18卒 本選考ES
総合職
18卒 | 同志社大学 | 女性
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Q.
進研アドのミッションは、「高等教育の発展を通して、若者に多様な未来を」です。 若者に多様な未来をもたらすために、あなたが進研アドで実現したいことは何ですか。ご自由にお書きください。
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A.
私が貴社で実現したいことは、高校生の進路選択への意識改革と、高校生と大学のベストマッチのお手伝いである。 私は編入学をした。その理由は、ただ大学名と学部、学科を見て志望大学を決めたからだと今となっては考える。どのような分野の研究に強い大学なのか、どんなカリキュラムなのか、そういった詳しい内容まで見るべきだったと感じている。 そこで、貴社では、高校生が学部と偏差値だけ記載したデータブックのようなものではなく、盛んな研究分野や、履修モデルなどを載せた受験生向け冊子を作ることで、大学に入ってからの具体的なイメージをもってもらいたい。さらに、大卒の割合が高まっている現在、両親や祖父母が読む冊子を作ることで、自分の経験から子どもに的確なアドバイスができ、進路選択の可能性が広がるかもしれない。 また、少子化が進んでいく中で今の大学は差別化が重要になっている。大学に合わせた個性を提案することで、大学に魅力を吹き込み、その魅力に惹かれた学生が集まり、学生も充実した大学生活を送れるような大学づくりもしたいと思っている。 続きを読む
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Q.
あなたが「生まれて」から「現在」までの間、 「最もモチベーションが高かった時期」と「最もモチベーションが低かった時期」を理由とともにお書きください。 また、3ページの【記入例】を参考に「生まれて」から「現在まで」のあなたのモチベーションの動きを次頁にグラフであらわし、 最もモチベーションが高かった時期に「★」、最もモチベーションが低かった時期に「▲」をつけてください。
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A.
モチベーションが最も高かった時期とその理由 浪人時代が最もモチベーションが高かった。現役時代できなかった問題が解けるようになり、成績が上がっていくのを実感し、楽しい日々だったからだ。とにかく目標が明らかなため、それのために自分がどう努力していくのか、どう照準を合わせるのかを考えて、日々行動していたため、やりがいがあったと思う。 また現役時代よりも、自分が翌年楽しい大学生活を送っていることが鮮明にイメージされたため、勉強もはかどった。それにより、また成績が上がりと好循環の日々だったということも理由としてあげられる。努力が結果としてダイレクトで現れ、そして一歩ずつ目標達成に向かっていっていることを感じることは、楽しかった。 モチベーションが最も低かった時期とその理由 中学2年生の時である。2年生の夏から、部活動で自分が部長になり、部員と顧問との橋渡し役になった。しかし、なかなかうまくいかず、モチベーションを保つのが難しかった。私が知らないところで部員が喧嘩をしていたり、部活動に対して文句を言っていたり、それをしると日々がつらかった。また、顧問とも練習時間や練習方法に関して意見が合わなかったり、部員がまとまっていないことを指摘されたりしていい関係が築けなかった。 その上、練習時間が長く、休日も朝から夕方まで練習があったため、息抜きができなかったのも大きな原因の一つだと考える。時間があれば、部活動のことで悩み、部活動に行きたくなくなっていた。 続きを読む
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Q.
あなたの人生にもっとも大きな影響を与えた人物をひとり挙げ、 なぜ大きな影響を受けたのかと、その影響によって自分自身がどう変わったかを教えてください。
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A.
私の人生に最も大きな影響を与えた人物は、予備校の講師である。講義がとても分かりやすかったからという理由もあるが、私に新たな考え方をもたらしてくれたというのが最も大きな理由である。大学受験で2浪し、結局第一志望の大学にも入れなかった、そんな先生の口癖が「行った先でいいことがある。」というものであった。 私が第一志望の大学に合格出来なかった時、もう一年の浪人も考えたが、先生の言葉を思い出し、どうなるか不安はあったが進学してみようと考えた。今では、今ある場所でしかできない貴重な経験を多くできたことで、進学してよかったと思っている。 最後まで当初の目標にこだわることが大切な時もあるとは思う。しかし、他方でどんな環境であっても自分次第で人生を豊かにできる、置かれた場所で咲くことも素敵なことだ、そんなことを気づかせてくれた先生だった。 続きを読む