22卒 インターンES
ビジネスエキスパート職
22卒 | 立教大学 | 女性
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Q.
あなたは当社でどのような仕事をしたいですか。
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A.
私は、貴社のコーポレートブランドに込められている「わたしの(=マイ)ナビゲーター(=ナビ)になりたい」という想いを叶えることのできるような仕事をしたいと考えております。それはつまり、自分自身が顧客一人一人の人生にやさしく丁寧に寄り添って、ずっとそばで支え続けながら幸福にできるような存在に貴社の仕事を通してなりたいという意味もあります。そのために、貴社の強み・特徴である課題解決型の営業において、顧客に真摯に向き合い、第三者として顧客の分析を積極的に行うことで、顧客の潜在的ニーズを引き出したいと思います。そうすることで、顧客の期待を超え、顧客に高い価値や感動を提供すると同時に、顧客からの信頼を得ることもできると思います。それは、自身の学生時代のアパレルのアルバイトの顧客満足度向上リーダーとしての経験も活かすことができるのではないかと思います。店舗の顧客満足度を向上させるために、新しいマニュアルの作成をしたり、OJTを行ったりしています。これらの改善は直接顧客にかかわることではないですが、これらをスタッフに行うことで顧客対応の方法が変わり、さまざまな顧客のそれぞれのニーズや期待に応えられることが増え、顧客満足度の数値も高くなりました。それは、自らが行った変革の中で顧客の立場になって寄り添って考えたことが生きた部分でもあります。その結果、顧客からの感謝の言葉をいただいたり笑顔など喜ぶ姿をみることができたりして、私もうれしい気持ちでいっぱいになります。貴社の仕事でもこのような経験を再びすることができると思い、さらに良いサービスを提供したいと考えております。そして、この社会で暮らす顧客の豊かな生活にコミットするサービス作りに貢献できるような仕事をしたいです。 続きを読む
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Q.
あなたの人生で最も困難な状況はいつですか。また、どのように乗り越えましたか。
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A.
私の人生で最も苦しい状況は、高校3年生のときの6年間続けた陸上競技の引退がかかっている関東大会の試合目前に怪我をしてしまった時です。私は、「インターハイ出場」を目標にずっと練習していました。毎日の部活動の練習後や休日は、数十分間のジョギングと数十回の筋力トレーニングなどの自主練習を欠かさずに行いました。また、母の協力のもと厳格な食事制限を行い、就寝前のストレッチングや練習日誌の作成も欠かさずに行い、中学・高校の学生生活のほとんどを陸上競技に費やしていました。高校3年生の関東大会では、個人種目とリレー種目の両方で出場することができ、怪我をしたのは自身の目標達成が目前まで迫ってきていた矢先の出来事でした。歩くこともままならない状態でしたが、最後の試合ということもあったので、鎮痛剤の投与とテーピングによる固定を行い、試合に出場することに決めました。しかし、個人種目とリレー種目の両方に出場したら、2種目目のリレー種目で万全の力を発揮できないと考えた私は、周囲の反対を押し切り、個人種目の棄権を選択しました。私自身も本当に辛く悔やまれる決断でしたが、これを支えてくれたのはそれまでのリレーメンバーとの思い出でした。リレーという存在があったから個人の力も伸ばすことができ、うれしいときも辛いときも支えてくれたリレーメンバーに恩返しをしたいという気持ちで溢れていました。結果、その試合でインターハイに出場することはできませんでしたが、チームベストを更新し、そのあとの全国規模の大会の標準記録を突破することができましたリレーメンバーや顧問、家族などそれまで支えてくれた人々と喜び合い、一生の宝物となる思い出ができました。何かを犠牲にすることで辛さや悔しさを感じてしまいますが、それよりもっと素晴らしいものを得ることができ、それもひとつの大きな手段なるということを、身をもって感じる経験となりました。 続きを読む