は男一人で孤独だったと言う。「次はいつ帰る」と、父は毎週の様に私の帰省を待っていた。そんなある日、父が私を飲みに誘ってくれた。父と二人で居酒屋など初めての経験で、お互いどこか少し緊張していた様に思える。飲み始めると、こんなに話すのかというほど父は話し、愚痴をこぼしては笑った。その笑顔は、男同士の親友の様な心地に感じた。思い返せば父は私のヒーローであった。朝早くから夜まで仕事をする父の姿は大きく、一人暮らしを始めてから余計にその大きさを実感していた。長期休暇や正月に帰省はするが、地元の友人とばかり遊んでいた私にとって、父と話すことは新鮮であり、これからあと何度父と語り合えるのだろうかと考えた。今では父との語り合いが楽しみで、それは父にとっても大切な時間となった。 続きを読む