22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 早稲田大学 | 男性
- Q. 卒業(ゼミ/研究)論文テーマ及び概要、またなぜそれを選んだのか教えてください。※ゼミ/研究室に所属していない場合は、一番力を注いだ課目について 250字以内
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A.
リスクマネージメント論に注力した。この課目では企業におけるファイナンス手法を扱っている。その手法には株式・債権発行や銀行からの借り入れ、或いは特別目的会社を設立など多種多様なものがある。それを企業の経営状態と今後の市場の変化を考慮して、どの方法がリスクとリターンをバランス良く享受できるのかを考える学問である。その中で今までリスクはとにかく避けるか成功する為に積極的に取っていた。しかしこの学問でリスクは自分の許容出来る範囲を見極めた上で取ることが何より大切だと学び、リスクの概念が変わった。 続きを読む
- Q. 志望業界・会社について教えてください。 100字以内
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A.
海運業界/鉄道業界/商社業界 続きを読む
- Q. 志望動機について教えてください。 300字以内
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A.
人生の軸である「社会や人々の暮らしを根底から支えつつ、次世代の当たり前を作る」ことを最も叶えられるからだ。これは大学○○部の経験から自らが起点となり、多様な関係者と協同して、部活動を支えることにやりがいを感じてきたからだ。加えて、今を支えるだけでなく自らが創出したものが後輩達の活動、未来をも支えていることが何より嬉しかった。その中で、日々の部活動で貴社のダイナミックな船舶を見るごとに、これが世界の物流ひいては世の中を支えているのだと感じ、大きな魅力を感じる。また、インターンシップやOB訪問で体感した貴社の挑戦を重んじる風土が私の人生と重なっており、自分の力を最大限発揮できると考え、志望する。 続きを読む
- Q. 人生で最も大きな決断は何ですか。決断理由とその後の行動と共に教えてください。 350字以内
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A.
浪人をして○○大学を目指した決断だ。高校3年時に○○で全国大会出場を果たし、進路としてスポーツ推薦のオファーを受けることや一般入試でも他大学には受かっていた為、それらの選択もあった。しかし、全国大会で思い通りの力を発揮出来ず味わった悔しさが強く、大学では日本一を絶対に取りたいと考え、当時日本一の環境があった○○大学を志した。浪人中に高校の同期が他大学で活躍しているのを見て、羨ましく思うのと同時に来年は自分がやるのだと強い気持ちを持って勉学に励んだ。そして無事に○○大学に合格し、体育会○○部に入った。しかしその後は試合に出場出来ないのは勿論、日々の練習にさえ全く付いて行けず、苦しい日々が続いた。それでも日本一への拘りから誰よりも競技に向き合うことで、〇年時に悲願の日本一を成し遂げた。 続きを読む
- Q. 複雑な問題にぶつかって、その問題を解決した経験について教えてください。 350字以内
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A.
40名の高校○○部で主将として自校初の全国大会出場に貢献した経験だ。全国大会に出場するには県で2位以内に入る必要があるが、前年は25位だった。当部は競技経験のある指導者がいなかった為、学生主体で練習を考える必要があった。私は部内だけで成長するには限りがあると感じ、他校との合同練習や大学生コーチの招聘を試みた。そ故に同じ場所で活動している全ての高校と大学生に声を掛けた。最初は断られることもあったが、「自分達の全国大会に出場したい想い」を伝え、実際に練習を見てもらうことで、最終的には1つの学校と何人もの大学生の協力を得た。そこで得たものを部に定着させるべく、定期的に勉強会を開き、かつ記録に残すことで自分達が引退した後も後輩が学べる仕組みを作った。結果、県で〇位に入り全国大会出場を果たした。 続きを読む
- Q. 上記以外のエピソードにて、人と意見が一致しなかった時のあなたの行動(経験)について教えてください。その際にどのように周囲を巻き込んだかについても記載ください。350字以内
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A.
100名の体育会○○部で種目リーダーとして練習の改革を試みた時だ。部の目標は日本一だが、昨年は全国〇位に終わった。その悔しさから敗因を徹底的に分析して伝統的な練習方法への固執が要因と考えた。そこで、自主的に参加した実業団との合宿で学んだ練習の導入を試みた。しかし煩雑な準備と○○万円の費用を要する為、一部の上級生が反対した。そこで導入の意義とお金を工面する方策を考え、粘り強く話し合い、理解を得た。しかし直ぐには思い通りの結果が出ず、かつ〇か月間の対面練習禁止で何度もチームが空中分解しかけた。その度に部員全員と対話を重ね、互いの考えや想いを共有した。また、日々の活動では率先して誰よりも練習量をこなす姿を見せ、仲間から信頼される行動を心掛けた。結果、誰1人として欠けることなく日本一を果たした。 続きを読む