
23卒 本選考ES
総合職
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Q.
自分史を2000字程度で。現在のご自身を形成する上での重要な経験について、経験の詳細、またその経験が今のあなたの考え方や行動に繋がっているのかを、ご自由にお書きください。
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A.
(小1)同様に兄の影響でサッカーを始めるプレーよりも指示出しを好み、ゴールキーパーになる。 (小3)サッカーをやめ、ドラマの影響で野球を始める。やはり指示だしを好みキャッチャーになる。 (小6)元々運動神経がとても悪かったが、毎日のように外で走り回ってるうちにクラブ活動では卓球クラブの部長になり、加えて運動会のリレーの選手の補欠に選ばれる。当日アンカーの子が怪我をし代走、見事順位を守り切った。 2013年4月東京都市大学等々力中学校入学 体調不良につき、中学受験の山場である最終学年の初めの半年は塾にも通えず、成績が低迷、中学合格は無理だと言われていたが、諦めず努力し見事第一志望に合格。 (中1)友人の紹介にてテニス部に入部。錦織選手の影響でか、その年のテニス部は大量の新入生が入部した。初心者であったため、コートにすら立たせてもらえず、トレーニングと素振りを繰り返す日々だった。ひどい日にはサッカーコート50周や、スクワット500回行なった日もあり、学年が終わる頃には同学年の部員が40名から8名に減っていた。その中でも必死に部活動を続けていた。 (中2)ようやくコートでボールを打てるようになったが、経験者との実力差の壁の前に何度もめげそうになる。それでも1年の時の自分の頑張りを無駄にはしまいと、なんとかくらいつく。 (中3)同年代の初心者だった部員が徐々に選手に選ばれていく様子を見て自分には才能がないと悔やむ日々が続く。勉学では当たり前のように学力の低いクラスになっていた。このままではいけないと英語塾に通い始める。かなりのスパルタ授業だったのもあり、英語が得意になる。 2016年4月 東京都市大学等々力高等学校 内部進学 (高1)担任の先生からの過剰なまでの数学への期待を抱かれるようになる。そのプレッシャーからか、どんなに難しいテストでも満点を目指すようになる。河合塾の模試で全国数学1位を取ることもでき、ますます自分にプライドが生まれるようになる。そのプライドは物理にも伝染し、物理では常に偏差値65以上の水準をキープし続けていた。部活動ではトレーニングの成果が芽吹き始め決してうまいテニスではないが俊敏なフットワークと絶え間ない体力で部内戦で2位になる。元々下のチームだった自分がいきなり2位になったことにより、部活動での自分の評価が一気に変わっていく。上のチームに加わることができたが、技量の差はとても大きく練習に馴染むことはとても難しかった。 (高2)数学の成績にはムラがあり、思うような成績が出なくなってきていることを理由に英語塾をやめる。その影響で英語の成績は目に見えて下がっていった。しかしながら数学の成績はきちんと伸びていた。背景にはよくしてくれた英語塾の先生方への贖罪として、なんとしてでも数学の成績を伸ばさなくてはいけないと言う想いもあった。部活動では副部長に任命された。粘り強く返すプレースタイルを続け、夏の区大会ではベスト4と言う結果を残すこともできた。しかし準決勝で最後自分を信じきれずミスをして僅差で敗れたことから、来年のリベンジを誓う。 (高3)苦手科目がとにかく重症で苦手科目に多くの時間を割き精神的も時間的にもとても苦しい一年だった。しかしいつでも得意科目が自分の一つの軸として支えになっていたため、受験勉強は満足いく結果となった。リベンジを誓った区大会で惨敗してしまう受験勉強との両立がやはり難しかった。 2019年4月 慶應義塾大学総合政策学部入学 (大1)身長が低いというデメリットを抱え、思うように戦績が出ませんでした。サーブやコートのカバー力、パワー全てにおいて低身長が不利に働きます。しかし、身長を理由に負けたくはないと考え、毎日10km走ることや、トレーニングを欠かさず行い体力とフットワークを鍛えました。小回りの効く低身長ではフットワークという長所を伸ばすのが勝利に繋がると考えたからです。このフットワークを活かし、とにかくミスをしない、泥臭く粘り強く相手の球を丁寧に返すプレーを心がけました。体力的にも精神的にも苦しいこの戦法は毎日休むことなく、鍛錬を続けた自分だからできるプレーです。この経験から長所に常に目を向け、短所を言い訳にせず勝利を目指す大切さを知りました。 (大2)所属しているサークルの新入生歓迎にコロナの影響もあり大失敗し、サークル存続の危機となる。大会での選手層もとても薄く大会でも結果を残すことができず、とにかく苦しい一年間だった。 (大3)推薦でサークルの代表となる。2年の新歓の失敗の要因は決断の遅さにありました。何もかもが分からない中、決断を全員での話し合いからだそうとして、意見の対立を上手くまとめきれなかったからです。3年ではその失敗体験から、自分が団体を強く引っ張る決意をし、意見が複数生まれた時はとにかく全部やってみるチャレンジ精神のもと様々な企画を打ち出しました。結果通常時の2倍近く新入生を獲得するに至りました。選手層も厚くなったのに加えて、今までの自分のテニス経験から長所を伸ばすプレースタイルを練習からとことんこだわり、選手の育成に励みました。結果団体初の〇〇ベスト8という実績を獲得することができました。研究では1年の時から興味を持ち始めていた、プログラミングを徐々に勉強を進めウェアラブル端末を使用した家事の分析を始めるようになる。この研究テーマで研究会で研究を進めている。 続きを読む