22卒 本選考ES
CRA職
22卒 | 大阪大学大学院 | 男性
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Q.
医薬品開発に携わりたいと考えるようになった経緯をあなたの歴史を振り返って説明してください
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A.
私が医薬品開発に携わりたいと思うきっかけになったのは、私の○○です。私の○○は先天的に心臓が弱く、産後すぐに手術を経て一命をとりとめましたが、成人まで生きていられる確率は低いと言われていました。ですが新薬の開発やペースメーカーなどの医療機器の発展の力もあり、今では健常者とほぼ同じ生活を送ることが可能になりました。幼少期から体が弱く様々なことを制限されていた○○が、大学生になる頃には健常者とほとんど変わらぬ生活を送れるようになったことに心から感動したことを覚えています。そういったきっかけもあり、中学生頃から、医薬品の開発に携わり、世界中の患者さんに貢献したいと強く思うようになりました。 続きを読む
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Q.
学業・研究以外であなたがChangeしてきたことは何ですかChangeしなければならなかったエピソードを含めて、具体的に記載してください
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A.
私は塾講師で個別授業のアルバイトをしていた時、生徒の成績を伸ばし、教室のルールを変えました。私が担当したその生徒は数学が苦手でした。成績の伸び悩む生徒は宿題を増やしたり授業での雑談を減らすなどの基本的な講師のマニュアルがあるのですが、私は宿題の量や雑談が原因ではなく、その生徒はおとなしい性格で、わからない問題を素直に聞けないのではないかと思い、むしろ雑談を増やして信頼関係を築くべきだと考え、教室長に相談しました。教室長は私の意見を採用してくださり、雑談を増やして仲良くなることに努めました。そして信頼関係が築けたら生徒の方からわからない問題を相談してくれるようになり、結果としてテストで大幅に得点が上昇し、私も全国の講師フォーラムで表彰されました。このことをきっかけに後に教室にある講師のマニュアルが撤廃され、生徒一人一人に合わせた教育方針を担当する講師に一任されるようになりました。 続きを読む
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Q.
あなたしか出来ないアプローチで、周囲と協働して成果をあげたことは何ですか
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A.
私はフットサル部で部長を務めていた時、部の地盤固めに尽力しました。私の所属していた部は発足してあまり年月が経っていない部だったため合宿やイベントは手探りで企画することが多く、企画する際幹部達から様々な意見が出て衝突が起きることは必至でした。私は部長としてみんなの意見をまとめ上げなければならなかったため、あらゆる意見を聞く傾聴力と周りの人を納得させるリーダーシップ性の二つを養うことができました。また、なかなか意見がまとまらず幹部たちの士気が下がる事もありましたが、持ち前のコミュニケーション能力を活かし、幹部たちの士気を保たせるように努力しました。結果として旅行会社の方と契約して毎年同じ会社で旅行をすることを条件に合宿にかかる費用を軽減したり、新入生歓迎会やお花見会など様々なイベントの形式を確立させ部員の今後の活動をより充実させる地盤を作ることができました。 続きを読む
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Q.
CMICの改善すべき点は何ですか あなたの能力を活かしてどのように改善させるのか具体的なアクションプランを記載してください
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A.
貴社はCROとしては珍しく、非臨床研究から販売後の調査まで、End-to-Endソリューションを提供しており、その柔軟な対応力が大きな強みであると思います。私はその強みをより伸ばしていくことが必要だと感じました。私は、自分の強みである柔軟性を用いて貴社に貢献したいと思います。具体例として、私は治験と患者さんの距離をより縮める提案をしたいと思います。それは、治験結果を患者さんと共有することです。アメリカでは多くの企業が治験結果の公開を行っているものの、日本では治験結果を簡単に知ることはできないところが多いと思います。治験結果は治験全体の結果と患者さん個人の結果の2種類あると思います。私は、この両方においてきちんと情報を公開すべきであると考えます。自分自身の治験の結果や、全体でどのような治験内容だったかを理解することで治験自体の透明性が上がり、新たな治験に対する患者さんの不安もなくなると思います。外資系企業である貴社ならば、内資系企業と比較して、制度の変更への抵抗も少ないと思います。私は自身の強みである柔軟性を活かし、積極的に古い風習をグレードアップさせる人材として、貴社に貢献したいです。 続きを読む