アメリカ、カリフォルニア大学デービス校に2014年3月から4月まで留学していました。留学の目的は英語の能力向上と自己成長のためです。私は英語が大嫌いでした。TOEICも300点ほどで海外の生活はしたくもありませんでした。しかし、大学卒業後に社会に出たとき、グローバル化に対応するためにも、そして外国人と交流するためにも英語はひつようだと思いました。また生まれてから早稲田を出たことがなく、代わり映えのない生活を送る中で、新しい刺激が欲しかったことと、親元を離れ自立し自分がどこまでやっていけるかを試したく留学を決行しました。
留学当初は帰国したくて仕様がありませんでした。予想以上に言語の壁というものにぶつかりました。話しかけられても何もわからない、言いたいことは言えない、さらには友達が一切いないという状態でした。いっそ日本にいたならば、もっと有意義なことができたのではないかと思いました。だからといって誰かが救いの手を差し伸べてくれるほどの社会ではありませんでした。社会は何も要求しないものには何も与えてくれなかったのです。SNSで流れてくる日本の友人たちの情報にふれたときに、私は悔しさとともに、このまま帰国してたまるかと思いました。日本でできないことをして、何重にも成長してやると決意しました。ここにきてよかったと思えるぐらいに満喫してやると奮起しました。
そこからつながりをつくることを最優先しました。アメリカという土地で、私の英語能力では、求心力もなくできることも限られていたために、何かをするためには誰かの力をかりなければならないと思いました。はじめはクラスから友達をどんどんとつくっていきました。基本的なことですが、誠実に、素直に、正直に、そして相手を尊重して接することを意識しました。生まれも育ちも全く異なる外国人と相対するときに失礼のないようにしました。約束は守る、自分が誘われたなら次は相手を違うところに誘うなどして、信頼を築いていきました。そうして輪を広げていきました。やがて、現地生徒のサークルに3つ所属し、日本語クラスのチューターを務めることができるようになりました。
思い出深いのがバイブルスタディーというサークルです。聖書の一部について議論するものでした。キリスト教が根深いアメリカならではだと思い、さらには現地の生徒と英語で議論することは英語能力の向上にかなりの効果があると思い、思い切って飛び込みました。コミュニケーションでも苦労したことはもちろんでしたが、最も大きな壁は自分の意見が通じないということでした。日本ではなんとなく自分の言うことを聞いている人たちが察してくれていましたが、外国人には通用しませんでした。論理的な正しさが必要だったのです。宗教という、自分には無縁だったものに触れ、ろくに知りもしないで偏見を持つことは自分の可能性を狭めるということでもよくないことだと思いました。
半年間を通して、TOEICの点数は700点まで達しましたが、それ以上に世界中の様々な人と交流する中で、自分の視野の狭さを自覚したとともに、世界ははてしなく広くもっと知りたいし、触れたいと思いました。学んだことは、受け身になっていては何も得られないということ、つながりは貴重な財産になるとともに自分の可能性を広げるためにも重要ということ、それを保つためにも尊重することが大事だということ、そして自分の意見を他の人に納得してもらうためにも論理的な正しさが必要だということです。
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