16卒 本選考ES
総合職
16卒 | 早稲田大学 | 男性
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Q.
あなたは何をモチベーションに働きたいですか。
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A.
一生の間に、CMやポスターなど人の心を動かすことができる『作品』を少しでも多く生み出すことモチベーションに働きたいです。私はこれまでの人生、挑戦を楽しむことをモットーに生きてきました。スポーツに打ち込み、野球の技術を高めたり陸上競技で自分を限界まで追い込んだりと「今はできないことをできるようになりたい」という思いで、自分の能力を高めることを生きがいにしていました。そんな私が大学で選んだ道は、スポーツ新聞サークルに所属し、同じ大学に通う仲間の活躍を発信する記者活動です。それまで文章を書くことにこだわりを持ったことはなく、「記者」という存在は未知の世界でした。それでも記事を執筆する際には、限られた文字数で、自分が見てきたものを最大限に伝えるためにはどうすれば良いのかを常に考えることになります。試考錯誤を続けていると「もうこれでいいかな」と妥協してしまいそうになることもありました。しかし、記事に何をもって良いと判断するかという基準はなく、努力に限界がないと言えるからこそ、助詞の使い方や句読点の位置に至るまで、納得いくまで悩み抜くことが私の意地でした。そして、3年間のサークル活動を通して、記事や紙面のレイアウトを突き詰めていくと、次第に求める要求が大きくなり、表現の壁にぶつかりました。それは新聞という体裁を守らなければいけないが故の様々な制約です。「もっと思ったこと、伝えたいことを自由に表現したい」。そう考えていた時、広告という存在が思い当たりました。記者は世の中で起きた出来事を客観的な視点で伝える仕事です。一方、広告主の要求に沿って、伝えたいことを自由に、幅広い手段で、主観的に表現できる広告には、制約に縛られずに表現できることの可能性を感じます。広告制作の仕事は、自分が発信した情報によって人に影響を与えたり、世の中に新しい価値観を生み出すことができる人間になりたいと考えている私にとって、新たなモチベーションを生み出してくれる環境であると確信しています。これからも新たな世界に飛び込み、自分で自分を成長させているというワクワク感を原動力に、理想を高く持ってどんなことにも全力を出し切りたいです。 続きを読む
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Q.
今までの人生で、最も熱心に取り組んだことについてお書きください。
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A.
タイトル 大学バレーボール特集冊子を2000部発行 所属するスポーツ新聞サークルの活動の一環で、全10大学のスポーツ新聞部と協力してバレーボールのインカレに向けた特集冊子『年刊バレーボール』を2000部発行したことが最も熱心に取り組んだ活動です。大学で本格的なバレーボールと初めて出会い、3年間追いかけ続けてきた集大成として「大学バレーの魅力をより多くの人に伝える」ことを使命に、私は編集部の代表として、冊子制作の中心を担いました。この時私に与えられていたのは「今まで使ったことのない編集ソフトを使いこなす技術を一から習得する」という難題です。冊子を作るためには、普段の新聞制作時に使用するものとは違う編集ソフトの使い方を一から覚えて全48ページをレイアウトする必要がありました。そこで、パソコンに詳しい知人から基礎的な使い方を教えてもらったり、書籍やインターネットで情報を得ながら作業を進め、独学で必要な技術を身につけていきました。また、技術を習得すると同時に編集長として「能力や価値観が違う、異なる大学から集まった編集部員をいかにしてまとめ、皆の思いを形にするか」という壁にもぶつかりました。この課題に対しては、作業の遅れが目立つ部員にやってほしいことを具体的に提示して記事執筆に取り掛かるハードルを下げたり、まめに進捗状況を伝え合うことで徐々に結束を深めていくように努めました。編集の素人がいきなりボリュームのある冊子を作るためには相当な時間と労力が必要でしたが、本来の「大学バレーの魅力を伝える」という目的を達成するためには、内容も妥協するわけにはいきません。より読者目線で楽しめる冊子を作るために、現役大学生の日本代表対談を実現したり、例年は選手間投票のみで選出していた関東大学オールスターにTwitterによる一般投票を導入すると共に関西の大学新聞部にも記事と写真の提供を依頼して、東西の垣根を越えた情報の掲載を可能にしました。SNSを使った宣伝のかいもあり、会場では全ての冊子を配り終え、後日郵送希望の問い合わせが30件以上も寄せられるなど、大きな反響を呼びました。これは、今の自分にはできない新しいことへ挑戦することが好きであるという向上心と、やると決めたことはどんなに苦労しても最後までやり遂げる責任感があったからこそ、成し遂げられたことだと自負しています。内容にもデザインにもこだわり抜き、情報提供という形で大会を盛り上げるコンテンツを作り上げ、大学男子バレーの魅力を広めることに貢献しました。 続きを読む
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Q.
今までの人生で、最大の挫折とそれをいかに乗り越えたかをお書きください。
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A.
タイトル 諦めることは負けではなく、新しいことを始めるためのスタートである 今までの人生で最大の挫折は小学校3年から高校卒業まで10年間続けていた野球を諦めたことです。スポーツの世界で上を目指すことを生きがいにして、野球の技術を高めるために練習に明け暮れる日々を過ごしていたので、辞めると決めた時には将来が真っ暗になりました。そのような状況で転機となったのは、スポーツ選手として生きる道を諦め切れず、高校3年の夏に野球部を引退した後、志願して陸上部に入部したことです。新しい仲間のもとで全く異なる生活を送るようになると、自分がいかに狭い世界で必死にもがいていたかという視野の狭さに気が付きました。環境が変われば周囲にいる人の考え方も、目標も変わり、違う世界が見えるようになります。できることなら大学でも競技を続けたいと思い飛び込んだ陸上部でしたが、最終的に駅伝のメンバーに入ることはできたものの、予想に反して大会が終わる頃には競技者への執着がなくなっている自分がいました。そこで自分の限界を知ったというよりも、それまでスポーツが全てと思っていた自分の将来に可能性を感じたからです。そして、野球にこだわらずとも他の道で同じように上を目指せばいいのだと考え方を変え、大学では記者として記事や写真の技術を追求することを決めました。「諦めることは負けではなく、新しいことを始めるためのスタートである」と思い直せたことで、大学では失敗を恐れず様々なチャレンジができたと思います 野球にこだわっていた頃の私は、結果が出ないからといって諦めてしまうことを後ろめたく、恥ずかしいことだと考えていました。どこかで早く自分の能力を見極めて進む道を切り替えていたら全く違う生き方があったかもしれません。しかし、だからといって野球を続けたことに後悔があるわけでもありません。野球から学んだこと、身につけたことは無駄になるわけではなく、その後の活動に生きたことは間違いないからです。挫折を経て、これからの人生では何かに縛られることなく、興味を持ったことに対して経験してきたこと全てを力に変えて挑戦し、その経験をさらに次への糧にするというようなプラスのサイクルを生み出すことができるようにすることが大切だと学びました。 続きを読む