22卒 本選考ES
開発職
22卒 | 東京大学大学院 | 男性
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Q.
◆志望動機(協和キリン)あなたが協和キリンを志望する理由を教えて下さい。(全角400字以内)
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A.
革新的な医薬品を世に送り出し、少しでも病気で苦しむ人たちの力になりたいからです。私は幼少期に喘息やアレルギーなど多くの病気で苦しみ、また祖父ががんで亡くなった時、次第に弱っていく姿に家族としてとても辛い思いをしました。この経験から、患者やその家族の辛さを身をもって痛感し、同じような苦しみを感じている人たちの助けになりたいと考えています。そんな私にとって、病気と闘う人たちの笑顔のため、「いのち」に真摯に向き合い続ける貴社の姿勢はとても魅力的に感じました。さらに貴社は、他社に負けない独自の技術を築き、また今後は多様なモダリティにも挑戦し、さらなる革新的な技術を構築することを目指しています。そのような挑戦的な姿勢を持つ貴社で、患者さんやその家族の笑顔のために日々挑戦を続け、画期的な新薬を届けたいと考えています。 続きを読む
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Q.
◆志望動機(職種)あなたが当社の開発職(希望職種)を志望する理由を教えて下さい。(全角400字以内)
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A.
私が開発職を志望する理由は2つあります。1つは、責任とやりがいの大きさです。研究職の努力により創出されたタネを医薬品へと変える開発職の仕事において、その力量次第で新薬の価値や患者さんのもとに届くまでの早さが大きく変わるという点に大きな責任とやりがいを感じました。特に貴社では早期から幅広い業務に携わることができるため、若いうちから多様な経験をして成長できる環境があると考えています。もう1つは、多くの人と協力し、大きな価値を生み出す職種だからです。私は部活を通して、多くの人たちがそれぞれの個性を最大限活かし、協力することでより大きな力を発揮できることを経験しました。開発職としても、社内外問わず様々な立場の人とお互いの強みを持ち寄ることで、一人では成し遂げることができないような高価値の新薬を世に送り出すことができると考えています。 続きを読む
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Q.
◆研究概要とその意義あなたが現在取り組んでいる研究の概要と研究の意義を教えて下さい。(全角400字以内)
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A.
研究テーマはRNAを足場とするインスリン受容体基質(IRS)複合体の機能の解明です。動物の代謝や成長を司る主なホルモンとしてインスリンやインスリン様成長因子があります。IRSはこれらのホルモンが働くために必須のタンパク質であり、IRSに異常があると糖尿病やがんなどの疾病が発症することが知られています。近年、IRSが生体分子の一つであるRNAを介して、多くのタンパク質と複合体を形成することがわかってきましたが、その複合体が持つ機能はほとんど解明されていません。そこで私は、「RNAを介してIRSと結合するタンパク質」と「結合を仲介するRNA」の2つの側面から、IRSが形成する複合体の機能を明らかにすることを目標としています。本研究により、IRSが代謝や成長を制御する機構を解明することができれば、RNAやタンパク質を標的とする様々な疾患に対する治療法の確立に繋がると考えています。 続きを読む
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Q.
◆成し遂げたこと(複数人)これまでの人生で複数人で成し遂げたことについて、その内容とあなたが果たした役割を教えて下さい。(全角400字以内)
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A.
大学の部活で全国大会優勝を成し遂げたことです。私は大学時代、80名以上が所属する躰道部で幹部を務め、練習計画の立案や実技進捗の管理を行っていました。全国大会優勝を目標としていましたが、練習を進める中で新たな実技課題が生じ、当初の計画よりも進捗が遅れてしまうという壁がありました。残りの時間を最も効率的に使うことが重要であると考えた私は、指導者や部員との話し合いを通して練習の優先順位を整理することにしました。話し合いの中で、意見の対立が起こることが度々ありましたが、部をまとめる立場として、双方の意見が最大限反映されるように尽力しました。このような行動をとった理由は、全国大会優勝という高い目標を達成するためには武が一体となって活動に取り組む必要があると考えたからです。結果として、部が一体となって効率的な練習を進めることができたことで、目標であった全国大会優勝を成し遂げることができました。 続きを読む
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Q.
◆自身の軸あなたが行動や判断をする際の「自身の軸」を、エピソードも交えて教えて下さい。(全角400字以内)
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A.
「一度決めたことは可能性がある限り諦めないこと」が私の軸です。私は大学時代、全国大会優勝を目標として躰道部に入部しました。しかし2年生の時、医師から選手としては続けられないと言われる大怪我を経験しました。全国大会の出場メンバーに選ばれるかもしれないというタイミングだったため、ショックが大きく、部活を辞めることも考えました。しかし、復帰できる可能性がゼロではなかったため、マネージャーとして部員をサポートしながら厳しいリハビリを続けました。そして1年後に復帰を果たし、その後は怪我で遅れをとってしまった悔しさをバネにして、人一倍熱を入れて練習に取り組みました。結果として最終学年の時に、リーダーを務めた競技でチームを日本一に導くことができました。 続きを読む