22卒 本選考ES
総合職(担当職)
22卒 | 立命館大学 | 男性
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Q.
自分史:小学校以前
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A.
(1歳)家族の仕事の都合により、○○県から○○へ移住。 (5歳)外で走り回る少年というよりも、一人で絵を描くのが好きな内向的な性格の 少年だった。 (小2)学校No.1ストライカーのドリブルを偶然止めてしまった事で、友人に誘われサッカーを始めるが、全く練習のレベルについていけなかった。 (小5)努力が実り、初めてトップチームのスタメンに選ばれる。 続きを読む
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Q.
自分史:中学時代
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A.
(中1)サッカーのクラブチームの中学生カテゴリーにおいて、先輩方と共にレギュラーとして試合に出続ける。中3の先輩方と共に出る試合は緊張したが、自主練習を習慣化する事で限りなく緊張を減らすように心がけ、サッカーに取り組んだ。 (中2)日本の高校へ行く事を考慮し、父を除いた家族全員で日本へ本帰国。日本の環境に馴染めるかとても不安だったが、自ら積極的に声をかけ、クラスを問わず多くの友人に恵まれた。しかし、サッカーでは新しく入ったチームのレベルの高さを痛感し、試合に出られない日々が続いた。 (中3)海外に住んでいたため、帰国子女入試の方式で第一志望校の受験に臨んだが、結果は不合格。私は本当に悔しく再度一般受験でのチャレンジを決意し猛勉強。その結果、一般入試で私立大学の付属高校に合格する事が出来た。サッカーの面においても、トップチームのレギュラーに入る事は出来なかったが、試合に出れるようになった。 続きを読む
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Q.
自分史:高校時代
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A.
(高1)高校入学後、「全国大会に出場し活躍したい」という目標を掲げサッカー部に入部するが、厳しい練習についていくだけで必死な状態が続いた。そのような焦りの中、追い打ちをかけるように大きな足首の怪我をしてしまい、自暴自棄に陥りかけた。 (高2)怪我でピッチ外からチームメイトが頑張る姿を目の当たりにし、「今自分がチームに対して出来る事はなにか」を考え、プレイヤーと並行してチームを鼓舞する声かけやマネージャー業務のサポートなどピッチ外の活動にも力を入れるようになった。 (高3)プレイヤーとしてチームに大きく貢献する事は出来なかったが、チームを盛り上げる役割としてリーダーシップを発揮し、後悔のないサッカー人生を送ることが出来た。また、学業の面では2週間のアメリカでのインターシップに参加し、プロ野球チームのマーケティングについて学び、チームで問題解決していく難しさ、やりがいを感じた。 続きを読む
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Q.
自分史:大学時代
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A.
(大1)内部進学で、関西の私立大学に入学。大学では、サッカーを通して感じたチームで何かを成し遂げる楽しさを、違った形で再び体験したいという想いから居酒屋でのアルバイトを始める。また、趣味では筋トレ、サウナ、旅行、競馬にハマる。特に競馬に関しては、人間と馬が繰り広げるドラマに惹かれ、自宅から近い京都競馬場に通い詰めた。 (大2)居酒屋のアルバイトをして1年が経ち、同期が10人中8人辞めていってしまった実態に問題があると感じ、原因を究明した結果、店側の採用と運用の点で問題がある事が分かり、店舗マネージャーに改善案を提案し、施策を行った。その結果、80%あった離職率を約16%にまで減らす事ができ、職場の雰囲気も施策前より明るくする事が出来た。また、趣味の面では、社会人になってからは旅行に行ける機会も少なくなると考え、シンガポール、台湾、香港に旅行へ行った。 (大3)韓国へフルマラソン、インドへバックパックをしに行く予定だったが、コロナウイルスの感染拡大の影響により断念。外出の選択肢が無くなったため、英語の勉強や就職活動に注力する。 続きを読む