「学生時代に最も自らが努力して達成したこと」で最初に浮かぶのは、昨年2月に教育学専攻サブゼミナールの定例会で「Ms.サブゼミ」の2位に入賞したことです。
私の所属している教育学専攻には独自の文化があります。それがサブゼミナール、通称(サブ)ゼミです。サブゼミは一般的に言われるゼミナールとは異なり、担当教授がつかず学生の自主的な意思のみで活動を行います。入会するか否かは個人の自由で、全教育学専攻生の半分近くが入会しています。およそ10のゼミがあり、ゼミごとに主題財とする分野が異なります。ほぼ全てのゼミは毎回、1人の「発表者」がレジュメつまり自分の選択した題材について調べたことをまとめたものを持参して発表に臨み、それ以外のゼミ員は「聴講者」となりレジュメのコピーを手元にその発表を聴きます。そして発表者の提起した問題について発表者を含むゼミ員全員で考えたり討論したりし、最後に発表者が結論と考察を述べるという流れで進みます。基本的に活動は週一度で、そのゼミごとに設定した曜日に行います。私が入学直後に入会したゼミは「学校教育分科会」と「Human Mind」でした。前者には学校教育について授業だけでなくゼミで知識を蓄えたいと思ったためで、また後者には心理学が面白そうだという単純な理由で、それぞれ入会しました。
サブゼミには、毎年2月に全サブゼミ員が遠方の青少年施設に4泊5日の連泊をし、ゼミごとに大きなテーマについて発表を行い、お互いの1年間のゼミ活動の集大成を確認・評価し合うという「定例会」があり、私は一昨年も昨年も参加しました。定例会には毎年、1年生と2年生の有志から構成される委員が存在し、その業務は宿や往復の交通便の確保、レクリエーションの企画・実施、しおり作成、会計など様々で、各係を作り対応します。1年目は会計係として委員活動を行いましたが、先輩である2年生にほとんど任せきりとなり、実際に私がした仕事はほとんどありませんでした。そして2年目、自分が先輩委員となった昨年度の定例会では交通係と、レクリエーション係のリーダーを務めることになりました。定例会への準備期間中である1月頃に、知り合いの先輩ゼミ員に「兼ゼミでどっちの発表も出るのに委員やった人、これまで見たことない」と言われ、「これは絶対にうまくやってやろう」と負けず嫌いな性格の私のやる気は密かに燃え上がったのです。
定例会の発表準備は前の年の11月後半頃から始まり、1月後半に春休みに入ると定例会の前日まで毎日大学で5時間ほど準備活動をします。学校教育分科会とHuman Mindのどちらも毎日集まりがあったため、作業の区切りをつけては2つの教室を行ったり来たりする生活でした。模造紙やパワーポイントで担当箇所の情報をまとめたり、口頭での説明文を暗記したり、それに加え定例会委員の交通係としてバス会社の担当者の方との打ち合わせや交通費の振り込みなどの仕事をし、さらにレクリエーション係としてどのようなゲームをするか、詳細なルールや結果発表の形式はどうするかなどを考え後輩に提示し意見を仰いだりなど、常に作業が山積していました。
そのような多忙な日々を送りながらとうとう定例会当日となりました。私は委員として他の委員たちとともに、普通のゼミ員よりも早くにバスの到着場所に行き、多くのゼミ員が集まってきた後は点呼をしつつ通行人の邪魔にならないように整理をし、また交通係としてバスが到着すると運転手の方に寸志を渡して挨拶をし、初めから忙しさはかなりのものでした。施設に到着した後も、職員の方への挨拶やゼミ員たちの部屋への案内など、常に委員としての仕事がありました。夜には毎日委員だけで集まりその日の反省会をしなければならず、眠気が重くのしかかりましたが「みんな同じだ」という思いで耐えました。2日目と4日目に自分のゼミの発表があり、何度も何度も練習をした甲斐があり、大きな失敗をすることなく自分の担当箇所の内容を伝えきることができました。
最終日、毎年恒例の「Mr.サブゼミ」と「Ms.サブゼミ」つまり「サブゼミといえばこの人!」という計6名の表彰がありました。全ゼミ員の投票で決まるものなのですが、そこで私はMs.サブゼミの2位に選出されました。Mr.サブゼミもMs.サブゼミも、私以外は全員3年生と4年生です。2年生は私一人でした。そのときの嬉しさといったら、言葉で言い表せないほどのものです。準備期間中は毎日やらねばならないことが多すぎて「自分の容量に合っていなかったかもしれない」と、いくつもの役割を背負ったことを後悔した日もありましたが、報われたのです。しかもそれがゼミ員の投票という、周囲の人の意見を反映した結果だったために私はなおのこと嬉しかったのです。私の努力を見ていてくれた人、認めてくれた人がいたのだと、大変だったけれど本当にやってよかったと、心から思いました。
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