16卒 本選考ES
総合職
16卒 | 早稲田大学 | 男性
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Q.
必須 タニタをどのように知りましたか? 全角800字以内でご記入ください。
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A.
カンブリア宮殿で拝見したことがきっかけです。それまではスーパーやコンビニでタニタ食堂の商品を見かけて、「タニタ食堂」ということは存じていました。それがまさか体重計の上に書いてある「TANITA」と一緒だったことは知りませんでした。それから家で使っている体重計を見ると貴社のものでした。番組を拝見して、身体の色々なことを測るだけでなく、健康サポートの面の事業もなさっていることを知りました。 続きを読む
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Q.
必須 タニタへの就職を志望する理由を教えてください。 全角2000字以内でご記入ください。
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A.
多くの人々の健康づくりをしたいからです。特に肥満の方を標準体型にして健康づくりに貢献したいです。私は中学生まで肥満体型でした。コンプレックスであり、運動も辛く感じていました。しかし、高校生時代にダイエット決意し必死に取り組みました。そうして結果、10㎏以上の減量に成功し、標準体型になりました。現在もリバウンドをしないように食事などに気を使っています。毎日体重を測り、意識するようにしてもいます。体重が減ったことにより、体が軽くなり運動も楽しくなることはもちろん自分に自信がつきました。ダイエットにおいて重要だったことは根性と管理です。誘惑に負けないことと、体重やカロリーを測りしっかり管理していくことが成功要因だったと思います。自分が経験したからこそ貴社でも、測るということを通じて多くの人々の健康づくりに貢献したいです。また、タニタ食堂など「はかる」という面からだけでなく、食事面からも健康をサポートできるということがはかるだけにとらわれていないことが魅力的に思えました。トータルで健康づくりに貢献したいです。 続きを読む
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Q.
必須 入社された場合、どのような仕事がしたいですか?またそれはなぜですか? 全角2000字以内でご記入ください。
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A.
営業の仕事がしたいです。多くの人に健康を保つためにも「はかる」ということの重要性を自らの手で広めていきたいです。自分の身体ですら自分の感覚では正確に把握できません。数値化で見えるようにすることによって、把握でき、健康管理を意識できるようになると思います。日本は高齢化や健康志向で、ますます貴社の商品の需要は拡大するはずです。そのときに正しい使い方や、よりよい役立て方を伝えて、世の中に広めていきたいです。将来は海外での仕事も視野に入れています。留学や旅行を通して、海外では本当にジャンクフードが蔓延していることがよくわかりました。規格外の肥満の方を目にすることもしばしばありました。海外でもより一層健康志向が強くなるでしょう。新興国でも、もう少し経てば、経済水準が上がり健康志向が広く芽生えてくるはずです。その時には貴社の製品は欠かせないです。そこでしっかりと外国でも理解されるように販売できるようになっていたいです。自分の経験からも体が変われば生活が変わります。私は肥満体型という不健康な状態から標準体型の健康状態になれて、様々なスポーツにも挑戦できましたし、人前でも以前よりも恥じることなく振る舞えるようになりました。人生が変わったといっても過言ではありません。その過程は過酷なものでした。大好きな食べることを我慢して、食事制限をしてそのうえで運動をして、記録して地道に努力をしていきました。管理していく中で成果が目に見えて、それがモチベーションになり続けてこられました。現在も毎日体重計に乗り、体型を維持しています。大学ではテニスにも、サッカーにも臆することなく挑戦できました。身体も軽くなり、動き回りやすくなり、見ている人の目も気にならなくなりました。元気に動き回るためにも、人生を楽しく過ごすためにも健康というのは最重要だと思います。何事も健康な身体がない限りありえません。一人でも多くの人が笑顔で生活を送るためにも、健康づくりに「はかる」のアプローチから、自分の経験も活かして貢献したいです。 続きを読む
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Q.
必須 海外経験について 海外への留学・旅行経験について、渡航先、目的、期間などを教えてください。 ※全角2000字以内でご記入ください。
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A.
アメリカ、カリフォルニア大学デービス校に2014年3月から4月まで留学していました。留学の目的は英語の能力向上と自己成長のためです。私は英語が大嫌いでした。TOEICも300点ほどで海外の生活はしたくもありませんでした。しかし、大学卒業後に社会に出たとき、グローバル化に対応するためにも、そして外国人と交流するためにも英語はひつようだと思いました。また生まれてから早稲田を出たことがなく、代わり映えのない生活を送る中で、新しい刺激が欲しかったことと、親元を離れ自立し自分がどこまでやっていけるかを試したく留学を決行しました。 留学当初は帰国したくて仕様がありませんでした。予想以上に言語の壁というものにぶつかりました。話しかけられても何もわからない、言いたいことは言えない、さらには友達が一切いないという状態でした。いっそ日本にいたならば、もっと有意義なことができたのではないかと思いました。だからといって誰かが救いの手を差し伸べてくれるほどの社会ではありませんでした。社会は何も要求しないものには何も与えてくれなかったのです。SNSで流れてくる日本の友人たちの情報にふれたときに、私は悔しさとともに、このまま帰国してたまるかと思いました。日本でできないことをして、何重にも成長してやると決意しました。ここにきてよかったと思えるぐらいに満喫してやると奮起しました。 そこからつながりをつくることを最優先しました。アメリカという土地で、私の英語能力では、求心力もなくできることも限られていたために、何かをするためには誰かの力をかりなければならないと思いました。はじめはクラスから友達をどんどんとつくっていきました。基本的なことですが、誠実に、素直に、正直に、そして相手を尊重して接することを意識しました。生まれも育ちも全く異なる外国人と相対するときに失礼のないようにしました。約束は守る、自分が誘われたなら次は相手を違うところに誘うなどして、信頼を築いていきました。そうして輪を広げていきました。やがて、現地生徒のサークルに3つ所属し、日本語クラスのチューターを務めることができるようになりました。 思い出深いのがバイブルスタディーというサークルです。聖書の一部について議論するものでした。キリスト教が根深いアメリカならではだと思い、さらには現地の生徒と英語で議論することは英語能力の向上にかなりの効果があると思い、思い切って飛び込みました。コミュニケーションでも苦労したことはもちろんでしたが、最も大きな壁は自分の意見が通じないということでした。日本ではなんとなく自分の言うことを聞いている人たちが察してくれていましたが、外国人には通用しませんでした。論理的な正しさが必要だったのです。宗教という、自分には無縁だったものに触れ、ろくに知りもしないで偏見を持つことは自分の可能性を狭めるということでもよくないことだと思いました。 半年間を通して、TOEICの点数は700点まで達しましたが、それ以上に世界中の様々な人と交流する中で、自分の視野の狭さを自覚したとともに、世界ははてしなく広くもっと知りたいし、触れたいと思いました。学んだことは、受け身になっていては何も得られないということ、つながりは貴重な財産になるとともに自分の可能性を広げるためにも重要ということ、それを保つためにも尊重することが大事だということ、そして自分の意見を他の人に納得してもらうためにも論理的な正しさが必要だということです。 続きを読む
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Q.
必須 あなたの専攻分野、力を入れて取り組んでいる研究内容や活動をご記入ください。 ※全角2000字以内でご記入ください。
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A.
行動経済学についてです。経済学は合理的な人間が行動するということを仮定しています。しかし、実際私たちの行動は合理的ではない行動があります。例えば、一円で高級チョコレートが道端で販売されていたとします。人々はそれを何十個も買います。ですが、それが0円で買える、つまり無料で置いてある状態だと何個かしかとらないという検証がありました。合理的な人間であるとすれば無料ならば何個でもとるはずです。人々は不合理な行動をしているということです。人々は常に合理的に動くのではなく、他者のことも配慮して行動しているのです。 決して人々は自分だけの満足だけで行動はしないのです。私は臓器売買について興味があります。もしも必要としている人が、不必要な人からもらうためにも市場を成立させたならば、全体の効用、満足は上がるのではないかということです。しかし、お金目当てで悪質な臓器が出回ったり、倫理的な問題が生じたりしてしまいます。私は、実際に市場として成立したときにどれだけの経済効果が生じるかを見出し、経済的視点から臓器売買を見ています。 続きを読む
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Q.
必須 学生時代に頑張ったことを教えて下さい。 ※全角2000字以内でご記入ください。
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A.
半年間のアメリカへの留学とテニスサークルでの企画の役職、そして銭湯での番台のアルバイトです。 留学では、海外経験において述べたとおりで、恐れずに勇気をもって、考えて一日一日を精一杯過ごしました。 テニスサークルでの企画では、サークルにおいてテニス以外の交流の場を企画するということなどが主な仕事でした。サークルの絆を深めることによって、メンバーの参加率を上げ、練習の活気を高め、サークルのレベルを上げるということが目的でした。その仕事を通して全体最適ということを強く意識するようになりました。自分が楽しむだけではなく、何がサークルにとっていいのかを考えて仕事をしてきました。役職に就いたときの私たちの課題は上級生と下級生の仲がそこまでよくなかったことです。そのためにテニスの練習の下級生の参加率もあまりよくなかったのです。下級生は入会してから月日があまり経っていなく、上級生とあまりかかわる時間がなかったことが原因だと思いました。両者とも横のつながりは強いものの、縦となると強固なものではなかったです。そこで、縦のつながりを強くしようと「東京ウォークラリー」を企画しました。少数の班に分けて、一日かけて東京を回るといものです。その班をランダムに上級生と下級生を組み合わせました。例年の企画では、早慶戦などサークル全体で集まるとどうしても横で固まってしまう傾向にありそれを打開しようと思いました。企画を成功させるためにも、企画の参加率を上げることに力をいれました。上級生には一か月以上前から日程を調整してもらい、全員に参加をしてもらいました。下級生には全体のメールでの呼びかけのほかに、個別で参加してらえるように声をかけました。そうして、参加率90%以上で、企画の運営も滞りなく済むことができました。直接的な因果関係があるかはわかりませんが、下級生の練習の参加人数もそれまでは数人程度が毎回10人程度にまで上がりました。 銭湯での番台のアルバイトでは、観察能力とコミュニケーション能力が鍛えることができました。業務内容はフロントから脱衣所までの間を接客するというものです。その短い時間をいかにお客様に心地良くなってもらうかを意識しました。その中で、必要だったものが間接です。老若男女様々なお客様が来る中で、その人をよく見て、雰囲気や機嫌などを判断してやりとりをしました。その時々に合わせて、話題づくりをしたり、笑顔だけで対応したりしました。印象に残っているお客様がフロントの椅子に長い間居座る方がいました。私はその方をどうやって家路につかせるかを毎回試行錯誤しました。方法としては話を聞いて、聞いて、話させて満足してもらい腰をあげてもらいました。自分から悩みを相談して話を引き出したり、うまく聞いて話の落としどころに持っていったりして対応しました。そういった方々の、特に年齢が私より上の方ばかりでしたが、お話を聞き様々な人生があるということを強く思うとともに、自分は後悔しない人生を歩みたいと思い、できることならば何でもするという気持ちになりました。 続きを読む
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Q.
必須 あなたの趣味や特技について教えてください。 ※全角2000字以内でご記入ください。
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A.
趣味は、映画鑑賞、テニス、空手、マラソン、そして珈琲です。 映画はジブリ映画を特に観ています。「紅の豚」が最も気に入っています。マラソンは体型維持のためにも週2回ほど走っています。珈琲は大学で珈琲研究会というサークルに入り自分たちでブレンドをつくることなどしています。 特技は書道で9年間習っていました。また我慢することも特技です。 続きを読む
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Q.
必須 自己PR ご自由にご記入ください。 ※全角2000字以内でご記入ください。
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A.
私は恐れずに挑戦すること、そして何事も楽しむことができます。どんな困難にも立ち向かい、その中でも楽しさを見出し乗り越え周りにもプラスの影響が与えられるはずです。 留学にしても、留学中に飛び込んだバイブルスタディーでも、さらには高校時代に空手部に入部したことも、私にとっては大きな挑戦でしたが、ひるむことなく、思い切って飛び込んできました。空手部に入部したのは強くなりたいという思いでした。貧弱だった私が厳しい稽古に耐えられるかはわかりませんでしたが、強くなるという目標のもと覚悟を決め全力で3年間やり抜きました。常に進化していたいという気持ちの元どんなことにも挑戦し、頑張ってきました。 また私は、「人生は我慢」と「十人十色の人生いろいろ」だと空手、銭湯でのアルバイト、留学を通して感じています。 空手では、「巻き藁」という木の板に布を巻きひたす打ち込むものなのですが、拳から血がいくら出ようがやめられず、傷が治りかけてはまた打ち込み傷をえぐる、ということを続けてきました。また、「百回型」や「千本蹴り」では、怖い大学の先輩の監視のもと全力で演武し、足の皮はやぶけ、歩けなくなるまでやりました。どの稽古でも先輩がやっていないからといって、自分がやらないというわけにはいきませんでした。我慢でした。生きていれば我慢することばかりです。思い通りに、楽な方法だけで過ごせるわけではありません。空手部では痛くても、辛くても、どれだけ理不尽であろうとも耐え抜きました。あれだけ精神的も肉体的にも辛いことをやり抜いたからこそ、それを思い出せば他のことなどどうにでもできます。だから私はどんなことだろうと、楽しむことができます。 銭湯の番台では、小さい頃からやっているのですが、色々な人を見てきました。店に入ってきて、ほんのわずかな時間しか接客はしませんが、その中でお客様を観察し、気配りをしたり、話題づくりしたりすることを身につけました。様々な人と接する中で、様々な人生があり、同じ人などおらず、それが楽しく、「人」は本当に面白いと思いました。 留学でも、世界中の人々と接していく中で、もっとそれを強く思うようになりました。イスラム教やキリスト教、ワイン農業を営む年下ブラジル人や無尽蔵にお金が出てくるサウジアラビア人など、日本で出会うことがないであろう人たちと過ごすことができました。人としてひとくくりにされていても、その中には皆違い、考えてもみなかった考えや価値観に触れ、面白いとともに、「人」が好きになりました。人に生まれてよかった。我慢することも人生においては往々にしてあると思いますが、それでも生きていれば絶対に楽しいことがあると思いました。 そんな何でも楽しめる私は貴社に入れば、どんなに辛いことがあろうと立ち向かい、乗り越え、周りにもプラスの影響が与えられると思います。 続きを読む