16卒 本選考ES
総合職
16卒 | 青山学院大学 | 男性
-
Q.
電通のキャッチコピーを1本考えてください。 20文字以下
-
A.
ふーん→おお!そして「やべぇ!!」に 続きを読む
-
Q.
現在のあなたを形成している、人生の3大エピソード(体験)を挙げてください。 400文字以下
-
A.
①剣道です。私は小学校から10年間剣道を続けていますが、小学校時代から同じ地区に何度試合をしても勝てない人がいました。私はその人に絶対勝とうと、日々の稽古はもちろん相手の試合を見て研究し技を相手のために合計30個用意し最後まで諦めず相手に食らいつきました。そして高校最後の試合で勝つことができました。②大学選択です。私の実家は自営業で地元の大学を卒業後は実家を継ぐことになっていました。しかし私は決められたレールに乗って人生を終わりたくないと考え、自分の人生は自分で決めると両親を説得し東京の大学に進学しました。自分の思いの強さで運命や行動は変わることを証明しました。③「朝まで生テレビ!」学生スタッフの経験です。そこでは予期せぬ事態が多々発生します。中でも放送中に視聴者アンケートで追加の質問が決定したことがあります。人員的にも時間的にも余裕がない中の集計でしたが焦らず臨機応変に対応ができました。 続きを読む
-
Q.
あなた自身が課題に立ち向かって、答えをつくったエピソードを教えてください。 400文字以下
-
A.
私は大学1年生の時、西東京FMで学生運営の番組制作をしました。そこでの課題はリスナーを増やすことでした。誰も知らない普通の大学生がラジオをしても聞く人がいない中、どのようにしてリスナーを集めるかが問題でした。私は制作と構成を担当していたため制作側からの解決を試みました。そして私は番組内にクイズのコーナーを作りました。クイズの解答はリスナーが電話で答えるのですが、その解答者は次の問題の解答者を紹介する形にしました。そして全問正解で解答者全員に商品をプレゼントしました。そうすることで、ラジオの生番組という特性を活かし、リスナーを1人ではなく複数人巻き込むことができました。これは制作側の一方的は放送ではなくリスナーと番組を一緒に制作している一体感を作り出しました。ラジオのリスナーとの距離が近い利点を活かしてコンテンツの価値を上げ、リスナー数もメール数にして30通程度だったものが約100通まで増えました。 続きを読む
-
Q.
誰もが知っている物語の、その後のストーリーを考えてください。 ① 物語のタイトル 20文字以下 ② その後のストーリー 800文字以下
-
A.
① 日本沈没 ② 日本列島が沈没し各地に移住をした日本人はそれぞれの場所で生活を営んでいた。しかし移住した先で日本人が直面したのは「差別」だった。各国の支援は表面上あったが現実はそう簡単ではなかった。まず言葉が通じない。食べ物を買いたくても言葉が通じず買えない。また文化が違う。多くの国で水道水は飲めず、また信仰が自由な日本人にとってその地の宗教と関わるのは精神的に苦痛だった。そんな生きていても辛い状況が続くと日本人は生きる目標を失い、そして自ら命を絶つのであった。そんな中、ある計画が秘密裏で進んでいた。それは「日本列島浮上計画」である。これは沈んだ日本列島を再び隆起させようという計画であった。この計画には莫大な研究費と叡智、そして日本人の結束力が必要だった。特に日本人が再び日本に戻りたいと思う気持ちが何よりも重要だった。その後日本人はTwitterやFacebookで「祖国を取り戻そう!」という投稿を連日行った。すると世界の人々が協力の意思を表明し始めた。結局外国人も生活や文化の違う日本人には日本に帰ってもらいたいのが本音なのだ。世界中の支援が集まり「日本列島浮上計画」は順調に進行した。そして計画がスタートして3年。ついに計画は大詰めを迎えた。実験として小笠原諸島の隆起を成功させ、四国、九州、北海道と次々に隆起させ、いよいよ本州を残すだけとなった。世界中が注目する中、本州の隆起は行われ、無事成功した。日本列島の復活である。日本人、いや世界中の人々が日本列島の復活に賛美を送った。そして日本人は新生日本列島に戻り始めた。しかし半数以上の日本人はその地に残ったという。何故ならそこには世界中の結束力があったからだ。元々対立していた者同士が、一つの思いに向かって団結したことに心の繋がりができたのだ。もちろん言語、文化、思想の壁はあるかもしれない。しかし同じ地球に住む人間にそのような壁は消えてしまうのだった。 続きを読む
-
Q.
学生時代に一番力を入れたことを具体的なエピソードを交えながら、ご記入ください。 250文字以下
-
A.
アナウンス研究会の活動です。そこでは自身で番組を制作し発表する番組発表会の総責任者を務めました。総責任者を務める際私は来場者数を例年150名程度だったものを300名にすることを目標にしました。目標達成のため私はまず発表会の宣伝担当と積極的に対話をしました。これは制作現場と宣伝担当の円滑な意思疎通を図るためです。そして多くの人に発表会の存在を認知させるためにSNSを利用しました。制作担当のリアルな声をSNS上では投稿しました。その結果最終的に来場者数を設定した目標を上回る約360名まで増加させることができました。 続きを読む
-
Q.
電通を志望する理由をご記入ください。 250文字以下
-
A.
私は大学時代テレビ局で番組制作のアルバイトや、ラジオ局で学生運営の番組制作をしました。その中でCMや広告主との対話を考える機会がありました。当時はただ良いものを制作すれば良いと考えていました。しかし多くのメディアコンテンツは広告費を元に制作し、そこにはメディアと広告主の関係性が重要だと考えました。貴社ではメディアと広告主を繋げ新たな価値を創造していると考えます。私も貴社でメディアと広告主を繋ぎ両者の潜在的な能力を引き出し、そして両者の課題を解決して社会に革新的な価値を提供したいと考えるからです。 続きを読む