22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 法政大学 | 男性
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Q.
学業・ゼミで取り組んだ内容
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A.
ソーシャルプラクティスという社会問題に直接働きかける芸術について学んできました。アートを通して身近にある様々な課題と向き合う事で人々に関心を持ってもらう事を目的としました。私はコロナによって閉ざされた人との繋がり感じるための参加型アートを提案しました。オンライン画面を通してクラスメイトと同じタイミングで光を発光する事を手段とし、他人が発光した光を画面を通して見る事で一体感や繋がりを感じるという事を目的としました。制作した作品を共有し社会問題におけるアートの存在意義について理解を深めてきました。 続きを読む
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Q.
自己PR
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A.
私の強みは継続力であり、どんな困難も折れずにやり遂げる事を信条としています。海外の飲食店で唯一の日本人として働いていましたが、自分の話す英語が現地の同僚に通用せず悔しい思いをしました。特に私が発音する英語を同僚から聞き返される事が多かった為、会話をしていく上で発音が課題であると捉え、2つの施策を行いました。1点目は、実践的な英語に触れる事を目的として、勤務後に積極的に同僚とコミュニケーションを取り、会話する機会を増やす事です。毎回1時間を週5回、相手の反応を見て正しく通じているか確認しながら行いました。2点目は、自宅で自分の話す発音を録音しネイティブに近づけるよう反復練習する事です。一般的に日本人が苦手とする発音に力を入れて行ってきました。この二つのサイクルを6ヶ月間継続して行った結果、同僚から何度も聞き返される事はなくなり、対等に英語でコミュニケーションを取れるようになりました。 続きを読む
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Q.
学生時代に最も打ち込んだこと
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A.
・・・のアルバイトでポップを用いて廃棄ロス削減に取り組みました。 理由として・・・は2日程しか持たず廃棄ロスが利益損失の原因と思った為です。まず、1ヶ月間廃棄する・・・の写真を撮る事を同僚に協力を求めて情報を集めた末、廃棄が多い・・・の傾向分析をしました。その情報を元に、コロナの感染防止対策という観点から会話をせずに販売促進が可能な方法を考え、ポップでの提案方法に至りました。・・・の魅力を伝えるべく、お客様に・・・の栄養素を分かりやすく伝える為に体への効果を示す事や、絵が得意な同僚にデザインを頼み、興味をそそるポップにしました。結果的に作成したポップを毎日メニューの横に設置した事で興味を持ったお客様が購入して下さり、廃棄量が以前と比べて減少させる事に貢献できました。今後も、状況を見極め、周囲をうまく巻き込む事で成果を上げていきます。 続きを読む
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Q.
村田で成し遂げたいことを希望職種の選択理由も踏まえて記載してください
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A.
貴社の技術力を武器に世界の豊かさに貢献していきたいと考えております。海外留学を通して、日本の製品が技術力で評価されている事を知り、自ら携わり日本だけでなく世界の人々の暮らしに影響を与えたいと考えるようになりました。モノづくりに必要不可欠な部品を世界に届ける貴社でしたら、成し遂げられると考えます。具体的な理由として、貴社は圧倒的な海外売り上げ比率を誇り、IoT・IoE化などのグローバル社会の変化に向けて部品を通して幅広い分野で貢献しています。電子部品と言う様々な領域の『部分』を通して次世代のグローバル社会という『全体』を形作れる事が世界の豊かさを創造する事に繋がると考えました。そこで私は持ち前の粘り強さや語学力を生かして、現地の声を真摯に汲み取り、海外営業として活躍していきたいです。経済発展が著しい中華圏・アジア地域を中心に、今後より高品質な製品が必要とされる事が見込まれます。顧客の多様なニーズに応えられる製品を開発する貴社の営業として、世界中に高品質な製品を提供していきたいです。その実現の為に、お客様と社内の双方にとって最適な環境を整えるバランス感覚や、サプライチェーン全体を見通せる広い視野を身に付けていきます。 続きを読む
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Q.
あなたの人柄を一言で記載し、今までの人生でその人柄が形成された背景を教えてください
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A.
私は『忍耐力がある人間』であると思います。背景としては小学生から高校卒業まで約9年間続けた野球での活動です。野球に関して他人と比べて決して才能がある方ではありませんでした。その為、レギュラーになれない事もしばしばありました。しかし私は幾度となく周りとの差を埋める為の努力を怠りませんでした。時には努力に報われず補欠になる等、悔しい思いも沢山しましたが『野球が上手になりたい』、『試合に勝ちたい』という想いで壁を乗り越えてきました。そのような経験を9年間経験してきた事が忍耐力を形成してきた要因ではないかと考えます。また、その忍耐力は大学時代に経験した海外留学にも生かされました。カナダのレストランで唯一の日本人として働いていましたが、自分の話す英語が現地の同僚に通用せず苦戦しました。英語が不自由な私に対して同僚が私と会話するのを敬遠する事も多々ありました。しかし私は自分の課題を克服する為に、積極的に自分からコミュニケーションを図ってきました。辛抱強く行ってきた事が結果的に同僚とスムーズな意思疎通を図れる事に繋がりました。この22年間で上記のような困難な事に果敢に挑戦してきた事が私の人柄である『忍耐力』を培かってきた背景です。この強みを生かして、誰よりも努力し、誰よりも行動し、誰よりも成果をあげる人材として貴社と共に成長していきます。 続きを読む