16卒 本選考ES
CBD
16卒 | 早稲田大学 | 男性
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Q.
第一志望職種(CBD)への志望理由(200字以内)
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A.
CBDという職種が自分にとってやりがいのある仕事であるからだ。販売店での売り上げに全責任を持ち、良好な関係を築いたうえで数字を用いて戦略的な提案をし、販売店とWin-Winな関係を築いていくという仕事を通して、ビジネスパートナーの喜びを一番近くで感じることができる。また自分の強みである論理性、積極的な行動力を生かして勝負できるフィールドであり、そのうえで成果が数字で表れるという点でやりがいを感じる仕事だと考えた。 続きを読む
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Q.
あなたが、解決したい課題や問題について、重要な関連性のある情報(データや事実など)を見出し、その課題や問題の根源をつきとめ、解決策を提案した結果、望ましい成果を挙げた経験について述べてください。(全角半角問わず500字から700字程度)
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A.
インドの銀行向けソフトウェア開発会社での2ケ月間のインターン経験についてだ。慣れないインド英語の職場環境の中、インド人メンターとビジネス上のコミュニケーションをとることが困難だった。また企業にとって、日本人インターンの募集は初めての試みで、私は周りの社員たちに認知してもらえておらず、多くの社員が私に無関心な状態だった。そのため、最初は何の指示もなく、何のアドバイスももらえず、どのように仕事をしてよいかわからない状態だった。しかし、職場自体の雰囲気は非常にカジュアルなもので、多くの社員たちが自由にコミュニケーションをとりながら仕事をしていることに注目し、長期留学中に現地学生とイベントを企画した時の経験から、この問題の原因は、自分たちが周りの社員たちから、まだ仲間として認められていないというところにあると考えた。そこで、特に社内の休憩室で、インド人社員同士がよく雑談をしていることに注目し、その空間を使ってメンターをはじめ周りの社員と積極的に雑談をすることをチームに提案し、実行した。最初は自己紹介やインドの文化の話を聞き、また毎日のようにランチについていき、自分たちの存在を認めてもらおうと努力した。その結果、1か月をかけて、メンターはじめ、ほかの社員ともプライベートでディナーに行くまでに関係を深めることができ、その後はプロジェクトに対する具体的なアドバイスなどもいただけるようになった。結果として、最終日に行われた戦略提案では、提案の具体性が高いという点で高く評価していただくことができた。この経験から、異文化の中で仕事をするうえで、積極的なコミュニケーションが最も大切であるという気付きを得た。 続きを読む
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Q.
あなたがグループの中でリーダシップをとって、方向性を示し、グループメンバーから協力を得て優れた結果を出した経験について説明してください。(全角半角問わず500字から700字程度)
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A.
ある大手ゲーム制作会社でのゲーム企画コンペティションでの経験だ。初日に行われた各個人のゲームプランに対する投票の結果、私のプランが50人中最も多くの票を集めたため、私は自分のプランに賛同してくれたメンバーとチームを組み、新しいゲームの企画に挑戦した。その中で私は、チーム全員が心から納得し、面白いと思える企画を作ることを前提に、最終プレゼンテーション大会にて優勝することを目標として提案し、賛同を得た。リーダーとして企画を進めるうえで、チームの中になれ合いの空気が生まれないように、私がメンバーの間に立つことで全員の意見を引き出し、意図的にそれらをぶつけることを心掛けた。そのうえで、各メンバーの長所をいち早く理解し、プログラミングに長けたものに試作機制作を、デザインの勉強経験のあるものにゲーム内仕様のイメージを作ってもらうなど、各人に適した役割をもとに協力を求めた。チームのメンバーは皆、主体性が強く自分の意見をしっかり持っていたため、非常に活発に議論が盛り上がった。それゆえに、議論を進めるうえで不採用となった意見を持ったメンバーを説得し、納得させたうえで慎重に議論を前に進めることが、私が最も注力したことだった。その結果、全員が納得しつつ段階的に企画を進めることができ、完成した企画案に対して全員が100%の自信を持つことができた。結果、最終日にエクゼクティブを前に行われたプレゼンテーションでは、全10チーム中1位と大変高く評価していただき、さらに私はチームの中のMVPに選んでもらえた。この経験から私は、チームプロジェクトを進めるうえで最も重要なことは「建設的な摩擦」を繰り返すことであると考えている。 続きを読む
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Q.
あなたが、これまでに著しい結果(学校、コミュニティー、仕事などを含む)を出したときのことを教えてください。(全角半角問わず500字から700字程度)
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A.
大学3年時に参加した2か月間のインドの大手銀行向けソフトウェア開発会社でのインターンシップについてだ。その企業は、近い将来日本市場への本格参入を計画しており、私はそのために日本の銀行についての市場調査を行うように指示された。そこで、まず私は集めるべき情報を明確にするため、その企業が日本の銀行に売り込みをかけようとしている勘定系ソフトウェアパッケージについて十分に理解しようと考え、メンターに製品に関する個人的なレクチャーを頼み込んだ。また具体的な指示として、メンターからは日本の銀行のシステム上の文化慣習についてのリサーチを頼まれただけだったが、私は強みである日本語能力を生かしてプロジェクトに貢献できないかと考えた。そこで、まずターゲットとなる日本の地方銀行をランク付けし、自社製品の価格、仕様などと照らし合わせたうえで有望と思われる50行を抽出した。そして国際電話を使って片端から電話をかけ、各銀行の現状のシステムに関する情報や感想を集めた。その後、その情報をもとに日本の競合他社について、またその製品の特長についてインターネットを使って調査し、実際に電話して得られたシステムを使う上での不満や要望を踏まえ、地方銀行がシステムに何を求めているのかを検証した。さらに、3年以内にシステムの契約が切れると聞いた銀行にはその後も何度か電話をかけ、さらに詳しい仕様に対する要望を引き出そうと努力した。その結果、最終日には具体的な戦略の提案をすることができ、実際のマーケティングの参考にできるなど、高く評価していただけた。またCEOから直接「一緒に働かないか」と言っていただけたことが非常にうれしかった。 続きを読む
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Q.
あなたの周りで起こった変化によって、いつもより柔軟になる事が必要になった時のことを述べてください。その時の状況を説明し、あなたがどのように対処したのか教えてください。(全角半角問わず500字から700字程度)
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A.
私は大学3年時に1年間の海外留学を経験した。私はそれまで一切海外経験がなく、現地で体験することすべてが自分にとって未知であり挑戦であった。特に、私は大学の寮で暮らすことになったのだが、インド人のルームメイトと初めてのルームシェアに、最初は非常に苦戦した。私が初めて寮に到着すると、私の部屋はワンルームにベッドと机が二つずつ置かれただけの非常に簡素なもので、プライベートスペースが一切無いことに驚いた。ルームメイトは非常に陽気で、細かいことを気にしない性格だったため、部屋はいつも散らかっていた。また彼は毎晩のように部屋に友人を連れてきたため、部屋に戻るとインド人のパーティが行われていることもしばしばだった。その状況で、私は自分の中の「普通」という感覚で彼の行動を判断し、ストレスを感じてしまっていることに気が付いた。そこで私は一度、自分の「普通」という感覚を彼に合わせてみることにした。具体的には、自分も彼と同じ程度に部屋を散らかし、自分も彼のものを時々使い、彼が連れてくる友人と一緒に盛り上がり、彼と良くコミュニケーションをとるようにした。また、彼の宗教について、インドの生活文化についてなど、共に生活をしていくうえで配慮すべき文化の違いについて勉強した。その結果、自分と彼の間の常識の違いが徐々に解消され、彼の行動に対してストレスを感じることも少なくなっていった。また彼も自分に配慮してくれるようになり、互いに友人を紹介しあうなど、彼との間に友人関係を築くことができた。彼との関係は私に多くの新しい価値を教えてくれた。特に、自分が今までいかに狭い常識にとらわれて生きてきたかのかを教えてもらえた。 続きを読む
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Q.
あなたが、異なる背景、経歴又は考えを持っている人々と、建設的な関係を築き上げ、よりよい結果を得た例をあげてください。(全角半角問わず500字から700字程度)
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A.
私は大学3年時に1年間アメリカ合衆国への長期留学を経験した。私は日本を離れていたことで日本の文化の素晴らしさを改めて感じ、現地の人々に日本文化を知っていただく機会を提供したいと考え、現地大学の友人らと「日本文化とアメリカ文化の融合」をコンセプトに、イベントの企画に挑戦した。私は日本人側の代表を務め、プログラム作成、演目の練習監督、外部団体との交渉などを行い、当日は総合司会も務めた。現地の友人らは、各人が高いパフォーマンススキルを持っており、彼らに演目を一任しても、洋楽バンド演奏、ブレイクダンスなど、そのままでもレベルは高かった。しかし私は幹部として、つたない英語ながら精力的に彼らと議論し、イベントのコンセプトについて十分な説明を行い、彼らのパフォーマンスと日本文化を融合させる方策を探った。そして私が協力者を探す中で、ある外部団体に琴の演奏をお願いすることができ、また大学の日本人留学生で、以前歌手をされていた方の協力を得られることになった。そこで私は、友人らと話し合い、ブレイクダンスは、日本琴の演奏に合わせたものにし、バンド演奏は彼女をボーカルに据え、日本のJ-POPを歌ってもらうことを提案した。友人らも私の提案に対して大きな興味を示し、そこに彼らなりの工夫を加えることで、パフォーマンスは一層面白いものとなった。私自身も現地大学の友人と英語で漫才を披露することになり、笑いのセンスの違いに苦しみながらも本番では多くの拍手をいただくことができた。この経験を通して、アメリカでは自分の意見をしっかり主張、説明し、納得させられるということが、友好な関係を築くうえで重要であるという学びを得た。 続きを読む