知的財産法のゼミで取り組んだディベート大会の決勝戦での内容について、お話しさせていただきます。
テーマは「日本著作権法にフェアユース規定を導入するべきか」というもので、私は否定の立場を担当しました。
まず、フェアユース規定がどのような規定であるかについてお話しします。
フェアユース規定とは、簡単に申し上げますと、通常であれば著作権者の許諾を得て、著作物を利用しなければならないところ、著作権を制限することで、著作権者の許諾なしに著作物を利用できる場合を示した規定で、いわゆる権利制限規定の一般条項です。
つまり、例えば民法において信義則や権利濫用の禁止について定めている民法第1条と同じように、法律行為の要件などを抽象的に定めたのが、このフェアユース規定です。
ここで資料をご覧ください。ここでは、フェアユース規定のなかでも最も有名なアメリカのものを例に挙げています。
アメリカのフェアユース規定では、
(1)使用の目的および性質(使用が商業性を有するかまたは非営利的教育目的かを含む)。
(2)著作権のある著作物の性質。
(3)著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性。
(4)著作権のある著作物の潜在的市場または価値に対する使用の影響。
これら4つを公正利用の判断要件としています。
このようにフェアユース規定は非常に抽象的な物で、具体的な権利制限規定を限定列挙している日本の著作権法とは大きく異なります。
この抽象性は、柔軟さなどのメリットをもたらしますが、一方で、フェアユース規定を日本の著作権法に導入すべきではない理由といえます。
それでは日本著作権法にフェアユース規定を導入すべきでない理由について、大きく3点に分けて説明します。
まず1点目が、日本は、アメリカやイギリスなどのフェアユース規定を導入している国と根本的に法体系が異なっているという点です。この違いが原因で、アメリカやイギリスではフェアユース規定の導入がうまくいっていたとしても、日本ではうまくいかない恐れがあるということです。英米法はいわゆるコモン・ロー、慣習法とよばれる法体系であり、判例を重視しています。先例拘束性の原理が大原則であり、判決が法源としての機能を有しています。
一方、日本はいわゆる大陸法の国であり、成文法を重視しています。つまり、英米法においては抽象的なフェアユース規定を、具体例として法的根拠となりうる過去の判例が補ってくれますが、日本では判例に先例としての拘束力がなく、あくまで法律の条文のみが法的根拠となるため、フェアユース規定のような抽象的な一般条項を置くのではなく、具体的な権利制限規定を限定列挙する今の形のほうが圧倒的に適しているといえます。
このように、フェアユースの長所である抽象性、柔軟性が、条文を第一に考える日本著作権法においては「曖昧さ」というあだになるといえます。また、下の表にあるように、米国のフェアユース規定ですら、その後ろに個別の権利制限規定を置く形で、フェアユース規定の曖昧さを補っているのですから、日本ではなおさらその曖昧さは問題となります。
次に、日本の著作権法ではすでに、現行の権利制限規定の柔軟な解釈、規定そのものの見直しなどを積極的に行われているにもかかわらず、それらを無駄にしてまでフェアユース規定を導入する意味はないということです。
下の表にもあるように、ここ数年の間にも、新たな権利制限規定が置かれたり、従来よりも柔軟に権利制限規定を解釈するなどして、フェアユース規定を導入せずとも、著作者と利用者のバランスをうまく保てるように、最大限の努力がなされています。
権利制限規定が望ましくない状況のまま固定されてしまっているというならまだしも、このように良い流れになっているにもかかわらず、それを止めてまで上手くいくかわからないフェアユース規定をあえて導入する必要性はありません。
そして最後に3点目です。資料の1番下にある図の右側、日本の欄をご覧ください。このようにすでに日本の著作権法における権利制限規定はかなり充実しており、ここに挙げた以外にも書ききれないほどの規定があります。そのため、ここから権利制限を大幅に拡大してしまうと、利用者側に権利が傾きすぎてしまい妥当ではありません。つまり、結局はフェアユース規定を導入したところで、著作者の権利を保護する観点からは、ある程度利用範囲を絞らなければならず、利用者側の権利が拡大される余地は少ないです。それならば、今のように個別の権利制限規定を置いたうえで、必要に応じて規定を追加する形のほうが、利用者にとってわかりやすく、それで十分に対応が可能です。
以上の大きく分けて3点の理由から、日本の著作権法に、フェアユース規定を導入するべきではないと考えました。
続きを読む