17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 明治大学 | 女性
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Q.
あなたを知る上で欠かせない、これまでの経験や具体的なエピソード(800字)
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A.
~誰かの為に頑張ると、自分自身の努力が報われる~ 私は大学生活の4年間を応援団吹奏楽部に注いだ。団体名の通り、大学の体育会各部の応援活動を主に行っている団体であり、その中で最も大きい行事が春秋の東京六大学野球の応援であった。入部した年は1年生で何も分からず、ただ目の前のことをがむしゃらに取り組んだ。その年に春秋連覇を成し遂げ、純粋に神宮球場で将来プロに入団する選手を応援出来る喜びを感じていた。私が感じた一番の魅力は、応援席の運営やお客様の対応、統制を応援団だけで担うという事であった。2000人近いお客様を応援団の力だけで纏め上げ、選手の後押しとなる応援をする、この様な経験は二度とできないと思う。大学3年の秋、私は学生動員対策補佐という野球応援を統括する責任者の補佐を担っていた。業務としては、応援席の運営やお客様の誘導を行う団員のシフト作成、迅速にお客様を誘導出来る様な撤退方法の考案、チケットの申請、応援グッズの販売、パンフレットの作成、動員数増加の為の広報活動等、神宮球場内での動きの全ての監督、そして試合以外の場でも動き回っていた。体力的に辛い時もあったが、これだけ熱くなれたのは、毎戦楽しみにして来て下さる多くのお客様の満足そうな笑顔と、自分の為ではなく選手と共に戦い、勝利した時の喜びを共に分かち合えることにやりがいを感じていたからだ。最も悔しかったエピソードは秋季リーグの最終戦である。勝てば優勝の試合で、プロ野球入りが決まっていた3人の選手を一目見ようと応援席は初めて満席になり、入場制限になるほどであった。学生だけで統率する力を試された試合であった。全員が広い応援席に散らばり、お客様を一手に纏め上げて、選手を後押ししたが、結果は負けてしまった。日々頑張ってきたから悔しさはあったが、それ以上に達成感が大きかった。大学4年になった今、これらの経験を活かし、学生動員対策「責任者」としてラストイヤーを優勝で終えるのが夢である。 続きを読む
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Q.
さらに2つの経験や具体的なエピソード。1つは学業のこと(各300字)
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A.
①~苦手なことは計画的にコツコツと~ 学業では、英語が大の苦手であるにもかかわらず、外書講読の難易度が10の指に入るゼミナールに入ってしまった。内容がとても難しい上に、一人当たりの担当ページが10ページ以上と容量が多く、絶望的であった。そうは言えども、自分の担当日は必ず来るので、私は計画的に1日のノルマを設定し、効率よく予習を進め、結果最高評価のSを取得できた。又、ゼミナール合宿では長野県上田市を訪れ、健康問題についてフィールドワークを通じて学んだ。合宿で学んだことをグループで15000字の論文に起こさなければならなかったが、こちらも計画的に取り組み、一回目の提出で教授に受け取ってもらえた。 ②~全員の意見をくみ取る大切さ~ 私は部活動で上記の役職の他に部の責任者も兼職している。60人近い部員を纏めることは難しく、同じ方向性に向かっているようでも、考えは人それぞれで意見の衝突は起こりかねない事である。私は協調性を大事にする性格であり、自分の意見を押し通すことなく、相手の意見を尊重することが出来る。部の責任者であるが、皆から好かれようと思った事は一度もない。一番の目標は学年間の壁が無く、言い合える関係を構築することであるが、中には話し合いの場で考えはあるのに口に出せない者、本人に直接伝えられない者もいる。そのような者には一対一で話す事で考えを引き出すようにしてきた。それぞれ独特な考えを持ち、「人」の重要性を感じている。 続きを読む
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Q.
志望理由(400字)
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A.
「地域と共に創りあげる街づくり」の仕事に携わりたい。私は小さい頃から父の影響で地元の祭礼が好きで、地域コミュニティやまちづくりの一面を垣間見てきた。祭礼の時期になると、この街に戻ってくる大人を見て、時代が変わっても戻ってくる場所がある事がいかに素晴らしいかを目の当たりにし、「自分の住む街をもっとよくしたい」と思うようになった。貴社の理念である、一貫して地域と共に都市を育むという考えに深く共感している。いくら素敵なビルを建てても、地域住民が求めていたものと異なっては親しまれない。地道な努力の積み重ねで、誰かの為に何かを成し遂げる素晴らしさは応援団で経験してきた。大きなプロジェクトの裏には並々ならぬ議論があり、互いに通じあえた先に描いていた夢の実現が待っている。ここまでわくわくする街づくりは貴社でしか実現できない。東京を世界一の都市にするために、東京にしかない「らしさ」を貴社で追い求めたい。 続きを読む