
23卒 本選考ES
総合職
-
Q.
【小学校卒業まで】(250字)
-
A.
(0歳)東京都生まれ。共働きの両親のもとで一人っ子として生まれる。 (保育園)生後6ヶ月から保育園に通園を開始。延長保育に入り、9時から19時までを保育園で過ごす毎日。泥団子作りの上手さで人気者になり、友達を増やした。 (小学校)1年生の夏、友達作りのためにサッカーを始める。負けず嫌いな性格で、どんな些細なことも1番になろうと努力した。6年生の時には都大会で優勝を経験した。人に喜んでもらうことが好きで生徒会に立候補し、学校の75周年記念式典のまとめ役を務めた。 続きを読む
-
Q.
【中学時代】(500字)
-
A.
(中1)高いレベルに挑戦するために受けたFC東京U-15の入団試験に合格し、入団。入団倍率100倍の壁を乗り越えたことで自分に自信がついた。交換留学生と仲良くなるために英語を猛勉強。自分が通訳を担当し、留学生を輪の中に溶け込ませることに成功した。 (中2)習字未経験で区の書写展で入選。日頃から字を丁寧に書く習慣が結果として現れ、継続の重要性を実感した。サッカーでは出場機会を得られず、悔しい日々を過ごした。毎日練習後30分の自主練を行い、振り返りノートを記入。改善点と次の練習に向けた目標設定を言語化して整理した。結果、少しずつ出場機会を増やすことに成功した。 (中3)推薦を受け、生徒会議長を務めた。校内の意見交換を活発にするために目安箱を設置。要望を施策として実現できた際に、学内で感謝の言葉をかけられ、周囲のために主体的に動くやりがいを感じた。FC東京U -15では副キャプテンを任され、チームの全国制覇の目標に向かって組織をまとめた。結果、冬の全国大会で優勝できた。人をまとめ、仲間と協力しながら目標達成していくことにやりがいと楽しさを感じた。学力も重視し、文武両道を掲げる校風に惹かれ、都立駒場高校を目指し合格。 続きを読む
-
Q.
【高校時代】(750字)
-
A.
(高1)FC東京U -18に昇格することができたため部活動には入らず、帰宅部になる。部活動の盛んな学校だったため、学校の中では浮いた存在だった。自分を曝け出すことを意識してコミュニケーションを取り、次第に仲間に溶け込めるようになった。チームではBチームに所属し、Aチームに昇格するためにもがきながら成長した。同じポジションの選手を巻き込み、自主練メニューの共有や試合映像の分析を行って徹底的に弱みを潰し、強みを成長させることに拘った。 (高2)サッカーの海外遠征でオランダ、ベルギー、ドイツに行く。街で大麻が売られ、スリの多発する現状にカルチャーショックを受けた。電車が定時に来ること、遅刻しないこと、など当たり前だと思っていたことが覆され、「日本人」としてのアイデンティティに気づく。多様な考え方や価値観を受け入れることの重要性を学び、日本に帰国後も「人の意見を聞く」ことをより意識するようになった。 (高3)責任感とリーダーシップが評価されFC東京U -18の副キャプテンに任命された。チームの目標は全国優勝を掲げ、日本一のチーム作りを目指した。互いに要求し合い高め合う雰囲気を作るために、まずは自分が一番その姿勢を体現するように務めた。結果、1年間を通じて負けないチームになり、全国2冠を達成することができた。卒業後の進路として、「スポーツを通じたライフスキルを獲得する過程や醸成要因」について、その道の第一人者である教授のもとで学びたいと思い、慶應SFCを志す。大学進学に関してはスポーツ推薦での誘いもあったが、学びとの両立がしたいと考え、全てオファーを断り受験に一本化した。退路を断ち、自分を奮い立たせて受験勉強に奮闘した。入試は無事合格し、慶應義塾大学総合政策学部に進学。 続きを読む
-
Q.
【大学以降】(1000字)
-
A.
(大1)体育会ソッカー部に迷わず入部。リーグ戦開幕節から試合に出場し、1年生ながら早慶サッカー定期戦の舞台にも立った。出場できない先輩部員が悔しさを堪えて応援する姿を目の当たりにし、自分の行動一つ一つに責任感を持って行動する必要があると強く感じた。9月、試合中の接触で膝の靭帯を断裂し、全治8ヶ月の長いリハビリ生活が始まる。学びの面では1年生のうちからゼミに入り、受験時代から学びたかった教授の元で学んだ。 (大2)4月に怪我から復帰したものの、完治はせず復帰と離脱を繰り返していた。完治しない原因が分からず、もどかしい思いをした。プレーヤーとして貢献できなくてもチームに貢献したいと強く思い、新たな挑戦として早慶戦の運営と部の広報活動に挑戦した。大学スポーツの新たな価値を創り出すために、地域、大学、スポンサー企業など「大学サッカーの作り手を増やす」ことに注力した。様々な関係者を巻き込むために、メールでのやり取りだけでなく実際に直接お会いしてメリットの訴求に加えて熱意を伝えることを意識した。 (大3)コロナウイルスが蔓延し、部活が約3ヶ月間活動停止になる。部員のモチベーション低下を避けるためにZoomを使ったオンライントレーニングを開催。一人でやると地味でつまらないトレーニングも、共有して行うことで楽しむ要素も生まれ、結果的にトレーニングの質も向上させることに成功した。思うようにいかない中でも思考を止めず、仮説検証を繰り返すことで現状打破してきた。 (大4)チームの副将に就任。140名の部員の矢面に立ち、常に手本となる行動、どんな意見も否定はせず個々人の想いを聴くこと、リスペクトし合う関係性を部員一人一人と作ること、の3点を意識して行動した。組織内で起こる粗相や、予期せぬ問題に対して悩まされることも多かったが、仲間の信頼を裏切れない使命感と本気で切磋琢磨し合える同期の存在に刺激を受け乗り越えることができた。プレーヤーとしては2月の練習試合中に膝の同じ箇所を再断裂し、「ほぼ引退」という事実を突きつけられた。なんとか最後の試合に間に合わせ復帰することで今まで支えてくれた方へ感謝の気持ちを示したいと考え、リハビリに熱中。無事、復帰を間に合わせることができ感謝の想いを形にすることができた。研究活動では「危機感」という概念の因子分析を行い、その醸成要因について考察する論文を執筆。在学延長制度を使用し、就職浪人することを選択。 続きを読む