
23卒 本選考ES
営業
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Q.
選考・ゼミ・卒論など、学業について、”あなたらしく”説明(紹介)してください。(300字以内)
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A.
ゼミ活動として、東京都内にいる路上生活者を訪問し、会話をしながらお弁当を配るNPO団体の活動に参加しました。会話の中で体調や現在の生活状況について尋ね、必要であれば支援につなげることもしています。私はこの活動に参加し、初めて路上生活者の方と会話をしました。それまで私は彼ら彼女らに対して漠然と「怖い」という印象を抱いていました。しかし路上生活者の方と接することでそれぞれの個性や異なる背景が次第に見えていき、自分の中にある偏見意識に気がつきました。「無知は偏見につながる」ということを身をもって感じ、支援において、固定概念にとらわれるのではなく一人一人に向き合い個別化することの大切さを学びました。 続きを読む
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Q.
クラブ・サークル活動・趣味など、学業以外で力を入れていることについて教えてください。(300字以内)
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A.
学園祭実行委員会の活動です。学園祭準備に後輩が集まらないのが課題でした。原因は、昨年度の開催中止もあり実行委員会そのものへの理解不足から生じる不安であると考え、後輩が作業に来やすい環境を作るため(1)進捗状況をメンバー全員がいる場で共有し、具体的な活動内容を想像しやすくすること(2)同期との楽しそうな写真を撮り、自分達の人柄をアピールすること(3)食事の場を設け会話をすることでお互いを知る機会を作ること。以上を実行しました。結果、最後には1、2年生全員が準備に揃い、無事に成功させることができました。これは、親しみやすさを意識しつつ後輩の立場に立って施策を考え実行した結果であると考えます。 続きを読む
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Q.
変化の激しい広告業界で働いてく中で、あなたはYOMIKOで、どのようなことを成し遂げたいと思いますか。自分ごととして、できる限り具体的にお答えください。(300-500)
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A.
クライアントの課題解決を目指すとともに、多くの人の心を動かせるような広告を世の中に発信したいです。説明会に参加しお話を伺う中で、貴社は広告を「アート」ではなく「ビジネス」と捉えており、ゴールではなくあくまで手段であると考える企業であるということが非常に伝わりました。それまで広告に「魅力」を感じていた一方で、広告が持つ「機能」について考えたことがなかった自分にとって広告への認識が変わるお話でした。私は課題解決をするために、クライアントに最も身近な営業職として強みである「相手の立場に立って考える力」を活かしニーズに寄り添った提案を心がけたいです。そのためには、業界研究や企業研究、世の中のトレンドに対する知識が求められると思います。仕事の中で知見を得ることはもちろんですが、自主的に勉強をしたり、普段から常にアンテナを立てておくことで自分にしかできない提案ができるのだと考えます。また、それらのことは生活者の心を動かすためにも必要なことであると考えており、データだけではなく人間だからこそできる生活者視点を大切にしながら貴社で働きたいです。そのようにして、社内外と問わず唯一無二の存在を目指したいです。 続きを読む
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Q.
幼少期から現在まで「自分史」を書いてください。(小学校卒業まで10%、中学校時代30%、高校時代30%、大学入学〜現在40 %)(2000字以内)
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A.
【小学校卒業まで】 いわゆる「真面目なしっかり者」。忘れ物はしない、陸上大会入賞、運動会や持久走大会に向けて毎夜走り込み、テストは一発合格、すべてに全力。習い事はピアノ、書道、体操等で授業でも活躍していた。これらの原点は「期待を裏切りたくない」「がっかりされたくない」という気持ちだったと思う。友人からの学級委員推薦を辞退したのは「失敗してがっかりされたくない」という恐れからだった。 【中学校時代】 ・小学校時代、学級委員を断ったことを後悔し、3年間学級委員や生活委員などクラスをまとめる委員会に立候補しその役割を果たす。 ・小学校時代に市内の大会で入賞経験があり、中学校でも活躍したいと考え陸上競技部に入部。しかしなかなか思うように記録が伸びず、自主的に毎夜走り込みなどのトレーニングを行うも他の部員の記録には追いつけず落ち込む。ただどんなに辛くとも、部活動に通い続けることや挨拶、声かけは欠かさず先輩後輩との良好な関係を保ち続けた。そうした努力もあってか、先輩から次期副部長に任命される。部長と二人三脚で部を支える。 ・夏休みの課題で描いた絵が学校代表で絵画コンクールに出展され県知事賞を受賞する。絵を描くことを得意としておりそれまでも入賞経験はあったが、このレベルの賞の獲得は初めてであったため、自身の成長を感じるとともに大きな達成感を得る。 ・学業においては、定期テストでは2週間以上前から計画的に対策を始め、常にクラス5位以内をキープする。成績表ではオール5を取ったこともあった。高校受験に向け塾にも通い始め勉強漬けの毎日を送るが、第一志望校の判定で最後までAを取ることができず、断念しワンランク偏差値の低い公立高校に入学。 【高校時代】 ・入学してすぐ、仲良くなりたいと考えクラス全員に個別でラインを送る。この積極性はそれまでのリーダー経験から培われたのではないかと考える。 ・第一志望校ではないからこそ良い成績をとり続けようと考え、中学時代同様、定期テストの勉強は計画的に取り組み、クラス5位以内をキープする。毎日課される予習復習にうんざりし友人たちがノートを写しにくる中、自分はどれだけ忙しくとも欠かさず課題には取り組んだ。 ・新しいことを始めたいという思いと、新入生歓迎会での演技に心を打たれ、チアダンス部に入部する。当初はフリを覚えられず苦戦していたが、周りの友人と協力しながらなんとか練習についていく。小学校時代の体操経験で培った柔軟性と中学校時代の陸上競技部で培った脚力を活かし、技の練習に注力し大会ではセンターを経験する。チアダンス部の仲間との関わりが高校時代において最も楽しく、最高の思い出であったと感じている。 ・1年時の文化祭で、クラスTシャツ作りに立候補する。作成にあたって、独断で進めるのではなくクラス全員が納得できるデザインにしたいと考え複数案を出し、色やデザインなどその都度投票を行った。 ・3年生の時、体育祭で行われるチーム対抗の創作ダンスで70名を超えるチームのリーダーを務め、賞をとる。他チームのリーダーに比べダンスの経験が浅いため、技術力ではなく観客とパフォーマー双方が楽しめるダンスを目指して注力した。その後の打ち上げでは幹事を務める。 【大学時代】 ・高校時代同様、周囲に積極的に話しかけ連絡先を交換するなど友人づくりに励む。 ・友人を増やしたいという思いから、キャンパス最大規模のサークルである学園祭実行員会に入会する。その中でも企画局を希望し、配属される。企画書作成などは1年生が行うが、同じチームの先輩から休み時間に親身に教えてもらい、その優しさと偉大さに感動する。 ・飲食店で人生初めてのアルバイトを始める。初日に早速オーダーに挑戦するも、緊張のあまり間違った食事を提供し、客は激怒し店を出て行ってしまう。自分の力不足を実感し「やめてしまいたい」と考えるが、「ここで自分の限界を決めたくない」と思い、続けることを決意する。自分なりに課題を見つけ、施策を実行し次第に慣れていく。現在では「提供が早いですね」と声をかけられることや後輩の育成を任されるようになる。 ・コロナ禍で大学の授業がオンラインとなり、外に出る機会がなくなる。健康維持のため、毎日の散歩と筋力トレーニングを始める。生活リズムが崩れることを懸念し、それまで通り早寝早起きを継続する。また、家にいる時間が増えたため趣味のピアノを再開する。コロナ禍でハマったアイドルの楽曲の楽譜を購入し練習に励む。 ・3年時の学園祭では、準備に後輩が集まらないという課題に対して、強みである「相手の立場に立って考える力」を活かし最終的に全員が揃うことを実現させる。 ・大学の授業では無遅刻無欠席を貫き、3年生の後期ですべての単位を習得し終える。 続きを読む
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Q.
ある社会問題に対し、その課題を解決するために、広告会社だからこそできることは何か。広告会社の役割・機能を踏まえて考えてください。(400-800)
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A.
子どもの貧困問題に対して、広告の基本的な役割である「世の中に認知させる」ことが解決の第一歩であると考えます。 私は大学で社会福祉を学んでおり、貧困問題に関心を持ち生活困窮世帯の小中学生を対象とした学習支援教室のボランティア活動に参加しました。そこに参加する前は、教室に来る子どもたちのイメージとして家庭内で虐待を受けている子どもや、不登校状態にある子どもなどを想像していました。しかし実際の子どもたちの様子としては皆いわゆる「普通の子」で、自分が小中学生の頃に周囲にいたような子どもたちばかりでした。この経験から、子どもの貧困の「見えにくさ」を実感しました。この子たちが生活に困窮しているとは一目見ただけではわからないと思います。 日本の子どもの7人に1人が貧困と言われるかなり深刻な状況ですが、こうした「見えにくさ」が世間的に浸透していない所以であると考えます。貧困とは、遠い国で起こっていることなどでは決してなく、すぐそこに潜んでいるものです。しかし見落とされやすいのも事実であり、当人が貧困状態にあるということに自覚がないこともしばしばあります。貧困は世代間で連鎖するものであるため、今だけの問題ではなく今後の日本社会に大きな影響を与える問題です。 一刻も早く解決するためには社会全体が問題意識を持つ必要があると考えるため、広告によって普段の生活を送っているだけでは気付きにくい「子どもの貧困」と人々との接点をつくることが重要であると考えます。人々の「もしかして」という疑念を作り出すことができるのは、国からの一方的な報道ではなく、常に生活者視点を意識している広告会社だからできることなのではないかと思いました。 続きを読む