21卒 本選考ES
コピーライター・インタラクティブプランニング職
21卒 | 関西学院大学 | 男性
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Q.
コピーライター・インタラクティブプランニング職を志望する理由について「プロ」「専門職」「11の事業本部」という言葉を使わずに記述してください。(600字以内)
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A.
言葉に新たな意味づけを行うことで「ことば」を生み出し、人々の内面や世の中に影響を与えたいからです。私はコピーライター・インタラクティブプランニング職を、無数にある言葉の中から最適なものを選びとるものだと考えています。また、その中で言葉に込めたメッセージを想起させることができるよう、人々の想像力を刺激することで個人や世の中に影響を与えていく仕事であるとも捉えています。同じ意味を表す言葉にもいくつもの種類があります。そして一つの言葉を聞いてもそれぞれの人が連想する事物は、きっと大きく異なるでしょう。そこに一つとして同じものはなく、またいかなる事物にも影響も受けていない言葉はないと考えています。知らず知らずのうちに、自らの経験や他者から少なからず影響を受けているのではないでしょうか。私はそういった個人的な体験や想起される思いまでもが「ことば」だと考えています。そして私はこの職に従事する中で、個人が持つ「ことば」やその背景にある思いに訴えかけながら、言葉に新しい意味や価値を付与したいと考えています。言葉からひとりひとりの心に響くような「ことば」を生み出すことによって、人々の内面に影響を与え、世の中を変えることすらできると考えています。言葉に新たな意味づけを行い、言葉以上の価値を世に提供したいから。これが、私がコピーライター・インタラクティブプランニング職を強く志望する理由です。 続きを読む
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Q.
これまでの人生で一番の「ものづくり体験」を教えてください。また、そのことがコピーライター・インタラクティブプランニング職にどう活かせるか記述してください。(600字以内)
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A.
一般の方に向けた地図の制作です。私たちのサークルでは毎年学園祭でカフェを開くのですが、その場所が分かり難いという意見があったため、私が地図の制作担当を進んで引き受けました。地図を制作する中で最も注力したのは、誰にでも分かりやすい地図を作ることでした。もちろんお客様がみな地図解読の知識やノウハウを持っているわけではなく、幼齢のお客様がその地図を読む可能性すらあります。私は最小限のデザインで、最大限分かりやすい地図をつくることができるよう試行錯誤しました。完成までには多くの時間と労力を割きましたが、最終的には一般の方に向けて約1000部の地図を配布することができ、読みやすかったという意見も頂きました。この経験を通して培われたのは最小限の表現で伝えたいことを的確に表現する能力です。この力はシンプルな言葉で本質を捉え、世に広める役割を担う、コピーライター・インタラクティブプランニング職において十分活きると考えています。そして私は媒体が地図から言葉に変わっても、ものづくりに対する姿勢は変わらないと考えています。言葉が無数にあり、紡ぎだす表現にも無限の選択肢があるからこそ、その中から的確な表現を見つけ出すことが大切であり、またその際に独りよがりにならないよう気を付けなければならないと考えています。そして、そういった場面において私が培ってきた「的確に表現する」能力を最大限活かせると信じています。 続きを読む
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Q.
あなたが最近、実際に行動させられた広告・販促プロモーションとその理由を教えてください。(200文字以内)
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A.
姫路セントラルパークの「ここは日本一心の距離が遠いサファリパーク」という言葉を掲げたCMです。私はこのCMを見てセントラルパークに興味を持ち、実際に施設を訪れました。このCMが私に響いたのは、広告は前向きなメッセージのみで作られているという私の固定観念が崩されたからでした。後ろ向きながらインパクトのある言葉を用いたこのCMは、印象を残すという点において大いに成功しているように私は感じました。 続きを読む
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Q.
「オリンピックが終わった。その時、」ではじまる物語を記述してください。(600字以内)
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A.
オリンピックが終わった。その時、煙草の先から灰が落ちた。洗濯物が揺れた。わたしには普段通りの時間が流れる。心の片隅にほろ苦い思いだけ残して。わたしは昔から妹と比べられっぱなしだった。そしていつも褒められるのは妹だった。「お姉ちゃんなのに」何度聞いたことか。絵のうまさも、成績も、身長さえ勝てなかった。わたしは中学を卒業すると無理を言ってふたつ隣の県の私立高校に進学し、寮に入った。寂しさよりも清々しさが勝っていた。妹のいない高校はやたら広く映った。縁あって入った陸上部は相性がよく日夜練習に打ち込み、女子400mの新記録まで出した。監督にはオリンピックを目指せとさえ言われた。ここがわたしの居場所だ。本当にそう思えた。だからこそ、地元の高校に進んだ妹が記録を塗り替えたと知った時、この世の終わりだと本気で思った。これ以上居場所を奪わないで。わたしのことを馬鹿にしないで。―数年後、妹はオリンピック選手になった。もはや驚かなかった。わたしは小さな食品メーカーに就職していた。衣食住は揃い、貯金も少しはある。きっと幸せだ。そもそも幸せは比べるもんじゃない。妹にも葛藤はあっただろう。わたしは妹のことを知ろうとしてこなかった。戦っていたのはわたしだけだったのかもしれない。あとで電話でもしてみようかな。オリンピックが終わった。その時、わたしの戦いも終わった。そんな気がした。わたしはそっと煙草の火を消した。 続きを読む