【学生の人数】1人【面接官の人数】1人【面接官の肩書】年配の方、職種や役職は不明【面接の雰囲気】面接官が年配ということもあり、堅い雰囲気がありました。いわゆる偉い方の口調だったので、最初は緊張しましたが、話していくうちに向こうのこちらを深く知りたい姿勢が伝わり、気持ちよく話すことができました。【大学生活での大きなチャレンジは何ですか。】1か月間のシアトル留学です。目的は戦前の日本とシアトルの繋がりを見つけることでした。戦前の日米関係の実態を把握していく中で、どう敵対政策が進められたのかに関して疑問が生じ、現地で実際に見る必要があると考えたため、取り組むことにしました。シアトルは「日本郵船を母とする」と言われるほど、日本との繋がりがかつては密接でした。密接な関係から日米が敵対し戦争を始める前には日本人は強制収容所に入れられるという不幸な歴史がありました。一体どこが転機になったのかという点を探りたいと感じ、現地で実際に見ようと考え、取り組みました。目標を達成するために、戦前、日本街であった場所に行けば、何か資料や建造物として名残があるのではないかと考え、行動しました。実際にインターネットで事前に調査したところ、「パナマホテル」という戦前に日本人が経営していたホテルが現在も同じ建物のまま営業をしているということが分かっていました。そのため、パナマホテルを中心に調査をすることが、最も効率よく、戦前の日本とシアトルの繋がりを見つけられるのではないかと考え、パナマホテルへ向かいました。更に調査を円滑に進めるため、パナマホテルのオーナーと事前に連絡を取り、お話を伺う事にしました。パナマホテルには戦前の日本とシアトルの繋がりを記す新聞や旅行者の所有物、銭湯が残っており、それらについて詳しくお話を伺う事で、目標を達成することができました。日米関係が壊れる前は深い友好関係にあったという学びや一回政策によって方向性が変わると民間ではどうしようもなくなるという学びを得ました。【あなたの強みは何ですか。】私の強みは現状に常に満足せず、「カイゼン」のために、すぐ行動ができることです。魚津市への街おこしボランティアに行った動機がその根拠です。私は当時就職活動で自身をPRすることに自信がなく、現状に不満足を感じていました。その時に、以前ボランティアでお世話になっていた方から「魚津のボランティアで一生に一度の体験ができる」と伺い、「一生に一度の体験」の実体を掴めば、何かPRをすることができるようになるのではないかと考え、街おこしボランティアへ参加することに決めました。実際にボランティアでは「たてもん祭り」というユネスコ無形文化遺産に指定されている祭事に協力をするといったことであったり、現地の初めて会う学生と協力をして政策提言のための意見交換をしたりなど「一生に一度の体験」ができました。そこから私は自身の行動傾向を考え、「カイゼン」ができる点が強みであると気が付きました。【評価されたと感じたポイントや注意したこと】深掘りに対して、素直に答えられたところが評価されたのだと思います。例えばシアトルの話でいえば、「なぜ日本郵船がシアトルの母なのか」という質問をされました。そこに対して、「西海岸で最も日本に近い都市であり、日米貿易のアメリカ側の中心地だったため、日本郵船がシアトルの発展に寄与したからです。」と答えたところ、高い評価を受けました。
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