16卒 本選考ES
営業職
16卒 | 立教大学 | 女性
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Q.
専攻・ゼミ・卒論など、学業で力を入れたことについてお答えください300文字以内。
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A.
【世界経済論・山縣ゼミ】 私の所属するゼミは、他大学とのディベート大会、企業訪問、海外研修が主な活動です。その中でも特に、他大学とのディベート大会に力を入れていました。「オバマケアの是非」というテーマでディベートをする機会があった際、オバマケアは既に行われているものであるため反対側で勝利するのは難しいと教授からも言われていました。しかし、簡単に勝利しても面白くない、やるなら難しい方に挑戦したいと、チームリーダーだった私は敢えて反対側を選択し、勝利しました。ゼミを通して、知識だけではなく、納得のいくものができるまでやり通す体力や精神力、説得力を持たせるプレゼン作りやプレゼン力を身につけました。 続きを読む
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Q.
クラブ・サークル活動など、学業以外で力を入れたことについてお答えください300文字以内。
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A.
【放送研究会】 放送研究会の活動の中で、毎年学園祭で開催する、芸能人をゲストに招いたトークショーの運営、企画に最も力を入れていました。昨年、私は企画部としてこのイベントに関わり、トークショーのテーマ設定、芸能人、トークの内容等、一からイベントを作り上げました。河北麻友子さんをゲストに招いてトークショーを行うことになったのですが、河北麻友子さんはトークが得意な方ではなかったため、トークショーが盛り上がるかどうか不安に思っていました。そこで、ただのトークショーではなく、観客がサイリウムを使用しクイズに答えられるようにすることで観客参加型のイベントにし、千人の観客を沸かせることに成功しました。 続きを読む
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Q.
趣味・特技・スポーツなどについてお答えください300文字以内。
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A.
【一五年間の空手道】 六歳から現在に至るまでの十五年間、空手道を続けています。礼に始まり礼で終わる空手道によって、体力や精神力だけでなく、相手に感謝し相手を思いやる気持ちが身につきました。また、小学生の頃から何度も試合に出場する中で、何としてでも結果を出したいというバイタリティが形成されました。大学に進学して東京で一人暮らしを始めてからも、空手を辞めたくないという気持ちから東京で通える道場を探しましたが、私の剛柔流という流派は琉球空手であるため東京では同じ流派の道場が見つからず、通うことは諦めました。そのため、体を動かしたくなったときは、実家から送ってもらった道着を着て一人で練習しています。 続きを読む
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Q.
具体的な経験やエピソードを交えながら、あなたらしく自己PRをしてください。(300〜500文字以内)
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A.
【人の気持ちに寄り添える負けず嫌い】 塾講師のアルバイトで中学受験の算数を担当していました。中学受験クラスを担当して二年目、負けず嫌いな私はいつの間にか合格という結果ばかりを追い求め、生徒一人一人に寄り添うという一番大切なことを忘れていました。そして、大失敗をしました。 ある日、私の担当のクラスの生徒がカンニングを繰り返すようになったため、私はすぐに叱りました。しかしやめる様子はなかったため面談室に呼び出すと、ぽろぽろと涙を流しながら、「お母さんが怖い。」と口にしました。母親からの過度なプレッシャーに耐えられず、カンニングをするしかなかったようでした。私は追い詰められ泣きじゃくる生徒を目の当たりにし、先生という生徒に近い存在であるにも関わらず、生徒に寄り添うこともせずすぐに叱ってしまったことを後悔し、その行動、発言を恥じました。それ以降初心を思い出し、合格という結果を追い求めるだけでなく、生徒一人一人に寄り添っていこうと誓いました。 このように、私の強みは、負けず嫌いな精神、人に寄り添い人の気持ちを考え抜くことができる人間力です。 続きを読む
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Q.
困難・挫折経験とその打開策:今後あなたは、競争が激しいビジネスの現場に身を置くこととなりますが、今までの人生でどのような困難や挫折を経験しましたか。また、その逆境をどのように打開し、乗り越えましたか。具体的なエピソードを交えながらお答えください。(300〜500文字以内)
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A.
【インターンシップで砕け散った自信】 私はプレゼン力にかなりの自信を持って広告会社のインターンシップに参加しましたが、その初日、プレゼン力に加えて発想力を持った他の参加者に圧倒され、その自信は一気に砕け散りました。圧倒された私はアイデアを出すこともできず、自分の存在意義はないように感じました。しかし、どうにか結果を出したいと思い、その日の夜に自分の強みを必死で考え、ゼミの経験から相手を納得させるストーリー作りが得意であることを思い出しました。そして二日目以降はメンバーの意見や考えを組み込んだ上で説得力を持たせるロジックの通ったプレゼン作りに徹し、優勝はできなかったが同立2位という結果を得ました。 続きを読む
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Q.
成し遂げたいこと:変化の激しい広告業界で働いていく中で、あなたはどのようなことを成し遂げたいと思いますか。できる限り具体的にお答えください。(300〜500文字以内)
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A.
【人々が幸せに暮らすことができる世の中を作る】 私は塾講師のアルバイトを通じ、人の心を動かす難しさ、人を動かすためには自らが人に寄り添い、人の気持ちに詳しくなることが大切だと学びました。また、自分の発言や行動によって生徒に影響を与える場面を何度も経験し、そのやりがいを感じました。そのため、人について考え抜き、より多くの人々の生活を良くしたり、より多くの人々に影響を与えるようなことを成し遂げたいと思いました。 モノやサービスが溢れている今の世の中だからこそ、本当に良いものが埋もれてしまっていることがあると感じるため、私は良いモノ、サービスと人々の間に立ち、発信することで世の中に広め、人々に影響を与えたいと思っています。そうすることで、人々が幸せに暮らすことができる世の中を作りたいと思います。 そのためにも、私はまずトップ営業マンになるという目標を成し遂げたいです。営業として人と人の間に立って仕事をし、多くの人と関わり、どのようにしたら人々の心を動かすことが出来るのか、人々にとって何が幸せなのか、ということを考え抜く力、また、考えた上でアイデアを出す力を身に付けたいです。 続きを読む
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Q.
社会を変えていくためには:いまの日本を、もっと、「いいね!」と言いたくなる社会へ変えていくためには、最初に、「どんな人に」「どんなことを」「どんな方法で」メッセージすることが効果的だと考えますか。 あなたが広告会社の社員だとして、その課題に解決する魅力的かつ具体的なプランを考え、それが効果的だと思われる理由、および期待される効果も含めてお答えください。なお、関連する法制度や政策などは変えないものとします。(700〜1000文字以内)
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A.
【「子供を持つ大人たちに」、「子供に多くの愛情を与えることを」、「広告」を使ってメッセージすること】 大人たち、特に子供を持つ大人たちに、子供に多くの愛情を与えることを、広告を使ってメッセージすることが効果的だと考えます。 ビデオカメラを扱う企業と提携し、子供が生まれた時に簡単なビデオカメラを貸し出すようにします。これを使って子供の成長記録を撮り、子供が二十歳になった時にそのカメラの返却をし、成長記録を撮影したビデオカメラを返却すると養育費の援助がもらえる、というシステムを作ります。更に、「親子愛の日」を設定します。そして、この日には、子供たちが生まれる瞬間や初めて歩いた時、叱られ泣いた時、小学校へ入学する時等、子供が成長する過程をまとめた映像をテレビCMや電車内のデジタルサイネージ、街のスクリーン等にビデオカメラの企業の広告として映します。 そうすることで、それを見た子供を持つ大人たちの中に、自分たちも我が子の成長を撮影しようという意識が定期的に生まれると考えます。 大学に入り、サークルやゼミ、アルバイト等様々なコミュニティーに所属したり、就職活動を始めて同じ大学の学生だけでなく様々な価値観や育った環境を持つ学生と触れ合ったりする中で、私はあることに気が付きました。それは、私は今までとても恵まれた環境で育ってきたのだということです。特に家族との関係において、自分ほど愛情を受けて育った人はいないのではないかと思うほどでした。私は一人暮らしを始めた今でも二日に一回は母親と連絡を取っており、また私の両親は生まれてから実家を離れる一八歳まで毎年誕生日には私たち兄弟のビデオを撮り、成長記録を残していました。私はこれまで、それが当たり前だと思って生きてきましたが、様々な人と出会い話をする中で、私が育ってきたこの環境はとても恵まれた環境であったことを初めて認識したのです。 愛情の在り方は様々であるためすべての人が私のようになれとは言いません。しかし、どのような形であれ、親が子供に対して愛情を与えたいと感じるきっかけ、子供が改めて親の愛情を感じることができるきっかけを広告によって作ることができれば、いまの日本を、もっと「いいね!」と言いたくなる社会に変えことができるのではないかと思います。 続きを読む