18卒 本選考ES
総合職
18卒 | 慶應義塾大学 | 男性
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Q.
自分なりにチャレンジングな目標を立てて何かに取り組んだ経験、その目標を立てた背景を教えてください。
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A.
世界一周中に行った自転車によるサハラ砂漠の縦断だ。イスラム国を始めとした様々な社会問題を前に、異文化を肌で感じることが、理解や共感に繋がると思い、世界一周を決断した。番組制作会社など5つのアルバイトを掛け持ち、1年間で200万円を貯金し、大学3年次に休学して、1年間の旅に出た。しかし、旅に慣れていく中で、ただ観光地を回り、同じような旅行者と行動する日々に焦燥感を感じた。バスで素通りしてきた本当の現地の生活に触れたい、そして今後経験することがないだろう過酷な環境に身を置きたいと思い、サハラ砂漠2000kmを仲間二人と自転車で縦断することを決断した。途中には町が数か所しかないため、水・食料など50kg以上の荷物を積みながら、テントで生活をした。変化のない景色に、精神的にも疲弊する中で、「先に弱音は吐かない!」と強がる自分の負けず嫌いな性分を感じた。なにより、上り坂を越えなければ下り坂はない、向かい風で漕ぎ続けなければ追い風に気付けない、という自然環境の中で、困難な時の地道なひと漕ぎの大切さに気付いた。心が折れそうな時こそ、「千里の道も一歩から」の信念で耐え抜き、2か月をかけて走破した。 続きを読む
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Q.
周囲と協力して集団で課題に取り組んだ経験について、自らの意志で担った役割とその取り組み内容や集団に与えた影響を具体的に教えてください。
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A.
東日本大震災後の陸前高田での、復興支援コミュニティ広場の創設だ。私は震災直後から3か月間、避難所近くの仮設風呂に泊まり込みで働きながら、地域密着型の支援活動を行っていた。一方で、徐々に訪れるボランティアが減少する現実に直面した。他の長期ボランティア3人と協議し、ボランティアが被災者の喜ぶ顔を見て、やりがいを感じ、再訪して頂くことを目標に、交流の拠点作りに取り組んだ。お年寄りが多く、空気も重く沈んだ被災地で、私は情熱と前向きさを売りに、様々な立場の方に協力を仰ぐ役割を担った。被災者のお宅を一軒ずつ訪問する細やかな「営業活動」を通じて、地元の方から土地と建設技術をお借りし、一方で知り合った短期ボランティアの方々に、定期的に連絡して復興状況を共有することで、98万円の支援金と資材を頂くことが出来た。結果、避難所の側にボランティア宿泊施設を創設、区画内に地元の方の喫茶店などを誘致し、活気ある広場を実現した。また、ボランティアが地域の子供たちと協働し、浸水した田んぼに塩害に強い向日葵を植えるイベントを開催し、夏の再訪と土壌改善を図った。広場は地元の方に引き継がれ、現在も多くの方に利用頂いている。 続きを読む
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Q.
あなたが就職活動および、今後働く上で大切にしている軸について教えてください。
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A.
二つの「多様性」だ。一つは、異なる価値観・経験を持った「多様なメンバー」で協力してプロジェクトを遂行していきたい、という思いだ。被災地・陸前高田では、被災者や他のボランティアと、風呂上がりに焚き火を囲って、様々な視点から語り合う中で、復興という未来に向けた目標を共に描いていった。また、世界一周中のゲストハウスでは、百人百様の旅行者や英語を学びたい現地の若者と触れ合う中で、自分の価値観が広がっていく喜びを感じた。私は、様々な立場の人を巻き込み、信頼関係を築いていく中で、「街づくり」を行う不動産業界を志望する。もう一つは、地域に密着した街づくりによって「東京の多様性」を支えたい、という思いだ。私は世界一周旅行を通じて、100を超える街を訪れ、個性豊かな文化を肌で感じた。一方で帰国後には、東京の江戸時代から続く歴史の奥深さ、一駅過ぎるだけで雰囲気が変わる多面性を再発見した。製販管一貫体制を通じて、お客様の細やかなニーズを拾い上げ、高い顧客満足度を獲得している貴社でこそ、地域の文化に寄り添い、住民の方に長く愛される街づくりが出来ると考えている。 続きを読む