22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 中央大学 | 男性
-
Q.
専攻・ゼミ・卒論など、学業で力を入れたことについてお答えください。
-
A.
私は金融学科に所属し、ファイナンスに力を入れて学習していました。中でも金融商品については深く学習し、債券価格や株価の理論について計算を通して学びました。非常に難解な計算が多いのですが数多くの計算をこなし、さらに新聞で金融商品の記事を読むことで身近なものとして捉え理解を深めやすくしていました。また、私は必ず授業に出席すると決めていました。周りの友達が徐々に出席しなくなっていく中、私は一つ一つの授業を大切にしたいという思いで必ず出席しました。結果として今まで欠席したのはインフルエンザになった時のみで、3年間で一度も単位を落とすことなくGPAは3.2を取得することができました。 続きを読む
-
Q.
変化の激しい広告業界で働いていく中で、あなたはYOMIKOで、どのようなことを成し遂げたいと思いますか。できる限り具体的にお答えください。
-
A.
広告の力を使って社会の課題を解決したいと考えています。広告は買う、使うといった欲望を加速させる役割を担っていると考えます。この消費活動が促進されることは結果的にゴミが増えることに繋がります。しかし近年プラスチックを始めとしたゴミ問題解決への社会的意識が高まってきています。これまで広告の力によって多くの消費が促進されてきました。また新型コロナウイルスによりこれまでの暮らし方も見直され、新たな生活スタイルも生まれてきました。このように時代に合わせて広告も変化する必要があり、ゴミの削減に繋がるメッセージを発信したり、新たなライフスタイルを提案していくことが重要だと感じます。そのほかにも近年はSDGsといった課題解決への取り組みが広がっており、広告の力で社会に貢献していきたいと考えています。未来を見据え都市生活研究をしている御社の取り組みは社会課題の解決に繋がると感じました。また主体性を尊重する環境である御社であれば社会に向けてこれまでとは違った時代の変化に合わせた提案ができると考えました。 続きを読む
-
Q.
幼少期から現在までの「自分史」を書いてください。 (小学校卒業まで:10%200字、中学時代:20%400字、高校時代:30%600字、大学入学~現在:40%800字)
-
A.
〇〇県の〇〇村という小さな村で生まれました。コンビニが2つしかないような自然豊かな所です。小さい頃から遊びといえばテレビゲームなどではなく、外で体を動かしたり森の中に秘密基地を作ったりして遊んでいました。毎日学校の帰り道では通ったことのない場所に行ってみたりしていたため、常に冒険のようなワクワク感がありました。植物や昆虫などたくさんの「夢中になれる素材」に囲まれて大自然の中でのびのび育ちました。 そのまま村の中学校に入学しました。卓球部に入ることを決めていたため友達に声をかけ、団体戦に出場できる人数を集めて卓球部に入部しました。部活動以外にも家で自主的に練習をし、常に向上心を持って取り組みました。2年生から部長を務め、チームをまとめて引っ張っていきました。また掃除当番では3年間トイレ掃除をし続けました。臭かったトイレも私が掃除すると臭わなくなり、多くの先生から褒められるくらい熱心にトイレ掃除をしました。勉強にも率先して取り組むようになり、定期テスト前には自分で勉強の計画表を作り、計画的に勉強をするようになりました。勉強がとても楽しく、1日8時間ほども勉強していました。2年生の終わりには自ら生徒会長に立候補し当選を勝ち取り、生徒全員が主役になれる学校を目指して活動しました。最後の文化祭では生徒全員が主役となって楽しめる企画を考え、準備のために夏休み中毎日学校に行って作り上げたことで、大成功させることが出来ました。 家から電車で1時間かかる隣町の高校に進学しました。今まで1学年60人の学校で過ごしてきたため、1学年280人という人数には驚きました。高校時代は部活動に一生懸命打ち込んでいました。高校でも卓球部に入部しましたが毎日夜まで部活動に励み、1時間かけて帰宅すると21時を過ぎることも多々ありました。そんな生活に慣れるのに時間がかかりました。2年生で部長になり部員みんなの意見を聞き、部を良くしていこうと取り組みました。練習メニューを初めから作り直したりと伝統に囚われず、皆で試行錯誤しながら活動しました。部長を務めるのは大変でしたが、団体戦でチームとして戦っている時の団結力と勝利した時の喜びを感じた時には達成感を感じました。3年生の文化祭では開祭式係の係長として、文化祭のスタートを作り上げました。身体中に蛍光塗料を塗って全校生徒の前でダンスをしたことは今でも忘れられません。部活動引退後は毎日遅くまで教室に残って、友達と受験勉強をしていました。大学受験は思うような結果が出せず、悩んだ結果浪人することを決意しました。地元の近くに予備校はないため、〇〇の予備校の寮に入り勉強しました。よく浪人は辛いと言いますが、私は浪人中辛いと感じたことはなく、常に楽しみながら勉強できました。朝から晩まで勉強する生活を続け、学力的にも人間としても成長できる1年間でした。今では本当に浪人して良かったと感じています。 大学入学と同時に上京してきて、〇〇寮に入寮しました。この寮は高齢者施設と合築した日本初の学生寮で、寮生の自治によって運営されています。係分担や掃除当番があり共同生活の中で様々なことを学びました。また高齢者施設と合築しているため高齢者の方と交流したり、合同で避難訓練を行ったりしました。2年生で退寮するまで、日本で唯一ここでしかできないことをたくさん経験しました。大学ではアナウンス研究会というサークルに所属しました。いくつか活動があり私はドラマを作る活動をしていました。脚本を書いて撮影して編集する作業を皆で協力して取り組むことに楽しさを感じました。またドラマを完成させた時に感じる大きな達成感もとても好きでした。コロナ禍で今まで通りの対面活動ができなくなってしまい皆がモチベーションをなくす中、私はオンラインでできる活動を提案すると同時にコミュニケーションを取ることを重視し、主体的にコミュニケーションの場作りに努めました。その結果、新たな活動が生まれ一時は全く活動がなくなり傾きかけていたサークルに、一体感と活気を取り戻し立て直すことに成功しました。またある時YouTubeで海外の映像を見て、自然の美しさに一瞬で心を奪われました。そこから映像制作にのめり込み、結果的に1年間で50本作品を作るほど熱中するようになりました。初めは自分でカメラやドローンを購入し、撮影して編集するという自主制作をしていました。しかし次第に制作現場を経験してみたくなり、自らディレクターの方に連絡し、MV制作やLIVEにカメラマンとして参加させていただくようになりました。制作現場では多くのことを学びましたし、カメラの技術なども向上しました。その中でも特に、様々なスタッフが携わり協力して制作していく部分から、一人では決して作り上げることができないチームワークの重要性とチームで作り上げることの楽しさを学びました。 続きを読む
-
Q.
今後さらに進む「キャッシュレス社会」によってもたらされる新たなビジネスを考えてください。またそのビジネスを世の中に広く知らしめ、事業として拡大するために、広告会社として、どんな企業へ、どのような広告コミュニケーションプランを提案することが有効と考えますか。 なお、関連する法制度や政策等は変えないものとします。
-
A.
私が考える「キャッシュレス社会」によってもたらされる新たなビジネスは、「キャッシュレスご祝儀」です。冠婚葬祭におけるご祝儀や香典をキャッシュレス化し、事前にアプリ上で送金できるというビジネスです。これによって結婚式や葬儀のためにご祝儀袋や香典袋を用意したり、現金を持ち出す必要がなくなります。 このビジネスを世の中に周知するためには、冠婚葬祭を執り行う企業へ、CMという形での広告コミュニケーションプランを提案することが有効だと考えます。結婚式や葬儀は結婚式会社や葬儀会社に作り上げてもらうため、ご祝儀や香典をキャッシュレス化する上ではこれらの企業を中心にビジネスを拡大していくことが重要だと感じます。また日本の冠婚葬祭の場面においては、現金文化が強く残っていると感じます。そのためこの分野における世の中のキャッシュレス化の意識はとても低いと考えられます。そこで世の中に広く知ってもらう必要がありますが、CMは他の広告コミュニケーションプランに比べて、世の中に広く知らしめる力に長けていると感じます。冠婚葬祭は全国どこでも、誰にでも直面する可能性があるため、日本全国に広めることが可能なCMというプランを打ち出し、それをきっかけに事業を拡大していくことが最も適していると考えます。 続きを読む