言霊という言葉がある。日本では古来から言葉に霊的な力が宿るとされてきた。霊的かどうかはわからないが、私も言葉の力を信じ、少しでも使いこなすことができたらと考えている。より多くの長野県の人たちに伝えたいと思ったとき、思い浮かんだのは、小学校の頃から家族で購読している信毎であった。
志賀高原のふもとに生まれ育ち、小学校のときから距離スキーに没頭した。身体が大きかったこともあり、所属するカテゴリーではある程度の成績を残すことができた。大会後楽しみなのは、火曜日だった。なぜならその日の信毎には小さな字ではあるが大会結果が載っているからである。自分の名前が新聞に載るというのは思いのほか嬉しいものである。さらに、祖父母や親せき、親の友人からも朝から電話がメールが届く。新聞に載った名前一つで、人はつながることができるということを実感している。高校の途中でスキーを辞め、陸上競技に転向した。そのときも試合の成績が新聞に載るようになると、親族に加え、スキーの仲間たちが連絡をくれた。
また、その逆も然りである。彼らの活躍を新聞で目にするたびに私は身が引き締まる思いである。それは高校時代から今でも変わらない。大学進学で長野を離れても、友人の載っている記事は母が送ってくれる。彼らに負けてはいられない。スキーを辞めても、頑張る原動力をくれるのはスキーの仲間たちだったし、信毎であった。
事実を伝えることはもちろんであるが、社会で話題の週刊誌のように、日本全体のニュースとなるようなスクープをとることばかりが、メディアの役割ではないと思う。読んだときに相手の顔が思い浮かぶきっかけとなるような、人と人をつなげていくような役割を担いたい。自分が生まれ育った長野県で、言葉を使いこなすだけでなく、ひとの心をも伝えることのできるような新聞記者になりたく、信濃毎日新聞社を志望している。
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