22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 非公開 | 男性
-
Q.
自分史:小学校以前
-
A.
0歳)代々木上原で出生 (保育園)両親が広告代理店に勤め、激務だったため毎晩夜間保育園に残り、親の迎えを待っていた。保育士が手厚く面倒を見てくれたため寂しい思いはなかった。休日は旅行(1歳でグアムにて初海外デビュー)や習い事(ピアノや水泳)をし充実していた。 (小学校)4年生時にピアノの全国大会に出場。「スポーツで協調性も学べ」と親からテニススクールに通わされ、結果的に6年間テニスに没頭。大きなテニススクールで、定期的なクラス替えがあったため多くの友達ができ、楽しく練習に励んだ。 続きを読む
-
Q.
自分史:中学時代
-
A.
2012年4月 ○○中学校入学 (中1)SPをしている父親の友人に会い、影響を受け剣道部に入部。高校生の先輩達に混ざり、ザ・武道家の顧問の元で週5日の厳しい稽古に打ち込む。初の地区大会において中学生チームメンバー選抜で落選し、悔しさから1人の友人と共に朝の自主練を始める。努力が実り、3ヶ月後の都大会メンバー選抜にて補欠メンバー入りを果たす。その頃から朝練に同期や1つ上の先輩達が参加してくれるようになり、充実感を味わっていた。 (中2)主力メンバーとしてメンバー入りを続け、大会も都大会出場を常として目標の関東大会に向けて稽古に注力。 (中3)後輩の急成長と自身のスランプが合間って中3時の初都大会で選抜メンバーから落選。やる気を喪失し、高校進学の為の学業を言い訳に部活を欠席するようになる。1ヶ月が過ぎた頃、顧問と真剣に話し合った末、現実逃避をしていた事に気付き涙ながらに部活に復帰。失った信頼を取り戻す一心で稽古に励むと同時に、後輩達の稽古準備を毎日手伝いメンバー復帰を目指した。結果、中学最後の大会ではメンバーとして選抜されチームとしても過去最高の都ベスト16進出を果たした。 続きを読む
-
Q.
自分史:高校時代
-
A.
2015年4月 ○○高等学校入学 (高1)常に新たな挑戦をしたい性格から、中高一貫して同じ部活所属が通常という暗黙裡に疑問を覚え、軟式野球部へ学年唯一の転部。話したこともない同期や大勢の先輩に注目されながら初めはフライすら取れず、恥ずかしさと同時に悔しさを感じ1日も早く技術を身につけようと目を皿のようにして部員達の練習を見て食らいつく日々。 (高2)野球の基礎も身につき、人間関係も同期全員と仲良くなり先輩達からも可愛がられるようになった。特に後輩から中学からのプロパー部員以上に慕われる存在となり、自分の”人間力”に気付いた。一方で先輩の試合に出場している同期を見て、負けず嫌いな性格から自分も絶対にベンチ入りしたいと強く思うようになり、練習の中で更なる技術向上に努めた。同時期、国連で働いていた80歳の学校OBの講演を聴く機会があり、人生の最後までグローバルに飛び回る姿に大きな魅力を感じた。 (高3)進学するタイミングで8人の同期が退部。自身も試合出場のチャンスが中々貰えない事が不満で監督へ改革を頻繁に申し出た。ある日監督からの「お前は口や理論ばかり語るが、行動は起こしてるのか?」という言葉から、行動での自己のアピールの不足に気付き、後輩も巻き込み誰よりも練習後の自主練をしたり役職に立候補して監督との積極的なコミュニケーションを図った。残った同期6人で最後まで頑張ろうという強い団結の元、関東大会出場を目標に掲げ練習に打ち込んだ。結果として引退試合までレギュラーメンバーとして出場することは叶わなかったが、よく環境に耐えて最後までやり切ったと自分で誇りに思える充実した部活動生活だった。サッカー部コーチ兼担任からの「よく最後まで続けた」という言葉は今も胸に残っている。 続きを読む
-
Q.
自分史:大学時代
-
A.
2018年9月 ○○○○○大学入学 (ファウンデーション年)大学寮の初日、シェアキッチンで英語ネイティブの会話に一切参加できず相手にされない悔しさで夜ベッドで涙した。ホームシックになりつつも、一度始めたら納得するまで引きたくない自分の性格から何とか早く英語を習得しようと、毎日図書館に閉じこもり夜9時まで英語の学習を徹底、寮では自炊を徹底し強制的にキッチンに行き学生達と会話する場を生み出した。以前の日本生活のぬるさを感じ、必死になった際の自分のストイックさを同時に発見。 (大1)英語の生活環境にも慣れ、夜に友人達とパブやクラブに通う中でAsian Societyという学生団体の代表者に出会う。団体再建のためのイベント企画を引き受け、多人種な学生達とミーティングを重ねた。団体の認知度と来場者リピート率の低さをボトルネックとして特定し、SNSでの積極的なPRと徹底した来場者ケアが解決策として決まるが、実行段階で文化的な違いから団体メンバーの収集がつかず頭を悩ませた。とりあえず自分が動こうと思い、誰よりも積極的に改善案を実行。すると徐々にアクションを起こすメンバーが増え、結果としてイベントの来場者数が前回比6倍の50人→300人に向上し達成感を感じた。何より団体メンバーからの感謝や来場者の感想が胸に響き、その後も企画主任として団体運営に携わることを決意。 (大2)コロナが深刻化、日本に急遽帰国。夏休みを有意義な時間にしたいと模索し、長期インターンへ挑戦。ベンチャー企業にて15人の多様な学生達と新規事業立案、事業のローンチに向けた資金集めのため既存事業の営業を行った。得意な企画では自分の事業案が採択されたが、営業で個人売り上げが3ヶ月間上がらず一度逃げ出しそうになった。そんな中、メンターからの「仕事上のもう一人の自分を作り、演じろ」というアドバイスと同期からの「企画は面白いが、必死な行動が見えないお前に付いていこうという気は起きない」という言葉から、出社前/後の1時間の徹底したロールプレイや優秀な同期の隣に席をおいての業務を行い、5ヶ月目に初月比2→15万の月間売り上げを達成、事業もローンチに成功。自主的な行動で示す、そして初めて周りを巻き込め周りが力になってくれると言う事、今までの成功体験にはその要素が入っていることに気づいた。 続きを読む
-
Q.
当社志望度にポジティブな影響を与えた情報、その理由
-
A.
企業ホームページ...挑戦を強く歌っており、若手でも活躍できるように思えたから。 続きを読む
-
Q.
最も印象に残る当社社員の名前、その理由
-
A.
〇〇さま...若い年次から、事業の立ち上げに関わりその後も責任者として任せられており、その活躍が印象に残ったから。 続きを読む