
19卒 本選考ES
研究職
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Q.
.学生時代の最大の挑戦について教えてください。 必須 500文字以内
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A.
私の最大の挑戦は、研究活動で一から研究テーマを創出したことです。研究室配属当初に教授から言い渡された研究テーマは、諸事情により中止となりました。これをきっかけに、私は研究テーマの立案に挑戦しました。私が所属する研究室はこれまでに、血管や気管支を構成する平滑筋細胞を中心に、発現するイオンチャネルや分子群の機能的な意義を明らかにしてきました。しかし、私が扱う免疫細胞に関する知見は、ほとんど持ち合わせていませんでした。ですので、始めに多くの文献を読み、既知の事実と未知のことの区別をつけました。そこから、いくつかの仮説を立て検証しましたが、当時用いていた実験系では十分な検討を行うことができませんでした。そこで、当研究室にはノウハウのない新規実験系の構築に挑戦しました。初めは技術や知識もなく困難を極めましたが、足りない知識を補い、他分野の先生に技術指導をお願いするなど、積極的に情報収集や技術向上を図りました。その結果、新規実験系を完成させることができました。これにより、研究が大きく前進して、ターゲット分子が炎症疾患において創薬標的となり得る可能性を見出すなど、研究テーマを確立できました。 続きを読む
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Q.
学生時代の最大の失敗について、挑戦とは別のエピソードで教えてください。 必須 500文字以内
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A.
最大の失敗は、大学一年次に、部活の大学リーグ戦でチームの足を引っ張ってしまったことです。私は中学から弓道を始め、大学でも弓道部に入部しました。弓道部は学生連盟主体の東海リーグに属しており、私の大学は下から二番目のⅣ部リーグに位置していました。私が入学する前年にⅤ部からの昇格を果たしており、その勢いのままⅢ部への昇格をチームの目標としていました。その目標に向かって努力してきた成果と長年の経験を評価され、私は一年生ながらリーグ戦のレギュラーメンバーの8人の内の一人に抜擢されました。しかし、迎えた本番では緊張から思うように力を発揮できずに途中交代することとなりました。結局、この年にⅢ部への昇格を果たせないまま、先輩方は引退されてしまいました。私はこの悔しさを晴らすため、課題となったプレッシャーへの弱さの克服に取り組みました。施設に出向き社会人の練習に参加したり、また、町内大会のような小さな大会にも積極的に参加したりするなど、日頃から本番を想定し緊張感のある練習を心掛けました。その結果、試合で練習の成果を発揮できるようになり、大学二年次には、東海学生大会で大学初の団体4位入賞に貢献できました。 続きを読む
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Q.
JCRファーマの志望理由を教えてください。 必須 500文字以内
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A.
独自のバイオ技術、再生医療技術を有し、世界を見据えた研究開発に取り組まれている点に魅力を感じました。バイオ医薬品分野は、治療薬の主流として今後更なる発展を遂げると考えています。貴社はこれまでに蓄積してきた再生医療技術のノウハウを活かし、国産初のバイオ後続品の上市や日本初の他家MSCを用いた再生医療等製品を販売されてきました。これらの業績に示されるように、早期段階からバイオ医薬品開発に取り組んでこられたことで、貴社はバイオ医薬品分野で確固たる地位を築き上げています。そのため、今後もバイオ医薬品分野をリードしていく存在になると考えます。また、近年では独自の画期的な技術である血液脳関門通過技術「J-Brain Cargo」を応用したライソゾーム治療薬の研究開発に尽力されています。この技術を用いることで、これまでアプローチできなかった多くの中枢疾患に薬物を送達することができ、多くの患者様のニーズを満たしていくことができると考えています。私はこれらの画期的な技術を応用し、未だ有効な治療法の存在しない疾患の治療薬を創出することで、世界中の患者様の健康な生活に貢献していきたいと考え志望致しました。 続きを読む