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19卒 本選考ES
事務系(営業管理系)
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Q.
自己PR(200字)
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A.
私は目標を高く持ち、その過程が困難であればあるほど努力することができる。 これは現在まで九年間の学生生活において生かされた。通学往復三時間の中、文武両道、D判定大学への合格、七割が落ちる授業の単位回収といった目標のために移動時間や図書館という徹底的に自分が集中して勉強できる環境に身を置くことを心掛けた。結果、全ての目標を達成した。仕事において、どんなに困難な状況下でも食らいついてやりとげていきたい。 続きを読む
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Q.
充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入し、詳細を記述する。(1000字自己紹介シート)
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A.
小学校六年間続けた剣道で五年生の時に優勝したことである。優勝という目標を達成するまでの一年間は東京都にある道場で稽古を積んだ。毎朝六時に起床して父と地元の公園へ朝練に行き、週二回の稽古では先生にふっ飛ばされて気絶者が出るくらいの厳しい練習を小学生、中学生の両方の部で計三時間の練習を行った。それを一年間続けたところ優勝することができた。この時に培った忍耐力、精神力はその後の私の人生において一生のものとなり、辛いことがあっても当時を思い出せばどんなことも乗り越えられる私の強みのコアとなった。 中学三年生の時に硬式テニス部でレギュラーを外され、当時組んでいたダブルスのペアからも見放されたことである。それまでずっとレギュラーだった私にとってこれは大きな挫折となった。原因は私のバックハンドという苦手な打ち方による敗戦続きによるものだった。バックハンドがイップスになりかけていた私はこれを契機に苦手克服に努め始めた。バックハンドに関する情報誌や動画を手当たり次第見て、要点をノートにまとめ、練習時間を確保するためテニススクールにも通った。その後、何とか試合に勝てるレベルまでにはなったが自分の納得できるバックハンドに達することができなかった。 卒業式に学年で三人へ送られる学校長賞を授与されたことである。第一志望の大学に合格したことはもちろん嬉しかったが、中高を通じて定期テストや提出物をこなしてきた日ごろの努力が報われた瞬間だったため、素直にこちらの方が嬉しかった。私は大学受験の際に塾に通った生徒だったが、学校の勉強を疎かにしてはならないという強い思いを持っていたのでその思いが肯定されたことが一番の喜びだった。 大学二年生の時に九年間のテニス歴において初めてシングルスで二位入賞したことである。私は、自分の苦手なバックハンドを克服するためにあえて部活には入らず、小さなサークルに入った。それは、部活特有の決められた練習内容では私の場合、完全に苦手克服できないと考えたからである。そして、実際に練習内容に自己の裁量が大きく働かせるサークルで試行錯誤してバックハンドの改善に取り組んだところ自分の武器となるまでに成長させることができた。一方で、自身のバックハンド研究に没頭しすぎて、単位を大量に落としてしまったのもこの時期である。以上のことから、充実度を0にした。 続きを読む