21卒 本選考ES
HR
21卒 | 京都大学 | 女性
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Q.
あるグループに参加し、全体を率いて、必要なサポートを獲得し、卓越した結果を実現した実例を説明してください。
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A.
○○部で部員増加のため活動したことです。日本一を目指して入部しましたが、出場停止と3部リーグに降格という処分の後で入部者が激減しており達成が困難な状況でした。高校時代に新歓活動で失敗していたため、同じ失敗をしないためにも主体的に取組もうとリクルート班代表となりました。それまでの新歓活動は部員間に新歓能力に差があり特定の個人に負担が偏っていました。期間が限られているため個人の活躍では限界があり、部員全員の活躍が大切だと考えました。私の強みは一人一人と向き合うことであるため、新歓を不得意とする人の意識を引き上げることに注力しました。能力差の原因として部活の魅力を上手く伝えられるかだと考えたため、他団体との差別化についてミーティングを何度も行い、新たな視点を持って新入生にアプローチ出来るようにしました。また、新入生勧誘を得意としない人に対して、ノウハウをマニュアル化したり個人的に相談したりと、活躍を促しました。結果、全員が新入生を受け持つことができ新歓活動を行えたため、並行して関わることのできる新入生が増え、入部者数を約1.5倍に増加できました。この経験から、集団として協力し全員が活躍できる環境を整えることによって良い成果を生み出すと学びました。 続きを読む
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Q.
他者とともに仕事をする上で、見解の相違があっても生産的な関係を作り、保つことができたときについて説明してください。
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A.
ラストシーズンに怪我をして、チームに支障をきたしたことです。私はレギュラーとしてディフェンスの一角を担っていました。しかし、リーグ戦中に膝の怪我をして戦線を離脱しました。医者にリーグ戦後のトーナメント決勝戦に間に合うかどうかと宣告されました。やりきることと支えることの大切さを高校野球で学んだため、決勝までの試合の間選手の枠組みを超えてチームを支え、決勝に向けて万全の準備をしようと決めました。個人としては2ヶ月間徹底してリバビリを行い、決勝の相手校を研究、分析しました。その結果はチームにも共有しました。また、私の代わりに下回生がメンバーとなりましたが、ミスに対して縮こまってしまい良いプレーができず、全体としても連携が取りづらくなっていました。そこで、毎練習後練習のビデオを代わったメンバーと一緒に見て、反省をし、自分の考え方やプレーを伝え、成長できる環境を整えました。結果、その下回生も残りの試合に活躍し、無事決勝へと進出できました。そして自分も決勝戦に間に合わすことができ出場できました。結局負けてしまいましたが、組織として同じ方向を向くことができていれば関わり方は多様であり、自分の貢献を最大化できるのだと学びました。 続きを読む
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Q.
あなたがプロジェクトの方向を変え、その結果、時間やコストが削減された例を説明してください。
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A.
1年生大会のルール改正を行ったことです。私は○○協会西日本支部の新入生育成の部署に所属していました。現在の○○競技の状況として関東が一強の状態でその他地域の発展が遅れていました。関東には○○部のある高校が数校あり、1年生の段階で育成された選手が存在します。このことは地域差の一因であり、1年生の育成を関西地域全体として力を入れる必要があります。各大学の育成に対して深く干渉することは人材の問題もあり困難であり、各大学の1年生が目標とする1年生大会を変化させることで地域全体の育成に影響を与えようとしました。競技性から鑑みて、オフェンスの上達によりディフェンスが上達すると考えられます。そのため、オフェンス機会を増やすことでオフェンスが育成されると考えました。しかし、現行ルールでは育成用ルールとしてコートサイズの縮小とコート人数の減少があるのみでした。1年生の段階ではディフェンス能力が高くないためオフェンスを積極的にしなければ試合が冗長になってしまいます。実際、点差ができた段階でオフェンスを緩めてしまうことは問題となっていました。そのため、新ルールとしてアメリカで行われていた○○制度の導入を検討しました。支部長に対して現状とルール改正に対して意見を述べ、審判部や強化部と話し合いの場を作っていただき導入することができました。結果としてオフェンス機会が増え、総得点が約2倍となりました。この大会は○○協会管轄の公式戦であり、学生側からルール改正に携わる例は少なかったのですが、問題に対して主体的に動くことで組織の末端からでも大きな決定に携われると学びました。 続きを読む