18卒 本選考ES
システムエンジニア
18卒 | 大阪大学 | 女性
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Q.
研究課題(ゼミ・卒業論文など)または興味のある科目について説明してください。
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A.
所属する専攻では、2年間は副専攻を持ちその言語や文化を学んだ後、3年生から留学生を含めた同専攻の学生と共に副専攻の知識を持ちより、外国と比較をしながら客観的な視点で日本語や日本文化について学ぶという研究をしてきました。具体例としましては、人称詞の種類と使用、格助詞「は」「が」の区別、日本語と外国語の音素体系・アクセント、「祭」「聖地」「河童」他の文化について、などです。卒業論文については、まだ本格的な研究には取り組めていないのですが、「外国における日本観・日本人観」というテーマで、外国において日本という国や日本人に関してどのようなイメージが根付いているのか、そしてそれらの日本観・日本人観がどのようにして作られたのか、について日本や日本人が描かれた作品や、外国人・外国在住の日本人へのインタビューなどを通して研究をしようと考えています。 続きを読む
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Q.
あなたが学業以外で学生時代に打ち込んだことはなんですか? それに打ち込んだ理由や、それによって得られたものを具体的に説明してください。
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A.
私が最も打ち込んだのは、所属するダンスサークルで一年間、リーダーとして運営に携わったことです。リーダーになることを決めたのは、それまで自分がサークルで得た経験を、一人でも多くの後輩に与えたいという思いからでした。決意はしたもののわずか4人で70人規模のサークルを運営するのは厳しく、責任感から多くの仕事を自分一人でこなそうとして、パンク状態になってしまいました。これではサークルのためにならないと気づき、試行錯誤の末、仲間を信頼して思い切って仕事を頼んだり、役割分担を明確にすることで、一人で抱え込まず、仲間全員が活躍するチームで運営を支えられるようになりました。今では100人超の規模になり、サークルの発展に貢献できたと思っています。仲間を信頼し、信頼される存在になること、自分の価値観を押しつけず、対話を通して人や状況を理解し、課題と解決策を見極め考えること、やり抜くことの大切さを学びました。 続きを読む
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Q.
これまでのあなたの人生で直面した最も困難なこと、それをどうやって乗り越えて来たかについて、具体的なエピソードをもとに説明してください。
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A.
私の人生で最も困難であったと思うことは、インドネシアの高校で日本語ネイティブスピーカーとして日本語教師のアシスタントの活動をしていた時のことです。一度も日本から出たことのなかった私は、現地での想像以上の環境に戸惑い、中でも最も難しかったのが派遣校での活動です。日本語授業の優先度が低く、教師も学生もあまり真剣でないのが明らかで、教師が日本語を話せない、頻繁に授業がなくなる、授業時間が半分も活用されない、誤った知識が教えられる、という状況でしたが、現地の学校事情や、語学力が不足していた私はすぐに問題を改善する提案ができませんでした。そこで私は、授業中のやりとりを理解し、教師と話すためにインドネシア語の会話力を磨き、余った授業時間での学生の興味をひけるような取り組みをすることから始め、授業内容・TTの提案、教材の作成などを経て、授業を改善することができました。さらに、日本語クラブの開設や、他校との共同文化祭の開催も達成しました。環境を言い訳にせず、遠回りをしてでも課題を一つずつ解決したこと、そのために地道に努力をしたことで成し遂げられたのだと思います。 続きを読む