
23卒 本選考ES
総合職 技術系
-
Q.
研究室で取り組んだ内容(250字以内)
-
A.
私は,海に浮かぶ風力発電システムである浮体式洋上風力発電システムの運転制御に関する研究を行っています.このシステムでは,風や波の影響で浮体が動揺し,発電量および荷重の変動が大きくなることが課題となっています.そこで,発電量および荷重の変動を抑制するための制御手法の開発が求められています.本研究では,前方の風速を予測し,予測した風速データを用いて風の影響を打ち消すように修正することで発電量および荷重の変動を抑制する制御手法を開発します.そして,数値シミュレーションを通じてその有効性を分析します. 続きを読む
-
Q.
自己PR(400字以内)
-
A.
私の強みは,「目標達成のために最善な計画を立てる力」です.私は最初,志望していた大学に合格できず,別の大学に入学しました.しかし,私は再生可能エネルギーに関する研究をしたいという思いを諦めることができず,大学の2年生の時に編入試験を受験することを決意しました.受験を決意した時には受験まで3ヶ月しか残っていないだけでなく,受験科目が当時はまだ学んでいない材料力学のような機械工学の内容であったため,独学で勉強する必要がありました.また,大学の授業も並行して受ける必要がありました.そこで,計画を立てる時に編入試験までの毎日のスケジュールを明確にしました.そして,勉強する科目の優先順位をつけ,1ヶ月ごとの長期的な目標から,1日ごとの短期的な目標まで決めました.計画通り勉強を続けた結果,編入試験を合格することができました.編入後も勉強を続けて,志望していた風力発電に関する研究をすることができました. 続きを読む
-
Q.
学生時代に最も打ち込んだこと(400字以内)
-
A.
私は,アルバイト先の飲食店の業務効率の向上に注力しました.キッチンの従業員だった私の手が空いている時に,ホールの従業員は忙しいという時がありました.しかし,キッチンとホールで分業化されていたため,その時に私は何を手伝えば良いか分からず,手伝うことができませんでした.この経験から,従業員が両方の業務をできるようになれば業務効率が大きく上がると考え,店長に提案しました.双方の業務方法の動画を作成することで,簡単にお互いの業務を教え合うことができることを説明して,分業化をなくすことを納得してもらうことができました.また,従業員には撮影する人と業務を行う人の2人1組になってもらい,業務を分担して動画を作成してもらいました.作成した動画を全従業員で共有することで,担当外の業務を把握することができるようになりました.その結果,従業員が両方の業務を行えるようになり,全体の業務効率は向上しました. 続きを読む
-
Q.
ムラタで成し遂げたいことを希望職種の選択理由も踏まえて記載(600字以内)
-
A.
私の第1希望は商品開発・設計です.私は,「IoTサービスを普及して,人々に便利で豊かな生活を提供したい」という夢があります.このような夢を持ったのは,コロナ禍の生活がきっかけです.在宅で研究を行うようになったばかりの頃,家でさえも研究を行う場所になることで,日常の些細なことに対してもストレスを感じて,心が安らげることができなくなりました.この時に,家族を含め,他の人も同じような状況になっていることに気づきました.そして,生活の些細なストレスをなくし,人々の生活をより豊かにしたいと思うようになりました.貴社では,空間可視化ソリューションであるAirsualのようにIoT機器のPifaaを用いたIoTサービスを開発しています.Pifaaはセンサーからクラウドまで1社で賄っているため,短期間で顧客が求めるIoTサービスを開発することができます.さらに,センサーを簡単に付け替え,追加ができるため,様々な場面で利用することができます.この技術を活かして,各部屋の消費電力を可視化し,無駄な消費電力を把握できるサービスを開発したいと考えます.また,私はアルバイトで自ら課題を抽出し,解決策を提案した経験から,誰が提案したことでもチャレンジさせてくれるような職場で仕事をしたいと思うようになりました.インターンシップを通して,思いついたことをチャレンジさせてくれる環境であると感じ,志望を決めました. 続きを読む
-
Q.
あなたの人柄を一言で記載し,その人柄が形成された背景を教えてください(600字以内)
-
A.
私の人柄を一言で表すと「根気強い性格」です.この性格が形成された背景は2つあります.1つ目は,5歳から中学3年生まで10年間続けていたスイミングスクールでの経験です.私は,小学2年生までに全ての泳法を泳げるようになりました.しかし,試合に出るためには,全ての泳法で速く泳げるようになり,コーチに認められて選手コースに進む必要がありました.他の人たちは次々と泳ぎが速くなり,選手コースに進んでいくのを見て,自分はこれ以上しても意味ないと感じることもありました.それでも,少しずつでも速く泳げるようになることが楽しくて,諦めずに3年間一度も休むことなく練習を続けられました.結果,遂にコーチに認められて選手コースに進み試合に出ることができました.2つ目は高校時代に所属していた水泳部で後輩に指導した経験です.高校2年生の時に,水泳経験のない後輩たちの練習を指導する担当になりました.後輩を指導する経験がなかったため,プールの端まで泳げない人を泳げるように指導するのは困難を極めました.そこで,毎日の練習で後輩たちの苦手な部分を見極め,1つ1つ苦手を克服できるように練習方法を考えて,克服できるまで向き合いました.その結果,全く泳げなかった人も試合に出るまでに成長しました.以上の2つの経験から,私は自分だけでなく周囲の人のためにも粘り強く向き合って物事に取り組むことができる性格であると自覚しています. 続きを読む