三井物産の本選考ES(エントリーシート)一覧(全118件)
三井物産株式会社の本選考における、エントリーシートで出題された設問とそれに対する先輩の実際の回答を公開しています。卒年や職種による設問の違いや傾向をつかむために、詳細ページにて全文を確認し、選考対策に役立ててください。
三井物産の 本選考の通過エントリーシート
25卒 本選考ES
総合職
25卒 | 非公開 | 非公開
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Q.
文字数 2,000 文字程度。最大でも 2,500 文字以内でお願いします。 構成・ 文字数配分 自分史は、以下 4 つのパートに分けて構成してください。 また、全体の文字数に対する、其々のパートの文字数の比率の目安は以下の通りです。 小学校以前:10%程度 200 中学時代:20%程度 400 高校時代:30%程度 600 大学以降:40%程度 800 内容・留意事項 事実の羅列を端的に、時系列でご記載ください。 上記行動に至った経緯、および感想も簡単に補足してください。 自分史はあなたの当社に対する志望度を測るものではありません。 自分史の内容のみで合否判断はしません。 サンプルをご一読のうえ、ご準備をお願いします。 (サンプルは架空の人物の自分史です。) 改行は必要最低限にしてください。(サンプルの通り、小学校以前・中学時代・ 高校時代・大学以降別に分けていただく程度でお願いします。) 自分史は入社後もチームビルディング等での活用も想定しています。
- A.
25卒 本選考ES
総合職
25卒 | 非公開 | 非公開
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Q.
学生時代に最も打ち込んできたことは何ですか?
- A.
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Q.
周囲と協力して取り組んだエピソードは何ですか?
- A.
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Q.
入社後にやりたいことは何ですか?
- A.
25卒 本選考ES
総合職(担当職)
25卒 | 非公開 | 男性
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Q.
研究・活動テーマをご記入ください。(200文字以内)
- A.
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Q.
研究/活動内容のサマリをご記入ください。(400文字以内)
- A.
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Q.
応募理由
- A.
22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 非公開 | 男性
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Q.
自分史:小学校以前
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A.
0歳)代々木上原で出生 (保育園)両親が広告代理店に勤め、激務だったため毎晩夜間保育園に残り、親の迎えを待っていた。保育士が手厚く面倒を見てくれたため寂しい思いはなかった。休日は旅行(1歳でグアムにて初海外デビュー)や習い事(ピアノや水泳)をし充実していた。 (小学校)4年生時にピアノの全国大会に出場。「スポーツで協調性も学べ」と親からテニススクールに通わされ、結果的に6年間テニスに没頭。大きなテニススクールで、定期的なクラス替えがあったため多くの友達ができ、楽しく練習に励んだ。 続きを読む
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Q.
自分史:中学時代
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A.
2012年4月 ○○中学校入学 (中1)SPをしている父親の友人に会い、影響を受け剣道部に入部。高校生の先輩達に混ざり、ザ・武道家の顧問の元で週5日の厳しい稽古に打ち込む。初の地区大会において中学生チームメンバー選抜で落選し、悔しさから1人の友人と共に朝の自主練を始める。努力が実り、3ヶ月後の都大会メンバー選抜にて補欠メンバー入りを果たす。その頃から朝練に同期や1つ上の先輩達が参加してくれるようになり、充実感を味わっていた。 (中2)主力メンバーとしてメンバー入りを続け、大会も都大会出場を常として目標の関東大会に向けて稽古に注力。 (中3)後輩の急成長と自身のスランプが合間って中3時の初都大会で選抜メンバーから落選。やる気を喪失し、高校進学の為の学業を言い訳に部活を欠席するようになる。1ヶ月が過ぎた頃、顧問と真剣に話し合った末、現実逃避をしていた事に気付き涙ながらに部活に復帰。失った信頼を取り戻す一心で稽古に励むと同時に、後輩達の稽古準備を毎日手伝いメンバー復帰を目指した。結果、中学最後の大会ではメンバーとして選抜されチームとしても過去最高の都ベスト16進出を果たした。 続きを読む
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Q.
自分史:高校時代
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A.
2015年4月 ○○高等学校入学 (高1)常に新たな挑戦をしたい性格から、中高一貫して同じ部活所属が通常という暗黙裡に疑問を覚え、軟式野球部へ学年唯一の転部。話したこともない同期や大勢の先輩に注目されながら初めはフライすら取れず、恥ずかしさと同時に悔しさを感じ1日も早く技術を身につけようと目を皿のようにして部員達の練習を見て食らいつく日々。 (高2)野球の基礎も身につき、人間関係も同期全員と仲良くなり先輩達からも可愛がられるようになった。特に後輩から中学からのプロパー部員以上に慕われる存在となり、自分の”人間力”に気付いた。一方で先輩の試合に出場している同期を見て、負けず嫌いな性格から自分も絶対にベンチ入りしたいと強く思うようになり、練習の中で更なる技術向上に努めた。同時期、国連で働いていた80歳の学校OBの講演を聴く機会があり、人生の最後までグローバルに飛び回る姿に大きな魅力を感じた。 (高3)進学するタイミングで8人の同期が退部。自身も試合出場のチャンスが中々貰えない事が不満で監督へ改革を頻繁に申し出た。ある日監督からの「お前は口や理論ばかり語るが、行動は起こしてるのか?」という言葉から、行動での自己のアピールの不足に気付き、後輩も巻き込み誰よりも練習後の自主練をしたり役職に立候補して監督との積極的なコミュニケーションを図った。残った同期6人で最後まで頑張ろうという強い団結の元、関東大会出場を目標に掲げ練習に打ち込んだ。結果として引退試合までレギュラーメンバーとして出場することは叶わなかったが、よく環境に耐えて最後までやり切ったと自分で誇りに思える充実した部活動生活だった。サッカー部コーチ兼担任からの「よく最後まで続けた」という言葉は今も胸に残っている。 続きを読む
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Q.
自分史:大学時代
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A.
2018年9月 ○○○○○大学入学 (ファウンデーション年)大学寮の初日、シェアキッチンで英語ネイティブの会話に一切参加できず相手にされない悔しさで夜ベッドで涙した。ホームシックになりつつも、一度始めたら納得するまで引きたくない自分の性格から何とか早く英語を習得しようと、毎日図書館に閉じこもり夜9時まで英語の学習を徹底、寮では自炊を徹底し強制的にキッチンに行き学生達と会話する場を生み出した。以前の日本生活のぬるさを感じ、必死になった際の自分のストイックさを同時に発見。 (大1)英語の生活環境にも慣れ、夜に友人達とパブやクラブに通う中でAsian Societyという学生団体の代表者に出会う。団体再建のためのイベント企画を引き受け、多人種な学生達とミーティングを重ねた。団体の認知度と来場者リピート率の低さをボトルネックとして特定し、SNSでの積極的なPRと徹底した来場者ケアが解決策として決まるが、実行段階で文化的な違いから団体メンバーの収集がつかず頭を悩ませた。とりあえず自分が動こうと思い、誰よりも積極的に改善案を実行。すると徐々にアクションを起こすメンバーが増え、結果としてイベントの来場者数が前回比6倍の50人→300人に向上し達成感を感じた。何より団体メンバーからの感謝や来場者の感想が胸に響き、その後も企画主任として団体運営に携わることを決意。 (大2)コロナが深刻化、日本に急遽帰国。夏休みを有意義な時間にしたいと模索し、長期インターンへ挑戦。ベンチャー企業にて15人の多様な学生達と新規事業立案、事業のローンチに向けた資金集めのため既存事業の営業を行った。得意な企画では自分の事業案が採択されたが、営業で個人売り上げが3ヶ月間上がらず一度逃げ出しそうになった。そんな中、メンターからの「仕事上のもう一人の自分を作り、演じろ」というアドバイスと同期からの「企画は面白いが、必死な行動が見えないお前に付いていこうという気は起きない」という言葉から、出社前/後の1時間の徹底したロールプレイや優秀な同期の隣に席をおいての業務を行い、5ヶ月目に初月比2→15万の月間売り上げを達成、事業もローンチに成功。自主的な行動で示す、そして初めて周りを巻き込め周りが力になってくれると言う事、今までの成功体験にはその要素が入っていることに気づいた。 続きを読む
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Q.
当社志望度にポジティブな影響を与えた情報、その理由
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A.
企業ホームページ...挑戦を強く歌っており、若手でも活躍できるように思えたから。 続きを読む
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Q.
最も印象に残る当社社員の名前、その理由
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A.
〇〇さま...若い年次から、事業の立ち上げに関わりその後も責任者として任せられており、その活躍が印象に残ったから。 続きを読む
22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 非公開 | 非公開
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Q.
自分史
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A.
【小学校卒業まで】 (8歳)○○が病気を抱えていたことから家族に迷惑をかけないよう努める。家事を○○から頼まれることも多く、頼りにされていることがとても嬉しく頑張って取り組んでいた。 (11歳)○○が中学受験に挑戦し、頭の良い中学校に合格したことで親戚中がその子一色になる。それを見てどうにか親族の目を自分に向けたいという想いから自分も中学受験を決意。私の通う小学校では中学受験をする人がほぼおらず、皆と違うことをしているということで教員や生徒から白い目で見られることが多々ありつらい思いをした。 【◯◯中学校入学】 (中1)異性と気兼ねなく話す自分の行動が周りに認められず、仲良しグループに居づらくなる。以降内気な性格となる。 (中1-中3)勉強や趣味に注力するようになり学内のテストでは上位をキープしていたが、万年2位であり悔しい日々を送った。 (中3)学校の学習プログラムで1ヶ月間◯◯にホームステイをした。初めて日本以外の文化に触れ、その多様性を受け入れる文化に衝撃を受けた。過去に自分自身が認められず思い悩んでいたことがいかに小さなことだったかに気づき気持ちが吹っ切れた。 【◯◯高校入学】 (高1-高2)◯◯部に入り部活漬けの生活となる。そこでは特に発表の場が少ないという課題に取り組んだ。情報を集めていると他の高校では複数の高校と合同でライブハウスを借りライブを行っていることを発見した。しかし決まった高校で行うなど何年もかけて作られた伝統があり、自分たちの高校が受け入れられるか不安であった。そのため、まず自分が切り込み隊長として乗り込むことで関係値を築き態勢を整えた。その後、様々な高校と合同でライブを企画し、年2回であった発表の場を年30回に増やすことができた。さらにコミュニティを広げたことで来場者◯◯人規模のライブを企画できるほどになった。これらの行動が認められ部長へと選出されたことや一回のライブに最大◯◯組ほどのバンドしか出れない中、自分たちのバンドに出て欲しいと言われることはとても喜びであった。 (高2の冬-高3)ある日ふと思い立ち友達が学校帰りに塾に行くところを同行した。その結果、今の自分が受験に関してとても遅れをとっていること、今から始めても第一志望の◯◯大学合格には間に合わない可能性が高いということを知る。この日から猛勉強を開始。夏休みには塾の友達5、6人に声をかけ「廊下de勉強の会」を設立し始発で塾に向かい、開館までの寸暇も惜しんで勉強時間へと当てた。その甲斐もあり、高2の冬の時点では偏差値が◯◯台だったにも関わらず、第一志望の◯◯大学に合格することができた。 【◯◯大学入学】 (大1)先輩の誘いでアイドルのライブ運営アルバイトを開始。しかしお客さんの態度が悪く、◯◯のファンはマナーが悪いから一緒にライブを開催したくないという話が出るほどであった。一方で上司からはお客さんが離れるという理由で注意することを止められていたため、こうした二者の間で板挟みになりながらも最善の策を取れるよう考え解決へと導いた。 (大4)学生団体で企業に企画を持ち込みPR活動を行った。その中で◯◯を盛り上げたいという自身の想いと掛け合わせた企画を考え、大会視聴者の8割が男性である一方で、コアファンは8割が女性であるというギャップを見つけ出し、見落とされがちであった女性にリーチできていないという課題の解決を提案した。また、当初の依頼はSNSへの写真投稿だけであったが、より女性への認知を強めるため◯◯◯◯◯◯◯◯女子会という大会観戦イベントも企画した。その結果より企業の満足度を高められ継続案件へと繋がった。 続きを読む
22卒 本選考ES
総合職(担当職)
22卒 | 立命館大学 | 男性
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Q.
自分史:小学校以前
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A.
(1歳)家族の仕事の都合により、○○県から○○へ移住。 (5歳)外で走り回る少年というよりも、一人で絵を描くのが好きな内向的な性格の 少年だった。 (小2)学校No.1ストライカーのドリブルを偶然止めてしまった事で、友人に誘われサッカーを始めるが、全く練習のレベルについていけなかった。 (小5)努力が実り、初めてトップチームのスタメンに選ばれる。 続きを読む
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Q.
自分史:中学時代
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A.
(中1)サッカーのクラブチームの中学生カテゴリーにおいて、先輩方と共にレギュラーとして試合に出続ける。中3の先輩方と共に出る試合は緊張したが、自主練習を習慣化する事で限りなく緊張を減らすように心がけ、サッカーに取り組んだ。 (中2)日本の高校へ行く事を考慮し、父を除いた家族全員で日本へ本帰国。日本の環境に馴染めるかとても不安だったが、自ら積極的に声をかけ、クラスを問わず多くの友人に恵まれた。しかし、サッカーでは新しく入ったチームのレベルの高さを痛感し、試合に出られない日々が続いた。 (中3)海外に住んでいたため、帰国子女入試の方式で第一志望校の受験に臨んだが、結果は不合格。私は本当に悔しく再度一般受験でのチャレンジを決意し猛勉強。その結果、一般入試で私立大学の付属高校に合格する事が出来た。サッカーの面においても、トップチームのレギュラーに入る事は出来なかったが、試合に出れるようになった。 続きを読む
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Q.
自分史:高校時代
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A.
(高1)高校入学後、「全国大会に出場し活躍したい」という目標を掲げサッカー部に入部するが、厳しい練習についていくだけで必死な状態が続いた。そのような焦りの中、追い打ちをかけるように大きな足首の怪我をしてしまい、自暴自棄に陥りかけた。 (高2)怪我でピッチ外からチームメイトが頑張る姿を目の当たりにし、「今自分がチームに対して出来る事はなにか」を考え、プレイヤーと並行してチームを鼓舞する声かけやマネージャー業務のサポートなどピッチ外の活動にも力を入れるようになった。 (高3)プレイヤーとしてチームに大きく貢献する事は出来なかったが、チームを盛り上げる役割としてリーダーシップを発揮し、後悔のないサッカー人生を送ることが出来た。また、学業の面では2週間のアメリカでのインターシップに参加し、プロ野球チームのマーケティングについて学び、チームで問題解決していく難しさ、やりがいを感じた。 続きを読む
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Q.
自分史:大学時代
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A.
(大1)内部進学で、関西の私立大学に入学。大学では、サッカーを通して感じたチームで何かを成し遂げる楽しさを、違った形で再び体験したいという想いから居酒屋でのアルバイトを始める。また、趣味では筋トレ、サウナ、旅行、競馬にハマる。特に競馬に関しては、人間と馬が繰り広げるドラマに惹かれ、自宅から近い京都競馬場に通い詰めた。 (大2)居酒屋のアルバイトをして1年が経ち、同期が10人中8人辞めていってしまった実態に問題があると感じ、原因を究明した結果、店側の採用と運用の点で問題がある事が分かり、店舗マネージャーに改善案を提案し、施策を行った。その結果、80%あった離職率を約16%にまで減らす事ができ、職場の雰囲気も施策前より明るくする事が出来た。また、趣味の面では、社会人になってからは旅行に行ける機会も少なくなると考え、シンガポール、台湾、香港に旅行へ行った。 (大3)韓国へフルマラソン、インドへバックパックをしに行く予定だったが、コロナウイルスの感染拡大の影響により断念。外出の選択肢が無くなったため、英語の勉強や就職活動に注力する。 続きを読む
22卒 本選考ES
業務職
22卒 | 上智大学 | 女性
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Q.
当社志望度にポジティブな影響を与えた情報
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A.
①WEBサイト【挑戦と創造】…新しいことに挑戦しようというメッセージを受けたから。②採用HP…「自由闊達」というメッセージを強く受けたから。 続きを読む
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Q.
最も印象に残る当社社員の名前
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A.
○○様 続きを読む
22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 一橋大学 | 男性
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Q.
自分史 以下より、入力の手引きと入力サンプルを必ずご確認の上、ご提出ください。 入力の手引き サンプル1/サンプル2/サンプル3
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A.
(4歳から6歳)カナダで現地の学校に通った。初めは英語が喋れず友達作りにも苦労したが鬼ごっこやサッカーを通じて徐々に仲良くなれたため、スポーツの偉大さを実感した。 (小1)学校開始の二か月後に帰国したため、スポーツを通じて学校の人と馴染もうと考え、サッカークラブに入った。同時期に公文に通い始めた。 (小5)より高みを目指し、志願して塾に通い始めた。冬に二度の入院を伴う全治半年の怪我をし、引退を決意した。この時抱いた葛藤から、中学からは後悔しない部活生活を送ると決意した。 中学時代 2010年 ○○中学入学(中高一貫) (中1)自由な雰囲気に惹かれ、○○中学校に入学した。中一の最初のテストで学年100位を取って危機感を抱き、勉強法の本を何冊も買って改良を重ねた結果、学年10位前後をキープした。その後も自分を追い込み、いい成績を狙い続けた。 部活は、サッカーを選んだ。怪我をした際の心境を二度と繰り返さないように真剣に取り組んだ。しかし、怪我によるブランクで身体がついて来ず、苦しい思いをした。 (中3)中学最後の試合はベンチ外になり、高校で取り返そうと闘志を燃やした。 中高一貫校であったため、受験勉強をする必要がなく、競技力向上に専念できた。高校生になるまでに課題であった体力不足を克服するために、「自宅の前の長い坂道を何秒で登れるかタイムで図ること」、「月二回ほど週末の練習の際に片道8キロの道のりを学校まで走って行くこと」を自分に課し、限界まで追い込んで体力をつけていった。高校生になった後も途切れ途切れであるが、この習慣を継続した 高校時代 2013年 ○○高校入学 (高1)日頃の取り組みが認められ、一年生の頃に、セカンドチームの副主将、その後主将に任命された。しかし結果を出さなければならないという責任から、先輩に対しても厳しく当たり、チームが空中分解しかけた。チームを纏めることの難しさを痛感するとともに大いに反省すべき出来事となった。 (高2)中学校の時からの体力向上計画によって、走力が自分の武器になり、徐々に実力が認められていった。また校内のマラソン大会では、高校歴代20位に入った。課外活動では、文化祭の出店のリーダーを任された。クラスの友達と協力しながら、企画から当日の運営まで責任者としての責務を果たした。またこの頃、勉学では理系志望であったが、数学と理科が苦手すぎて仕方なく文系を選択した。 (高3)大会一か月前に、全治一年半の○○の怪我を負った。今までの努力が無駄になり、支えてくれた両親に最後に活躍する姿を見せられない申し訳なさを感じた。前回の怪我の時の感情を抱きたくなかったので、チームに貢献できる方法を考えた結果、マネジャーに転向した。ビブスの洗濯といった雑務、元選手だからこその同じ目線に立った助言などを行った。引退時皆に感謝され、人のために動き、人に感謝されることにやりがいを感じた。 部活引退後、入院生活で将来のことも考え始めた。叔父が丸の内の一等地で働いてるの見て刺激を受けたことから、東京の大学に行き、多くの人と交わり、刺激を受け、自分を高めたいと考えた。現役時代は志望校に合格できず、浪人をした。 浪人中に苦手な数学を完全に克服し、自信がついた。 大学以降 2017年 ○○大学○○学部入学 (大1)二度の怪我の経験から、大学では遊ぼうと考えてた。しかしサークルに行っても物足りなさを感じた。四年間の大学生活これでいいのかという思いを抱いた。怪我で終わったもどかしさ、不完全燃焼感を思い出した。その時現在の体育会の新歓を受けて、控えめなイメージを持っていた○○にこんな熱量の高い集団がいるのかと衝撃を受けた。その中でも、1自分の可能性に挑戦したい 2大学日本一を目指したい 3人の良さの観点から○○部に入部した。アルバイトは、高校の時気軽に質問できる人がおらず、苦労した経験から、そのような人の助けになりたいと、○○を始めた。しかし、ブースで質問や相談に来た人に対処する形式のため、一回しか来てくれずその後がわからないなど貢献が分かりづらかった。そのため、次に主体的に長期で関われる家庭教師になった。家庭教師と並行して○○の販売員を始めた。動機は、サプリメントに対する知識を得て部活動に活かしたいということ、接客を学びたかったことである。最初は商品が全く売れず、苦労したが、上司の接客方法を見て勉強したり、本を買って勉強することで徐々に売れるようになっていった。 (大3)主将からセカンドチームのリーダーを任された。高校の時の失敗は繰り返さないよう、厳しい言葉をなくし、後輩を委縮させないよう心掛けた。また個人としてもレベルアップのために増量に本気で取り組んだ。高校時代はあだ名はマッチ棒で、大学入学時は○○センチ66キロしかなかった。しかし「朝五時に起きて生卵五つとオートミールを飲む」など一日5000キロカロリーを目標に食事を摂取した結果、体重が80キロになり、競技でも結果が出た。 (大4)自分たちの代になり、自身の経験からも勝つためにはチーム全体のフィジカルを向上させることが不可欠だと考え、様々な取り組みを行った。コロナによる練習中止もあり、一時は停滞したが、リーグ戦が始まる頃には平均3キロの増量を達成した。 個人としても体重が87キロまで増え、競技力向上を実感した。 続きを読む
22卒 本選考ES
業務職
22卒 | 明治大学 | 女性
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Q.
【幼少期からから現在までそれぞれの時代ごとに自分史を書け】 小学校以前250字
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A.
(0歳)出生児から〇〇を患い、砂糖水を飲んで命を繋ぐ。その後も複数の食物アレルギーが発覚。 (3歳)踊るのが大好きで、「サンリオピューロランド」の番組に合わせて踊っていた。見かねた〇〇にバレエスクールを勧められ、通い始める。 (小2)水泳とピアノを始める。自分で音を紡ぐピアノに夢中になった。 (小4)中学受験の塾に通い始め、周囲のレベルに慄いたことを鮮明に覚えている。 (小6)2月1日の受験日にお世話になった先生が会場まで駆けつけてくれたのは一生忘れられない光景だ。 続きを読む
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Q.
中学時代500字
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A.
(1年)部活には入部せず、ピアノとクラシックバレエを習い事として継続する。入学式で大量の教科書が配られ、中学生になったことを実感した。当初は慣れない電車通学に苦戦したものの、帰りに同じ方面の友人と話しながら帰るのが何より楽しかった。また、中1時の英語の先生のおかげで英語学習に夢中になり、小テストでも毎回満点を目指して日々取り組んでいた。 (2年)クラシックバレエのレッスンで目指していた「トーシューズを履くこと」をようやく達成できた。自分が1人前のバレリーナになったような気持ちになったのを覚えている。また、この頃初めてピアノの発表会に参加した。 (3年)一貫校のため受験は経験しなかった。友人らとは休日に頻繁に集まって遊ぶようになり、その時間が1番楽しかった。一方で勉強に関してはどの教科にも満遍なく力を入れ、極端に苦手な科目は持たないようにしようと常に心がけていた。また、学校の教頭先生が全校集会で「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」とおっしゃっていたのが印象的だった。 続きを読む
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Q.
高校時代750字
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A.
(1年)何か新しいことに挑戦したいという気持ちと、学校の友人らと部活動をする憧れがあり、クラシックバレエのみ一旦休止して〇〇部に入部する。これは想像以上に過酷な経験であった。1年次の夏合宿には〇〇岳(長野県白馬村にある標高2814mの山)に登った。山頂付近は岩場が多く、登頂までの道のりの果てしなさにも脱帽した。しかし、「前だけ見る」ことを心に刻み、どんなに遅くとも歩みを止めなかったことで登頂を達成できた。 (2年)英検〇〇級取得を目指し、日々英語の学習に邁進した。この資格取得を目指した理由は、海外留学の経験が無くとも英語力は伸ばせることを証明したかったからだ。4回の不合格を経験し、一時は受験すらも諦めかけたが、100枚以上の英作文の添削を受け、通学電車の行き帰りで原稿を見ながらリスニングする等、根気強く学習を続けたことで合格を果たした。部活動に関しては、夏合宿での「〇〇岳」の登山が「人生でこれより辛いことはない」と言い切れるほどの経験であった。本来ならば4泊5日のうち下山に2日間当てる予定であったが、台風が直撃するとの予定から1日で下山した。朝5時半から夜の11時まで、食事を口にする間もなく山中を歩き続けたこの経験より苦しい経験は絶対に無いと確信した。 (3年)受験一色の年であった。苦しくはあったものの、放課後にクラスメイトと共に教室に残って勉強した経験は今となってはかけがえのない思い出だ。互いの頑張る姿や励ましの言葉が頑張り続ける原動力になった。第1志望校に合格することはできなかったが、受験生活を通して自 続きを読む
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Q.
大学以降1000字
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A.
(1年)大学受験を通して見つかった「集中力の低さ」という課題を大好きなスポーツで克服しようという想いから、〇〇部に入部した。意気揚々と入部したものの、実際に自分が同期部員と同じ土俵に上がるまでに半年以上かかった。理由は利き目と利き腕が同じ側ではなく、加えて異常な猿腕であり、〇〇に向かない体であったからだ。このデメリットを克服するために家では眼帯をつけて目の矯正を行い、猿腕をいち早く直そうと授業の空きコマがあれば必ず練習を行った。このような努力で最終的にデメリットを完全克服することができた。部活動以外に関しては、個別指導塾のアルバイトを始めた。高校時代から「大学生になったら塾講師をやる」と決めていたため、それが叶えられて非常に嬉しかった。同時に、塾講師として担当生徒を受け持つことは、その子の人生の一部を責任持って担うことだと感じ、身が引き締まったのを覚えている。 (2年)部活動においては選手としてのプレーヤー活動とは別に、試合運営の活動も開始した。試合に出場していただけでは決して分からなかったような裏方業務の重要さや、プレーヤー活動と両立させることの難しさを体感した。学業に関しては、まずは第1志望のゼミナール試験に合格することを目標に夏頃から対策を始めた。私の通う政治経済学部は、学生がゼミ試験に対して受験戦争と同じくらい真剣に取り組む一大イベントであるからだ。早めの動き出しが功を奏し、第1志望の統計学のゼミナールに入室することができた。また、2月からは1ヶ月間シドニーに短期留学に行った。長期留学を望んでいたものの、部活動との兼ね合いもあって短期を選択した。現地で何より驚いたのは、学生が自国の政治・経済について普段から当然のように意見を交わしていることだ。同時にそれができていない自分に恥ずかしさを覚え、心を改めようと決意した。 (3年)コロナ禍で1番苦労したのは〇〇の試合運営であった。最終学年にとってはこれまでの活動の集大成とも言える試合を延期しなくてはならなかった。開催時にも通常とは全く異なる形式で行うことになり、これまで当たり前に運営・開催できていたことのありがたみを実感した。部活動に限らずどのような場面でも、常に希望を持ちながら生活することでコロナ禍の生活自体にも自然と慣れていったように感じる。 続きを読む
21卒 本選考ES
担当職
21卒 | 学習院大学 | 男性
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Q.
自分史
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A.
【小学校卒業まで】 (0歳) ○○に生まれる。 (3歳) 父親が○○というスポーツを趣味でやっていたことから、○○を始めプロを目指す。 (小2) 水泳の授業で泳げないのが悔しく、スイミングスクールに通う。 (小3) ○○チームの所属、毎週休日の練習の成果もあり、全国大会で優勝する。あるものに情熱を注ぎ、頂上を取ることの楽しさを感じる。 (小4) 目立つことが好きで、学校で人気者になる。学校後は毎日友達と公園で遊び、運動するのが好きだった。 (小6) ○○で1級を取りやめる。○○では大会が日本各地で行われるため、毎月日本各地を行き交う月日を過ごす。 【○○中学校入学】 (中1) ○○部に入部する。春夏秋は学校の野外プールで毎日○○mの泳ぎ込み、冬は○○部に交じり毎日走り込みをした。また、春秋は水温○○度とプールではなくむしろ水風呂のような冷たさの中、○時間の練習、顧問が厳しいこともあり精神的にも辛かった。しかし仲間の中でムードメーカーとなり励まし合い乗り越えた。結果やり抜く粘り強さを身につけた。 (中2) 塾に通い始め、学業では年5回の定期テストで上位を目指すことに挑戦し結果、常に上位○%を維持できた。授業で水泳がある時は、泳げない友達に泳法を教え、25m泳ぎ切るまでサポート的な役割を担った。また、水泳の授業がある日は、朝練・授業・午後練と1日3回もプールに入る日々であったため、競泳水着を乾かすのに必死だった。 (中3) 部活では2年半の厳しい練習の成果から、夏の最後の大会でメンバーに選ばれるなどしたが、結果を残せず悔しく思った。学業でも粘り強くやり抜きたいと思い、部活引退後はより一層力を入れ、塾の単語テストでは毎日○位を取った。塾長の勧めから、○○校に進学を決める。趣味の○○では、関東大会までは出場を果たすが、思うように結果が出せなくここでも悔しい思いをした。 【○○高等学校入学】 (高1) 入学後の○日間は、先輩からのスパルタ指導を徹底的に受けることが伝統であったため、「○高生」としての極意を学んだ。当時の経験は一生忘れない程厳しい経験となった。父親の転勤をきっかけに○○ができなくなり、プロ選手を断念する。部活では中学校での屈辱から○○部に入部する。冬は朝練で週○日始発電車で登校する日々を送ることになる。 (高2) 学業では、中学校での部活顧問の影響から、○○科目に興味があり、文理選択では○○系を選択する。また、定期テストでは、テスト習慣の2週間に毎日○時間以上の時間を費やした。結果的に30人のクラスでは常に1、2位を争うようになり、努力で結果が数字に表れることのやりがいを感じた。 (高3) 部活では最高学年になり、○○にはなれなかったものの親しみやすい人柄から、チームのムードメーカーとして皆のモチベーションアップを図った。さらにその人柄から下級生と同じ目線で向き合い、話しやすい雰囲気を構築し指導にあたった。高校でもメンバーに選ばれるが、結果は平凡に終わってしまう。学業では、日々の努力の結果から○○の高成績を獲得出来たことから推薦で○○大学への進学を決める。 【○○大学入学】 (大1) 幼い頃から日本全国を行き交っていたことから新しいものに挑戦・発見することが面白いと感じ、○系以外の学問も学習したい事、世界に視野を広げるために元々興味があった外国語を学びたい事から大学入学から、○○系の道に進む。中でも○○を専攻しようと思った。部活動では、高校当時に家族で○○観戦をする機会が増えていたことから、選手の輝きに憧れ実際にプレーしたいと思い○○部に入部し新しいスポーツに挑戦。しかし初心者は部員○○名の中で自分一人だけであった。バイトでは「お店づくり」をしたく、新規オープンした○○で働き始める。 (大2) ○○部に入部当初は、唯一の初心者としての挑戦であり、チームの中で自分の役割が確立できず、悔しかった。そのため同期4人の仲間を誘い共に、週○日○時間の練習後○分の自主練習に切磋琢磨し互いに励まし合いながら鍛えた。かなり過酷であったが、中学校の部活を糧に何とかやり抜いた。○○のもと学業でも負けたくなく、GPA3○を目指した。こうして学業・部活・バイト三昧の日々を送る。 (大3) 部活では、強みの○○で○○などの独自の役割を確立し、チームの中で自分の位置を見出した。さらに最高学年になった秋からは、責任のある役割を果たしチームの代表になりたく思い、○○となった。○○では大会の運営やチーム登録など裁量が大きく、同時に達成することの楽しさを学んだ。学業ではより深い理解、現地での本質理解、自己成長から○○への留学に挑戦した。バイトでは、愛されるお店づくりを目指し、自らが資格を取りリーダーとなりクルーのモチベーション維持のための企画を構築した。結果的に、売上アップにもつながった。 (大4) 現在は、「自らが更なる成長ができ、世界をフィールドにいかに多くの人たちにより良い影響を与えられるか、未来づくりに貢献できる人になれるか」を軸に就職活動中。 続きを読む
21卒 本選考ES
総合職
21卒 | 九州大学大学院 | 男性
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Q.
あなたのこれまでの人生において、最も印象に残っている「決断の場面」を紹介してください。 あなたは何に悩み、最終的にどのような考えに基づき決断を下したのか、 また、決断の結果何が起きたのかについて記述してください。(日本語記述/300字以上400字以内)
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A.
ボクシングのプロテスト受験後の決断が、最も印象に残っています。私は、プロとして試合に臨むことを目標にボクシングジムに通い、毎週4~5日の練習に励んでいました。自分なりに目標までの過程を構築し、3年目にしてプロテスト受験のチャンスを得ることが出来ました。しかし結果は不合格で、テスト後にはボクシングを継続するか否か、非常に悩みました。そして私の出した結論は、「継続し、目標を達成することで、それまでの時間とこの悔しさを意味のあるものにする」というものでした。半年後の2度目の挑戦でも合格は勝ち取れませんでしたが、就職活動後の再挑戦に向け、現在は学校の施設でトレーニングを行っています。私はこの経験以降、やりがいや自己研鑽といったことに加え、「結果」を常に心がけるようになり、何事も、挑戦したその先まで見通すようにしています。 続きを読む
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Q.
三井物産は、世界を舞台に「挑戦と創造」を体現する場です。 あなたが「挑戦と創造」をし、実現したい夢は何ですか。 また、その夢を実現する為に、現在どのような努力をしていますか。(日本語記述/300字以上400字以内)
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A.
私の夢は、「土木技術を用いて途上国発展のサポートをすること」です。「土木技術を、本当に人々に喜ばれる場所で提供したい」、という思いと、東南アジアへの旅行を通して感じた「自国と途上国の生活水準の差を埋めたい」という2つの思いを実現したいからです。 私は、物事の仲介が多い商社というフィールドでこの夢を叶えるには、大きな自信を持つことが必須であると考えます。数多くある、大きな決断の機会において、それが無ければ周囲に対しての説得力も薄くなると考えるためです。そこで私は、自己の強みである、チャレンジ精神を形にすることで、自分への信頼を高めたいと考えています。私が大学時代に最も力を注いだボクシングを通して磨いてきたこの強みを、プロテストへの合格という形に残すために、日々の限られた時間の中でトレーニングに励んでいます。 続きを読む
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Q.
当社の採用ホームページ又は会社案内冊子のコンテンツの中で、あなたが最も共感したものは何ですか。
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A.
欧米での鉄道リース事業に対する、社員の方々の熱意に共感しました。自分の信念を、周囲の状況やニーズの把握という裏付け、また、積極的な行動をもって首脳陣に示し、夢を実現させていく姿に、将来の自分を重ね合わせたからです。「開拓者」として、惜しみない努力に心を打たれました。また、一つ一つの目標を達成していく過程で、ヨーロッパでのビジネスモデル作りなど、チャンスを嗅ぎ分ける嗅覚をもって、着実に、そして貪欲に事業の拡大を図られていた点にも商社マンとしてのあるべき姿を垣間見た気がしました。こういった社員の方々の力の集結が、貴社への「信頼」を築き上げていると感じましたし、この件におけるシーメンスのように、ビジネスパートナーが最終決断を下すに当たり、重要なファクターになるのだと感じました。 続きを読む
20卒 本選考ES
総合職
20卒 | 東北大学大学院 | 男性
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Q.
学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。 その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由と期間、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び
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A.
●●大学国際祭りのPRリーダーとして、来場者数増加を目指した経験です。以前、目標の共有と現状分析を怠ったために、フードカーの運営に失敗した経験がありました。この失敗を失敗で終わらせないために、挑戦を決めました。フードカー運営で学んだことを活かし、チーム内でのコミュニケーションと、現状分析を重視して行動していきました。毎週のミーティングに加えて毎日連絡を取り合い、お互いに助け合ったこと、1.PRの活動量が十分でないこと2.行なったかどうかを重視し施策の効果が意識されていないこと、の2つの課題を明らかにして、それに適した施策を行うことで、結果として例年を上回る約5500人の来場者に繋がりました。この挑戦から学んだことは、自分の行動次第で、失敗を意味のあるものに変えることができるということです。今後もチャレンジを大切にし、失敗してももう一度立ち上がって、再挑戦する姿勢を貫いていきたいです。 続きを読む
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Q.
学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ迄)。 (各30文字以内)
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A.
●●駅前での学生フードカー運営 ●●大学国際祭りのPRチームリーダー 学部時代での教養・専門科目の勉強 ●●研究室での研究活動 続きを読む
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Q.
三井物産を志望する理由を記述して下さい。(200文字以内)
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A.
「人を大切にする」風土に魅力を感じました。様々な場面でこれを感じたのですが、最も印象に残っているのは、メンターの方の「三井物産を好きになってもらいたいのではなく、インターンを通じて何かを得て、成長してもらいたい」という言葉でした。自身の過去をさらけ出して、私に向き合ってくれたことを、今でも強く覚えています。私も貴社で働き、仕事に誇りを持って、メンターの方のような社会人になりたいです。 続きを読む
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Q.
自由記入欄(200文字以内)
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A.
私の強みは、何かに失敗して一度落ち込んでも、そこからもう一度立ち上がって新しい挑戦が出来る「起き上がり小法師力」です。高校陸上部では、リレーメンバーに入れず補欠に回りました。しかし、仲間をサポートする側に回り、高校総体出場に貢献しました。大学受験に失敗した際は、一度は落胆しましたが、自分の弱さを受け入れて勉強し、志望校合格に結びつけました。社会人になっても、これを活かして働きたいです。 続きを読む
21卒 本選考ES
総合職
21卒 | 慶應義塾大学 | 女性
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Q.
今あなたが夢中になっていることは何か教えてください。そのことは何故夢中になるほど面白いのか、そのことについて何も知らない人でもわかるように説明をしてください。(300字以内)
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A.
討論会です。大学二年生の夏に初挑戦し、全国2位を獲得した。大学に入ってからは忘れていた、友情・努力・勝利という青春のすばらしさを思い出すきっかけになったからである。 魅力は、何と言っても静と動を使い分けることである。10分間読み上げられ続ける問題をひたすら無言で聞き取る静、それに対し制限時間内に多くの点数を稼ぐよう作戦を組み立てながらチームで攻撃をしかける動。討論会なのに、プレイヤーの真剣な顔と、張り上げる大声はまるでスポーツのようで初めて生で見た時は感動した。 バスケで培ったチームワークに加えて、その場での機転の利かせ方の巧妙さが要求される競技に、私は没頭した。 続きを読む
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Q.
あなたが総理大臣であったら、日本をもっと強く元気にするために誰を内閣に入れますか?「具体的な人物名(一般的に知られている著名人の中から挙げてください)」、「アサインする役職」、「そう思う理由」と共に 教えてください。なお役職については実際には無い役職を新設する想定でも構いません。(300字以内)
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A.
古市憲寿氏を官房長官、No2に起用する。 うやむやにされがちな政界の事情に、ズバズバと切り込み、持ち前の毒舌で喝を入れてほしい。 日本が強く元気になるために必要なのは、若者が政治に興味を持ち、自分たちの一票が国を変えることを認識することだと考えている。人気の俳優やアイドルでも招き猫としての使用はできるかもしれないが、一過性のものであることは現状からも理解できる。その点、政治家の汚点については枚挙に暇がなく、彼が際どい発言をする度にメディアに取り上げられる。その上、権力・年寄に立ち向かう若者の構図が、世間に希望を与えると思う。 加えて、友人が多いことから、人格に優れ信頼のおける人であると考える。 続きを読む
20卒 本選考ES
総合職
20卒 | 法政大学 | 男性
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Q.
設問1学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。 その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由と期間、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び
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A.
私は学生時代にバックパッカーをしており、今まで21カ国(バングラデシュ、イラン、ブラジルなど)を回りました。上記の国は日本でのイメージが実際の治安以上に悪く査証取得の煩雑さや検査続きの国境越え、交通機関の不十分さゆえの不便さも含めて容易な旅はできません。自分の主張を通すための粘り強い交渉や日本では考えられないような理不尽への忍耐も必要です。また多くが非英語圏ですので基本的な言葉も勉強します。こうした地域への渡航は無論、私の世界への目を開く一方で、それ以上にこれらの地域に行こうと決心する勇気や事前の情報収集によるリスクマネジメント能力、現地の官吏に主張を了解してもらえるような交渉力と粘り強さ、そして言葉や文化などの現地環境への適応力も身につけたと思います。これらは私の最も大きな経験だと思いますし、最も自信を持っている私の特徴です。 続きを読む
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Q.
設問2 上記設問に関連する写真を1枚アップロードしてください。
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A.
写真のアップロード 続きを読む
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Q.
設問3 学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ迄)。(各30文字以内)
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A.
1.バックパッカーとして21カ国(アジア圏、欧州、南米)を周遊 2.高校ではサッカー部に所属し選手権出場 3.ゼミにおいて国際経済学を研究 4.法人営業インターシップ 続きを読む
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Q.
設問4 三井物産を志望する理由を記述して下さい。(200文字以内)
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A.
私が商社を志望する理由としては、「途上国の発展に貢献したい」からです。バックパッカーの経験を通し数多くの国々を周遊する中で、途上国において素晴らしい能力を小さな枠の中でしか発揮できない現状を目の当たりにしました。そして、彼らに生きる上での選択肢を与えるためにはどのようなことができるのかを模索しました。結果、整った労働環境下のもとで働き金銭的な余裕を得ることが彼らに選択肢を与え、生活水準のボトムアップに繋がると考えました。従って、現地でビジネスを生み出すことができ、それを自身が当事者となって動かすことのできる商社に強い魅力を感じました。以上が私が商社業界を志望する理由になります。 続きを読む
20卒 本選考ES
総合職
20卒 | 南山大学 | 男性
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Q.
学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。 その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由と期間、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び
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A.
5か月間の交換留学での単位取得だ。私は大韓民国の大学で、貿易業務やグローバル化についての授業を履修した。当初、英語が聞き取れず、授業を完璧に理解できないことと、1教科400ページの教材を読み切れない現状にあった。私は周囲の期待を裏切れない気持ちや悔しさを感じた。そこで私は目的を再確認し、上位1割の成績であるA評価を得る目標を決めた。そこで工夫したことは2点ある。1点目は、教授と密に意思疎通を図ったことだ。教授に自分の現状を理解してもらい、授業内外で理解度を図る質問をお願いした。2点目は、勉強会を企画し、定期的に行ったことだ。私はクラスメートを巻き込み、不明点を持ち寄って情報の共有や作業分担を行った。その上で私は、相手を尊重することと、まずは自分が一番頑張る姿勢を大切にした。結果、全5教科でA評価を得た。この経験から素直に出来ないことを認め、仲間と協働して、問題解決する大切さを学んだ。 続きを読む
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Q.
学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ迄)。 (各30文字以内)
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A.
1.2度の留学を行い、交換留学では単位取得に努めたこと 2.個別指導塾講師として、生徒の成績向上に努めたこと 3.ゼミで共同論文を作成し、ISFJ日本政策学生会議で発表したこと 4.飲料宅配の新規開拓営業で契約をとったこと 続きを読む
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Q.
三井物産を志望する理由を記述して下さい。(200文字以内)
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A.
私は日本のモノづくりや高い技術力を世界に発信し、日本の世界における存在感を再興させたい。私は留学で新興国の人々の勢いや野心が強いことを感じ、日本製品が高い信頼を置かれつつも外国のモノに代わられ、危機感を感じた。またゼミの研究では、日本企業が資金やノウハウ不足で海外展開ができない現実を知り、歯がゆい思いをした。そこで私は総合商社の知見を活かし、ビジネスの仕組みを創り、企業の海外進出を支えたい。 続きを読む
20卒 本選考ES
担当職
20卒 | 東京大学 | 男性
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Q.
学生時代の最大の挑戦400字(写真とともに) 挑戦した理由、期間、何を心がけて行動したか、どのような結果を出したか、挑戦から得た学びについて説明してください。
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A.
アメフト部4年時に、生涯初めての大怪我をして、引退まで試合に出られないことが確定した8月から、引退する12月までの4ヶ月間である。大怪我をした自分にチーム内での唯一性を見出し、プレーできない自分にしかできないことを模索した。前向きに挑戦することができた理由は、それまでの3年間の自分を支え続けてくれたチームに恩返しがしたかったからである。具体的には、対戦校を分析するスタッフや渉外部門のスタッフに選手として加わり、選手目線の意見を伝えるだけでなく、スタッフの考えを吸収して、選手に共有した。プレーできない選手という立場を生かし、スタッフと選手のパイプ役となることで、選手とスタッフの垣根を解消することができた。この挑戦から、思い通りにいかない場面であっても、その状況下で出来ることを必死に考えることで組織に貢献でき、また、新たな考え方が身につくため自身の成長にもつなげることが出来ると知った。 続きを読む
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Q.
三井物産 志望理由200字
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A.
貴社では、変化する社会に適応する力が求められるためである。私は大学の部活で4年時に大怪我をしてしまい、試合にほぼ出られずに引退することが確定した。当初は、チームにとっての自分の価値を見出せなかったが、チーム内での自分の立場に唯一性を見出すことで、前向きにチームにコミットでき、自分にしかできないことを模索してチームに貢献した。困難を乗り越え、適応し貢献する力を生かせると考えるため、貴社を希望する。 続きを読む
20卒 本選考ES
担当職
20卒 | 明治大学 | 男性
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Q.
学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。 その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由と期間、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び
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A.
昨年10月末に開催された商学部ゼミナール対抗プレゼンテーション大会に向けてのチームリーダーを4月から約半年間つとめました。そのなかで、自己主張が苦手であるという自分の弱点の克服に挑戦しました。高校時代に120名の吹奏楽部の部長をつとめた経験で傾聴力を磨きましたが、より良いリーダーになるためには主張力も身につけたいと決意したからです。当初は、ゼミ生7名のチームメイトの意見を全て受け止めようとするあまり、自分の主張を遠慮して合意形成においての議論を妥協しました。しかし、多様性があるからこそ良い意思決定ができるという高校の経験をもとに、どんなに時間がかかっても良いから衝突を恐れずに、意見を率直に話すようにしました。このようにチームメイト同士の活発な議論を主導することで内容の濃い研究をすることにつながり、学部トップの成績を収めました。この経験で、人が結束したときのパワーの大きさを改めて感じました。 続きを読む
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Q.
学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ、各30文字以内)
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A.
①商学部プレゼン大会優勝を目標に、チームリーダーをつとめたこと ②東南アジアの旅など、様々な人の考えや文化に積極的に触れたこと ③東京ディズニーリゾートゲストコントロールキャストとしての仕事 ④ラテンジャズビッグバンドでドラムと機材車の運営を担当したこと 続きを読む
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Q.
三井物産を志望する理由を記述して下さい。(200文字以内)
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A.
人々の生活を支える縁の下の力持ちとして世界をつなぐ架け橋になることで、社会に貢献するためです。具体的には、機械・インフラ分野で長期的に必要とされる新興国での物流システムの構築に携わりたいと考えています。これを実現するために、ベトナム人との協同チームで販促活動をした経験をいかします。従来の考えにとらわれず、現場での経験を大切にし、同時並行で進む様々な課題に幅広い知見のもとに取り組む習慣をいかします。 続きを読む
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Q.
自由記入欄(200文字以内)
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A.
私は、人と人をつなぐ仕事の最前線で働く経験を大切にしたいと考えています。この想いは、現場で様々な考え方に触れることがより良いサービスにダイレクトにつながる東京ディズニーランドでのアルバイト経験で強くなりました。その道のプロフェッショナルを相手にする仕事において現場で培った経験をもとに、1つの考えに固執することなく全体最適を導くことができるよう、専門性と総合力を兼ね備えた人材として活躍していきます。 続きを読む
19卒 本選考ES
総合職
19卒 | 成城大学 | 男性
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Q.
学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、以下4つの要素を交えながら 具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び。
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A.
私は大学生活の中で、学生全体の上位1%しか選出されない特待生を目指すという最大の挑戦をしました。私は現在通ってる大学には指定校推薦で入学したことや、母子家庭だったことから入学時に学費が支給される特待生選出を目標に掲げました。しかし、教職課程を取っていたため他の学生の1.5倍以上単位を履修しなければなりませんでした。そのため、目標を達成するために効率よく勉強することを心掛けました。そこで、徹底したスケジュール管理をしました。具体的には、まず自身の現状把握から始め各授業で良い成績を取るために何が必要か全て紙に書き出しました。次に重要度や時間配分を考慮して、1週間スパンの計画表を作成しました、これにより如何なる時でも無駄なく効率よく勉強でき3年連続特待生に選出されました。この経験からどんな困難な目標でも諦めず、計画性を持って行動したら達成できるといったことを学びました。 続きを読む
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Q.
学生時代にあなたが下した決断の中で、いま振り返っても正しいと思える 決断を一つ、またその理由を含め具体的に記述して下さい。(200文字以内)
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A.
私は、ディベート大会でAさんをサポート役に任命したことが正しい決断だと今でも思っています。参加人数が100人以上で大規模な大会であったために、私だけでは纏めるのが困難でした。そこで日頃の行動から信頼できる同じゼミの女性Aさんにサポート役に任命しました。すると、意欲的に一人一人に意見を聞いたりと行動してくれました。私が他の用事で外している時も、即座に責任者としての役割を果たしてくれたので決断は正しかったと感じました。 続きを読む
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Q.
三井物産を志望する理由を記述して下さい。(150文字以内)
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A.
私は、異動が多く成長できる環境があることに魅力を感じ貴社を志望しました。私には途上国の社会全体を変えるといった夢があります。貴社の環境の中で生活インフラが整っていない地域には趣き、一人一人に寄り添い発展に努めていきたいです。そのために貴社に入社したら、将来的には世界というフィールドで活躍したいです。 続きを読む
19卒 本選考ES
総合職
19卒 | 同志社大学 | 男性
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Q.
学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ迄)。 (各30文字以内)
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A.
(1つ目) 野球サークル主将として、初のリーグ戦優勝に貢献したこと。 (2つ目) 社会人軟式野球チームに所属し、最年少で指揮を執ったこと。 (3つ目) 野球サークル日本代表選手として、台湾で試合を行ったこと。 続きを読む
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Q.
学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、以下4つの要素を交えながら 具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び。
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A.
チーム最年少で監督代理としてチームの指揮に挑戦しました。大学1年時からチームに所属し、大学3年の4月に代表から仕事の都合で来ることが出来なくなった監督の代理として指揮を任されました。しかし、周囲の選手は年上が多いだけではなく、野球の技術も高かったため疑問の声も多くありました。また、自身の指揮の判断力不足から試合に負けてしまうことが増えてしまいました。そこで、年上の選手に徹底的に意見を貰って指揮を執るように心掛けました。具体的には、試合前後でその日の試合プランについて綿密なミーティングをしました。就任4か月後に監督が復帰して指揮を執るようになりましたが、試合前後に綿密なミーティングを行う慣習は今でも残っています。その結果として、全国大会初優勝を達成しました。この経験から、自身の足りない部分を周囲に補ってもらいながら目標達成に向けた努力ができるようになりました。 続きを読む
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Q.
学生時代にあなたが下した決断の中で、いま振り返っても正しいと思える 決断を一つ、またその理由を含め具体的に記述して下さい。(200文字以内)
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A.
あえて留学にはいかず、国内で自分が本当にしたいことに没頭するという決断をしたことです。私の学部は所属者の半数近くが留学に行きます。しかし、私には留学をする明確な理由がありませんでした。一方で小学生から続けてきた野球に没頭することで、体育会ではありませんでしたが、様々な出会いや経験を得ることが出来ました。これらの経験や出会いは無目的に留学に行っていたら得られなかったと考えています。 続きを読む
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Q.
三井物産を志望する理由を記述して下さい。(150文字以内)
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A.
野球を通じて得た経験から、集団で一つの目標に向かって全力で努力できる仕事に興味を持ちました。その点から、幅広く人やモノを繋げて相乗効果を生む総合商社に興味を持ちました。その中でも、個人を重んじ「健全なる領空侵犯」を推奨すべきだという貴社の姿勢があれば更なる挑戦と創造が可能だと感じ志望いたしました。 続きを読む
19卒 本選考ES
総合職
19卒 | 青山学院大学 | 女性
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Q.
学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ迄)
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A.
(1つ目)社会テーマ「拡大する中国のオンラインショッピングの利用動向」 (2つ目)学部の国際交流促進、学生連合“青い”クリスマスパーティー創り (3つ目)女性店長、外国人7割のマクドナルド(3年間)。現マネージャー (4つ目)7歳~米国・中国、現在まで続けるバイオリン(絶対音感がある) 続きを読む
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Q.
あなたの強みは何ですか。
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A.
未知の世界へ飛び込み視野を広げる、行動力 続きを読む
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Q.
あなたの弱みは何ですか。
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A.
まず言動で示そうとする、自己主張の激しさ 続きを読む
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Q.
伊藤忠商事を志望する理由を教えてください。
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A.
いかなる場合も厳しい環境で主体的に挑戦し改革し続ける御社で、誰からも必要とされる商人として成長したい 続きを読む
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Q.
あなたの信念を教えてください
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A.
誰とでも接するからこそ、自分がされたら嫌な事は他人にもしない 続きを読む
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Q.
将来果たしたい「使命」は何ですか。
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A.
日本と中国の架け橋となり日本人としての誇りの最大化に貢献する 続きを読む
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Q.
困難に直面した時、どのように克服しますか。
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A.
なぜそうなったのか原因をまず考え、臨機応変に最善の行動をとる 続きを読む
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Q.
チームで成果を出すために、どのようにチームにかわりますか。
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A.
メンバーのモチベーション維持の為に常に明るい雰囲気作りをする 続きを読む
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Q.
意思決定を行う際に、気を付けていることは何ですか。
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A.
(リーダーとして)最後まで相手の立場に立った決断か、問い直す 続きを読む
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Q.
あなたの研究内容をご記入ください。
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A.
拡大する中国のオンラインショッピングの利用動向~北京大学生の生活の一部として参入・その活用実態から~ 続きを読む
19卒 本選考ES
総合職
19卒 | 関西学院大学 | 男性
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Q.
学生時代に注力していたことを端的に記述して下さい(最大4つ迄)。 (各30文字以内)
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A.
(1つ目)サークル活動として行った基礎スキー (2つ目)アパレル企業のGUで販売員のアルバイト (3つ目)研究で行った患者の立ち上がりを補助するロボットの開発 (4つ目)10大学合同で行う300人規模のイベント企画 続きを読む
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Q.
学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び。
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A.
私は基礎スキーサークルに所属しており、メンバーで誰も所持していないスキー検定の「テクニカルプライズ」という級を取得することに挑戦しました。サークル実行学年の3回生として、実力で下級生を引っ張っていかなければならないという思いがあったからです。受検当初は、誰もが所持していない級という事で、実力が足りず何度も検定に落ちました。しかし、誰よりも練習し何があっても諦めないことを心掛けて挑戦を続けることによって、4度目の受検で合格することが出来ました。合格までの過程を身近で見ていたメンバーはライバル心が掻き立てられ今まで以上に練習に取り組むようになり、結果としてサークルを引っ張ることが出来ました。この経験から、「人とは違う何か」を持つことで周りに影響を与えられ、組織を動かすことが出来ると学びました。 続きを読む
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Q.
学生時代にあなたが下した決断の中で、いま振り返っても正しいと思える決断を一つ、またその理由を含め具体的に記述して下さい。(200文字以内)
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A.
それは大学から基礎スキーを始めたことです。私は小学生から高校卒業までの11年間野球を続けてきました。大学入学時に野球部に入るか悩んだ結果、自分の実力が試せる個人競技をしたいと考え、基礎スキーを始める決意をしました。競技を行う中で、初心者だったことや個人で挑む大会の雰囲気に挫折しそうになりました。しかし、基礎スキーを始めたおかげで度胸や個人競技でしか味わうことの出来ない達成感を得ることが出来ました。 続きを読む
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Q.
三井物産を志望する理由を記述して下さい。(150文字以内)
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A.
私が貴社を志望する理由は、「新しいビジネスを創造し世界に貢献することで、日本の地位を向上させる」という私の将来の目標を達成できるからです。個人の創造性を重視し、若手でも大きな事業に挑戦することが出来る貴社でこそ、私の目標を達成できると考えています。 続きを読む
18卒 本選考ES
総合職
18卒 | 法政大学 | 男性
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Q.
過去の経験の中で、自身にとっての挑戦と、結果を導くためにどのように行動をしたか記述してください。(200文字以内)
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A.
【TOEIC430点から920点へ】 中学・高校の英語の成績は常に最高評価でしたが、私は大学1年次に英会話の授業に全くついていくことができず、挫折を経験しました。そこで、卒業までにTOEIC900点を取得することを目標に、要する時間を逆算し、毎日最低2時間勉強しました。移動時間に必ずシャドーイングをする、シャワー中に英語で独り言を言い続ける等、学習を習慣へ落とし込んだ結果、目標を達成できました。 続きを読む
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Q.
与えられたことでなく、自らの思いで何かを為しえた経験を一つ、 具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
【日本文化を紹介する国際交流イベントの開催】 私は留学中に初めて日本へ嫌悪感を持つ人達に出会い、口を聞いてもらえなかった悔しさから、国際交流イベントを開催しました。大学との補助金交渉・会場準備・多国籍で構成された20人のメンバーをまとめる等、泥臭いことも沢山ありました。それでも諦めずに提案し、人を巻き込み続けた結果、彼らに「あなた達のおかげで日本を好きになった」と言ってもらうことが出来ました。 続きを読む
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Q.
他人の意見と相違があった際、どのように解決しましたか。 過去の経験談を記述してください。(200文字以内)
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A.
【懸命に働き、互いの方向性を共有する】 上記イベントの準備期間にメンバーとイベントに対する価値観の違いで衝突することもありました。しかし、誰よりも早く集合場所へ行き、懸命に働く等、行動で熱意を示し、また自分と相手の方向を一致させ共通の価値観を作り出すことで解決しました。具体的には私はモチベーションの低いメンバーの好きな人をイベントに呼ぶと約束し、一緒にイベントを成功させようと方向性を共有しました。 続きを読む
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Q.
所属組織の活動や、世の中に対しあなたが過去感じた「問題意識」と、 それに対してあなたがとった行動および結果を記述してください。(200文字以内)
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A.
【2次情報に惑わされる問題意識】 上記の通り、私は国際交流イベントを開催しました。まず、出会った中国人や台湾人の人たちが嫌悪感を抱いている原因は、マスコミや教育等の2次情報の影響だと知り、実際の日本を知ってもらうことを目標に掲げました。そこで、日本独自の「おもてなし」の文化の発信やアイスブレイクとしてストッキング相撲や梅干しの試食体験を行いました。結果、彼らに本当の日本を知ってもらえました。 続きを読む
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Q.
当社への志望理由を端的に記述してください。(150文字以内)
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A.
私は新興国のインフラ整備に挑戦したいです。私は2度の米国留学から日本を好きであると実感し、留学中に出逢った東南アジア出身の友人たちが彼らの生活基盤を創った日本へ感謝し、更なる貢献を期待していたことから冒頭の想いを抱きました。私の創意工夫力という強みを発揮し、多角的なアプローチを提案していきたいです。 続きを読む
18卒 本選考ES
業務職
18卒 | 上智大学 | 女性
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Q.
三井物産において、業務職として働くことを志望する理由を教えてください。
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A.
貴社における業務職としての働き方と役割に共感したからです。私の就職活動の軸は、1長く働き続けられること、2 1の理由から業務職を選んでも、主体的な仕事が喜んで受け入れてもらえること、3日本の高い技術で世界を豊かにすることです。3の理由から、モノを限定せずに日本と海外をつなぐ総合商社で働きたいと考えています。その中でも、貴社では2の思いを実現できると考えました。その理由は、貴社の業務職の方は、担当職の持ってきた仕事を実行するだけでなく、チームのパフォーマンスを高めるために、チームを下から見て働いていると感じたからです。女性ならではの視点と細かい心配りで業務を行い、担当職の方が気付きにくいものを補っていることで総合商社の役割が成り立っていることを、貴社の業務職の方のお話から知りました。それまで抱いていた商社の一般職のイメージは変わり、職種にとらわれずに働く貴社の業務職として働きたいと考えました。 続きを読む
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Q.
これまでに複数の人たちとともに取り組んだ経験の中で、深く印象に残ったエピソードを教えてください。また、その中であなたが担った役割についても教えてください。
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A.
高校時代にダンス部20名程度で、文化祭の舞台においてミュージカルを行ったことです。準備段階ではまず、ストーリー制作係、振付係、衣装係に分かれました。初めは各係が単独で作業を進めていましたが、徐々に各々の意見の違いに収拾がつかなくなっていきました。更に、ストーリーの役付者とそうでない人の間に出演場数の差が生まれたことで人間関係の亀裂も生じました。そこで、週二回のミーティングで全体の進行状況を把握し、話し合う場を設けることにしました。私はこの中で、思っている事を発言できないメンバーから意見を引き出す役割を担い、話し合いを本音で行うことができるようにしました。その結果、ストーリーの流れに多少の影響は出たものの、最終的には皆が納得する舞台を作り上げることができました。更には観客の心を動かし、それまで受賞したことのなかった文化祭大賞を受賞することができました。 続きを読む
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Q.
仕事をしていくうえで、あなたが大切にしたいと思うことは何ですか。そう思う理由を過去の体験を踏まえて教えてください。
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A.
一つ目は、常に問題意識を持って取り組むこと。二つ目は、境界線を引かず、自分で考えて主体的に行動することです。飲食店のアルバイトで、ある後輩より仕事ができていないと感じた経験があります。その原因は、決められたことや指示されたことを上手くこなすだけが仕事だと勘違いしていたことにありました。後輩は、自分の立場に臆することなく、問題を見つけ、提案し、実行していたのです。このことに気が付いてから、今のオペレーションが本当に最善の方法なのか、店長の目の届かない問題点はないかと、アルバイトという立場に留まらずに店舗の運営を様々な視点で見て、改善に打ち込むようになりました。この経験を通して、問題意識を持ち、考え、行動することが自らの経験値を向上させると同時に、全体の改善につながることを学びました。社会人として働く上でも、上記の二点を大切にしながら仕事に取り組みたいと考えています。 続きを読む
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Q.
これまであなたが思いを持ってやりぬいたことや、困難を乗り越えた経験など、あなた自身のエピソードを教えてください。
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A.
飲食店のアルバイトで、従業員の働く意識の差を埋めることに打ち込んだ経験があります。入店当初は、従業員同士がお互いを高め合う良い雰囲気がありました。しかし、社員と従業員の交代を繰り返すうちに、何事もベテラン任せで、新人は他人事のように働く風潮ができました。私は、皆が共通した意識と目標をもつチームは成長できることを知っており、私自身がその環境の中で、自分で考え、意見を持つことを学んだ為、次は後輩たちに経験してほしいと考えました。そこで、新人とベテランの両者に、働くことに対する考えを聞くことから始めました。すると、ベテランは自ら行動するほうが効率的だと考え新人に仕事を任せないこと、新人もその状況が当たり前だと思っていることがわかりました。この状況を打破するため、新人に「自分で考える」教育を普及させました。その結果、考える力が養われ、どの従業員も自分事として捉えた仕事を推進するようになりました。 続きを読む
18卒 本選考ES
担当職
18卒 | 東京工業大学大学院 | 男性
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Q.
過去の経験の中で、自身にとっての挑戦と、結果を導くためにどのような行動したかを記述してください。(200)
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A.
私の最大の挑戦は、原子力の専門分野でプロフェッショナルになることを目標に行動したことです。私は、この目標を達成するために合格の難しい原子力の資格取得やチェコ共和国で3か月間の研究留学を行い、深い原子力の専門知識や広い視野で物事を考える力を身に付けることができました。私は、自身の強みである「向上心」と目標に対して「やり抜く力」を用いて、原子力のプロフェッショナルに一歩近づけたと考えています。 続きを読む
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Q.
与えられたことでなく、自らの思いで何かを為しえた経験を一つ、具体的に記述してください。(200)
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A.
私は、海外からの視点で原子力を学びたいと考え、3か月間の研究留学を行いました。日本人がいない環境で初めは住居に関する手続きから研究に関する情報収集まで全てにおいて手探りの状態でしたが、「海外でしか学べない知識・経験を得る」という目標を掲げ、毎日主体的に行動しました。この経験で、広い視野で物事を考える力を身に付けることができ、現在の研究に独自性のあるアイデアを練ることができました。 続きを読む
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Q.
他人の意見と相違があった際、どのように解決しましたか。過去の経験談を記述してください。(200)
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A.
私は、学園祭実行委員会に所属し、抽選会の運営に携わってきました。本番に向けて練習する中で、「司会者の台詞」や「協賛品の受渡方法」など些細な問題でメンバー同士の意見が対立することがありました。そこで私は、物事を多角的に見るために、他キャンパスや他大学の学園祭実行委員会に客観的な意見を求めに行きました。そこで得た意見を基に、自分の意見を交えた解決策を提案し、問題解決を円滑に進めることができました。 続きを読む
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Q.
所属組織の活動や、世の中に対しあなたが過去感じた「問題意識」と、それに対してあなたがとった行動及び結果を記述してください。(200)
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A.
私は、3年間居酒屋でアルバイトをしていました。居酒屋は常に忙しいため、新人への指導が不十分なまま、ホールやキッチンの様々な業務を任してしまい、厳しさに耐えられず新人が直ぐに辞めてしまうという問題がありました。そこで私は、新人に対して、仕事内容をわかりやすく記載した「業務ノート」の作成や調理方法の実演を行い、丁寧に指導するように心がけました。その結果、新人が直ぐに辞めてしまう問題は解消しました 続きを読む
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Q.
当社への志望理由を端的に記述してください。(150)
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A.
私が貴社を志望する理由は、「世界に貢献して、日本のプレゼンス力を向上させる」という私の将来の目標を達成できるからです。会社説明会やOB訪問で会った貴社の方の仕事への誇りと責任感に魅力を感じ、様々な技術を持つ企業をまとめ、新しいビジネスを創り出していく貴社でこそ、私の目標を達成できると考えています。 続きを読む
18卒 本選考ES
総合職
18卒 | 慶應義塾大学大学院 | 男性
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Q.
過去の経験の中で、自身にとっての挑戦と、結果を導くためにどのように 行動をしたか記述してください。(200文字以内)
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A.
「映像授業講師(芸能人やモデルがカメラの前で授業をし、全国の中高生にスマホアプリとして配信する)のアルバイトにおいて、人気講師ランキングで1位(58人中)を目指したこと」。現代の男子高生の苦手分野や女子高生の嗜好などあらゆる情報媒体から調査し、「猫の着ぐるみ」を着たまま授業をしたり、難しい単元では「熱く訴える授業」をするなど手段を選ばず愚直に実行した結果、ランキングで首位を獲得することができました。 続きを読む
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Q.
与えられたことでなく、自らの思いで何かを為しえた経験を一つ、 具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
「大学院で行った海外での研究事業の経験」 国内で研究する過程で、大学の1研究室という「規模感と影響力の小ささ」にもどかしさを感じていた。そこで「やるからには世界の研究者と第一線で戦いたい」という想いで、シンガポールにあるアジア屈指の研究機関に単身で訪問し、「共同研究チーム」を結成した。信頼関係の構築から、データの取得を通して、4ヶ月の末、国際論文投稿に成功し世界レベルの舞台で戦い抜くことができた。 続きを読む
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Q.
他人の意見と相違があった際、どのように解決しましたか。 過去の経験談を記述してください。(200文字以内)
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A.
シンガポールでの研究プロジェクトにおいて、シンガポール人特有の「自分の担当だけやればいい」という国柄によるコミュニケーション不足が原因で大きな実験ミスが起きた。私は「互いに共有することが大切」と確信したが、直接価値観を押し付けず「日頃のランチやプライベートの時間を有効活用し、意思疎通を日常化することで自然と議論・共有する環境の構築」に務めた。結果、議論が円滑になり共同研究を成功させることができた。 続きを読む
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Q.
所属組織の活動や、世の中に対しあなたが過去感じた「問題意識」と、 それに対してあなたがとった行動および結果を記述してください。(200文字以内)
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A.
大学2年の春に途中入部した強豪サッカーサークルにおいて,学年を越えた結束の不足が課題と認識。そこで結束を促すべく、まずはピッチ内での意思疎通を円滑にすべく「タメ口」を制度化。また「橋渡し役」という自分ならではの立場で、活動外に「ポジション別食事会」を設け、ピッチ外での学年を越えた意思疎通を活性化。結果、学年問わず阿吽の連携がとれるチームとしてJFA公認の全国大会で3位という偉業の達成に繋がった。 続きを読む
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Q.
当社への志望理由を端的に記述してください。(150文字以内)
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A.
海外での共同研究を通して、現場でチームを結成し、国際論文という形で世に「豊かさ」のキッカケを発信することを魅力に感じ、世界の舞台で豊かさの仕組みを作る総合商社を志望する。中でも、わが子のように自身の案件を語る貴社社員を見て「仕事への熱意と使命感、誇り」を感じた。私はそんな社員と働き切磋琢磨したい。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 早稲田大学 | 男性
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Q.
1.周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。(200文字以内)
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A.
【最後の番人として困難に耐え抜き、挽回のチャンスを作る】 ゼミの研究で取材が上手くいかず、班員の士気の低下が生じたことがありました。 私は自らが突破口を見つけ、班員を牽引しようと考えました。例えば関係者が参加しそうなイベントに何度も参加し、取材を行うためのコネクション作りを地道に行いました。 その結果、次第に取材できるようになり、班の士気を上げられ、ゼミ内の研究発表会でも1位を取ることができました。 続きを読む
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Q.
2.逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。(200文字以内)
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A.
【ピンチを最大のチャンスととらえる】 テニスで、最も基本的な打ち方であるフォアハンドストロークが精神的な問題によって全く打てなくなったことに加えて、左手首を骨折し、戦闘不能になったことです。しかし、私はその状況をフォアハンドストロークをじっくり練習できるチャンスと捉え、仲間の支えを受けながら練習に勤しみました。その結果、3年間苦しんだ精神的な問題を骨折が治る頃に克服することができました。 続きを読む
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Q.
3.過去にあなたが下した最大の決断について、決断までの過程や、その決断に至った理由を具体的に記述してください(200文字以内)
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A.
【挑戦しないリスクより、挑戦するリスクを選択】 ゼミの選考の際に、現在所属するゼミを受験する決断をしたことです。 落選したらゼミに入れないかつ倍率も10倍という状況であったので、確実に入れるゼミを受験するかどうか悩みました。 しかし、「ここで妥協したら絶対に後悔する」と思い、現在のゼミを受験することに決意しました。 そして、失敗にしない為に面接準備やゼミ研究を周到に行った結果、合格することができました。 続きを読む
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Q.
4.自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
自由な発想力を持って、新しい価値を生み出せる人間になりたいと思ったことです。 元々私は論理的思考を好み、ふっ飛んだ思考をすることが苦手でした。 そこで、新規事業立案を行う授業を受けることにしました。そこでは発想法について学べ、日頃から新しいビジネスを考えるなかで、徐々に柔軟に頭を使えるようになっていきました。 最後には、私の新規事業案が優秀賞を得て、発想力に自信を持てるようになりました。 続きを読む
17卒 本選考ES
業務職
17卒 | 学習院大学 | 女性
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Q.
三井物産で業務職として働くことを志望する理由を教えてください。
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A.
貴社はミャンマーで農業機械の販売に本格参入します。農家の所得向上が最重要政策課題とされているなか物流施設を開設することで、貴社は農家の収穫量増加や農業の発展・成長に貢献しています。機械化が遅れ生産性が低いミャンマーにおいて、貴社の物流や調達、マーケティング機能を融合することで、ミャンマーの農業の発展に貢献するなど挑戦と創造を繰り返している貴社の姿勢に感銘を受けました。契約には必ず、社内外会議用などの資料作成や契約後の引き渡しの履行などのサポートが必要となってきます。私の新たなことに前向きに挑戦する姿勢を活かして、経験を積みながら絶えず勉強し、知識を基に身につけた業務の素養を資料作成に反映していきます。所属するゼミ活動で得た、問題意識を常に持つ姿勢を日々の業務に活かしていきます。営業社員の方のスピードと並走しながら、横断的にものごとを見る業務職のエキスパートになりたいと思い志望致しました。 続きを読む
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Q.
これまでに複数の人達と共に取り組んだ経験の中で、深く印象に残ったエピソードを教えて下さい。また、その中であなたが担った役割についても教えて下さい。
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A.
陶芸研究会の部員80人の意識改革です。幹部学年になるにあたり、前年通りの活動では、学園祭における作品の販売目標を達成できないと認識していました。他大学と陶芸交流活動をする事で刺激を受け学内の活動を促そうと思い、複数の大学と連盟をつくり、合同で陶芸合宿やお茶会、展示会を開催しました。交流活動を行っても参加人数が少なかったため部員に聞き取り調査を行うと「毎回同じ人と同じことをする、変化のない定例行事」と思われていた事がわかり、新たに2つに挑戦しました。1活動参加大学を増やした事2展示会で販売活動を行った事です。2ヶ月に1度交流機会を作った事で継続的に刺激を受け、学内の活動が盛んになりました。結果学園祭では、前年と比べ1.5倍増加の40万円を売り上げる事とができました。自分にできることを探し先頭に立って実行する必要性と共に、チームワークを活かして言葉によって周りを巻き込む力を身につけました。 続きを読む
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Q.
今後、三井物産の一員として働く中で最も大切にしたいと思うこと(考え方、行動指針、心構え等)について教えて下さい。
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A.
何に対しても当事者意識と問題意識を持ちながら、主体的に取組むことです。自分にできることを積極的に探して実行し、周りの社員の方と協力しながらチームで成果を残すことが大切だと考えるからです。所属する行政法ゼミでの活動やサークル活動を通して、与えられた環境のなかで自分にできることを先頭に立って実行し、周囲を巻込む重要性を学びました。働くうえで、これらの学びにさらに磨きをかけ新たなことに挑戦していきます。 続きを読む
17卒 本選考ES
業務職
17卒 | 関西学院大学 | 女性
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Q.
当社を志望する理由(400字内)
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A.
私は「自分の強みである責任感の強さを生かせる」と考えたことから御社の業務職を志望しました。私は飲食店でのアルバイトにおいての開店前の準備業務を3年間やり通しました。店内の掃除や食材の搬入といった準備業務は必ず開店前に終わらせる必要があるため大きな責任を伴います。私はその業務を休まずに続ける中で、達成感を得ると同時に日々の積み重ねによって周囲からの信頼を得ることができました。御社は「人の三井」と言われるように個性的な営業の方々が牽引してきた会社だと思います。私は業務職として自身の強みを発揮し、そういった営業の方々を縁の下の力持ちとして支えたいと思っています。 続きを読む
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Q.
学生時代最も頑張ったこと(400字内)
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A.
私が最も力を注いだ取り組みは日韓学生会議の企画・運営です。これは日韓両国から約50名の参加者を募り、1週間寝食を共にしながらディスカッションや観光等に取り組むというものです。その準備段階においては時間と場所の2つの制約がありました。1点目は時間の制約です。平常の授業やアルバイトと並行して、少人数でスポンサーの獲得から施設の確保、料金の交渉、国内外での広報活動、ルート策定、下見まで行わねばならなかったため困難を極めました。2点目は場所の制約です。実行委員の所属大学が全国各地バラバラだったため、一堂に会するのは月に1度のみでした。そのためSNS等でうまくコミュニケーションをとる必要がありました。そういった中で当事者意識を強く持ち、自ら判断・実行し周囲と連携しながら作業を進め、最終的にはプログラムの成功に貢献することができました。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 早稲田大学 | 男性
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Q.
◆1.周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。 (200文字以内)
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A.
大学3年時、170人が所属するアメフト部のチーム幹部に抜擢された私は、チーム力向上の為に、練習を倍増させたが、日本一に導けなかった。4年時、より高い主体性を引き出す為に、以下2点を徹底した。1点目は幹部内での決定事項を全体共有し意見を引き出すこと、2点目は部員の努力への称賛である。それにより、全員が当事者意識を持ち、自ら考え行動するチームへ成長した。結果、5年ぶりの全日本学生選手権準優勝を果たした。(199文字) 続きを読む
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Q.
◆2.逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。(200文字以内)
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A.
大学4年時、チーム内の主将決定選挙で落選した私は、リーダシップの変革に挑戦した。大学3年時、アメフト部で、自分の考えに従わせ、周囲を成長させるリーダシップを発揮していた。しかし、4年時、私は、部員全員が、チーム幹部の決定事項に、納得して行動できる環境を提供するために、周囲と対話を重ね、意見を引き出すことを心掛けた。この経験から、1人1人と誠実に向き合い、周囲から意見を引き出すことの大切さを学んだ。(200文字) 続きを読む
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Q.
◆3.過去にあなたが下した最大の決断について、決断までの過程や、その決断に至った理由を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
人生における最大の決断は、大学院へ進学せず、社会人として、成長する道を選んだことである。大学院で学問の道を究めるのではなく、多様な取引先と交渉を重ねることで、様々な業界の知見を蓄積し、多面的に成長できるフィールドがある総合商社に身を投じたいと考えた。また、1人で行い成果をあげる研究ではなく、1人では成し遂げられない大きなビジネスを、チームで達成する過程での苦労や挑戦を糧に、更成長を果たしたい。(200文字) 続きを読む
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Q.
◆4.自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
大学2年時、関東王者決定戦で大敗を経験した私は、目標の日本一には、忌憚のない意見を周囲から引き出す必要があると考えた。3年時、私は、ポジション内のメンバー15名と面談を実施した。そこで、4年生に対する下級生の不満に気づき、私は、下級生と4年生を繋ぐ、パイプ役となった。それにより、学年を超え理解が深まり、意見交換が増え、実力向上に繋がった。結果、下馬評では圧倒的不利だった強豪に創部史上初勝利を収めた。(200文字) 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 一橋大学 | 女性
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Q.
周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。(200文字以内)
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A.
【予備校のアルバイトで新規生徒入学目標数を達成した過程】私は生徒募集チームの中心として、目標達成には校舎のスタッフ全員が同じ意識の高さで生徒募集に臨むことが必要だと考えました。そこで毎回の勤務の終礼で生徒募集の大切さを意義付けし、体験に来た高校生との面談を任せるスタッフに対して「なぜあなたに任せるのか」理由を話すことで当事者意識を持ちやすくさせ、一人ひとりの意識を高め目標を達成しました。 続きを読む
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Q.
逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。(200文字以内)
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A.
【予備校の担当生徒の成績を上げられなかった時】私は生徒との信頼関係の甘さが原因だと考え、まず悩みを話せるような身近な存在になろうとしました。そこで、生徒の部活や取得講座について情報を集め、それを元に生徒に積極的に話しかけていきました。その中で自分がいかに生徒の立場を理解しようとしているかが伝わり、最終的に生徒の方から悩みを打ち明けてくる回数も増え、成績向上に繋げることが出来ました。 続きを読む
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Q.
自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
【高校時代の吹奏楽部の体制改革】私の所属していた部活動では、楽器のパートと別に係として役割が部員に割り振られていましたが、仕事量の差が激しくうまく機能していませんでした。私は演奏以外の組織としてのまとまりも部活動にとって大事だと考えたため、部員一人ひとりにやりがいと責任感を持って部活動をやってもらえるよう、アンケートを取りながら係改革の原案を作成し、顧問に提示し実行まで行いました。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 神戸大学大学院 | 男性
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Q.
周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。
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A.
全員の息の合った演奏に感動し、その一体感に魅了されバンドを始めた。ある時期私のバンドの関係が悪化した。人に感動を与える演奏のためには全員で一体となる必要があると思い、自分が何をすべきか考えた。ライブ後のアンケート結果によって条件を設定するなど漠然とルーティンにならぬよう様々な案を講じ、メンバー間の架け橋の役割を担い、不和をなくそうと努力した。卒業時のライブでは、アンケートで1位を獲得できた。 続きを読む
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Q.
逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。
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A.
研究において用いる真空ガラスラインは扱う者が途絶えていた。そのため、装置の組み立てから全てが一からであった。まず課題を見出し、他人を巻き込み解決へと努力した。具体的には真空ポンプに関する知識・ガラス細工の技術が必要だと考えた。論文を読んで知見を広げつつ、先輩や教員と議論を繰り返した。時には他研究室の専門技官の方のもとでガラス細工の技術を学んだ。その姿勢が評価され研究室の代表として学会に選出された。 続きを読む
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Q.
過去にあなたが下した最大の決断について、決断までの過程や、その決断に至った理由を具体的に記述してください
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A.
高校の文化祭で、私は1日目と2日目の間にある中夜祭の責任者であった。年々減少する客足が問題視されており、私の担当の年は開催が危ぶまれてた。責任者として企画メンバー議論し、また運営側と学校との間で調整役もこなした。そして学校規模での変革とも言える1日目閉会式を立案した。この閉会式と中夜祭を同じ場所で開催し、客足の増加を期待した。結果は昨年度より大幅に増え、次年度の開催も決定された。 続きを読む
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Q.
自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。
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A.
所属していた軽音楽サークルは閉鎖的かつ向上心が低かった。それが原因で新入生の数が減り、団体として問題されていた。そこで私は他団体のライブに触れ切磋琢磨し合う環境を築きあげるため、6つの軽音楽団体を巻き込みリーダーとして合同ライブを企画・実行した。単なる参加者ではなく1人1人が企画の運営者として携わるよう促し、最終的に参加者は100人を超えた。その夜、全員で味わった成功の喜びは今でも忘れられない。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 一橋大学 | 男性
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Q.
周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。
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A.
私は3年生の時にM&Aに関するビジネスコンペティションに参加しました。そこでは4人で1チームでしたが、1人突然来なくなりました。そこで私は来なくなった学生に自ら会いに行き、データを引き継ぎ新しく分析分担をし直しました。さらに彼が戻ってきた場合の分の発表分担も行い、発表の準備を狂わせないようにしながらも戻ってきやすい環境を作ろうと努力しました。結果的に4人全員で発表する事が出来、優勝する事が出来ました。 続きを読む
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Q.
逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。
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A.
私は米国に留学していた際に大学の寮が閉まり、各自で1か月間寝泊りする場所を探さなければなりませんでした。現地の友達や教授など様々な人から情報を仕入れ自分の状況を細かく説明しました。違法移民でない事など相手の最も気になる事を先に簡潔に説明する等の工夫を行い結果として介護の仕事をしながら宿泊して良いという家を確保する事が出来ました。相手の知りたい事を理解し対話する事が重要だと感じました。 続きを読む
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Q.
過去にあなたが下した最大の決断について、決断までの過程や、その決断に至った理由を具体的に記述してください
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A.
私はゼミに2つ所属しておりSASというソフトを利用して社会心理学と雇用関係について学んでいます。就職活動があるなか普通の生徒の2倍の読書量をこなせるのかという不安もありました。しかし、様々な視点から物事を見た方が新しいアイディアも浮かぶと考えており、その大きなチャンスを逃したくないという気持ちの下にゼミに2つ所属しました。所属する前から半年分の読書ペースの計画を立て、順調に進むように工夫をしました。 続きを読む
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Q.
自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。
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A.
私の家系は代々、大工の家系であり私も本来は大工の仕事を継ぐべきとされていました。しかし、現代においてはたして、それが正しい選択なのかと疑問を感じ始め、仕事を継ぐよりも大学に進学したほうが良いと思いました。そこで職人でも教養が必要な時代であると家族を論理的に説得しました。その際に様々な本を利用するなど工夫をして客観的な事実と主観的な意見を織り交ぜ、結果的に大学進学を許してもらう事が出来ました。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 慶應義塾大学 | 男性
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Q.
周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。(200文字以内)
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A.
ゼミの5人グループで論文を執筆した際、他大学との発表会に参加するため、主体的に問題を解決した。論文のテーマでIPOを扱ったが、未上場企業を分析対象としたため、利用可能なデータに限りがあった。そこで私は、証券会社でIPOを担当しているゼミの先輩にヒアリングを行い、その内容を論文に反映させて説得力を持たせることを提案し実践した。その結果、ゼミ内の3グループで教授から1番の評価を得て、発表会に参加した。(200) 続きを読む
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Q.
逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。(200文字以内)
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A.
冷静に状況を整理し、的確な解決策を提示することで対応してきた。大学で所属する理工学部体育会サッカー部で、試合に勝てない日々が続いていた。先輩方が全国大会で優勝したため、私の代のチームは周囲からの期待やプレッシャーを強く感じ、チームの一体感が失われていることに逆境の原因があると考えた。そこで、チームの一体感を取り戻すため、率先して試合中におけるチームのルールを20個決め、ルールの共有を徹底した。 (198) 続きを読む
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Q.
過去にあなたが下した最大の決断について、決断までの過程や、その決断に至った理由を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
大学3年間をかけた「学部認定数学強化プログラム」の取得を志したことだ。学部で1%未満しか取得者のいないプログラムだったが、勉強に目標を持って取り組みたいと考えたため取得を決意した。当初、文系では敬遠されがちな数学を大学に入ってまで扱う事に抵抗を感じた。しかし、敬遠されるが故にプログラムを取得すれば周囲と差別化できる点にメリットを見出すことで、強い信念を持って決断することができた。 (191) 続きを読む
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Q.
自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
ゼミに入った当初、周りに圧倒されて何も発言できず、学部長ゼミに入ったことに満足していた自分に焦りを感じ、変化が必要だと感じた。それ以降ゼミ内で発言することを目的に改善を試みた。具体的には、的確な意見を言える先輩の真似をすることや、教授にダメ出しをしてもらうこと、発表のメモを積極的にとって議論の流れを掴むようにするなどの工夫をした。その結果、的確な意見をいえるようになり議論に参加できるようになった。 (200) 続きを読む
17卒 本選考ES
業務職
17卒 | 東洋大学 | 女性
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Q.
三井物産で業務職として働くことを志望する理由を教えてください。(全半角300文字以上400文字以内)
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A.
強みを活かして働くことができるからです。企業と企業を繋げて新しい価値や企業の在り方を見出していく商社という仕事に、強く惹かれました。企業同士を出会わせることで新しい何かを生み出していくということは、日本や世界を魅力的にするのにとても重要なことだと考えています。そして貴社の業務職の方々が担当職とペアになり、一緒に解決していき、どれだけ豊かな仕事ができるかを真面目に考えて仕事をしている、そうおっしゃる姿に憧れました。私は昔から組織のために一生懸命考えたい、動きたいと思って行動してきましたが、それはリーダーではなく一歩引いたところから全体を見渡せていたからこそ出来たことでした。気配りや周りを見ながら行動することを得意とする私は、業務職で力が発揮できると感じました。自身の仕事を全うしてスキルアップを目指すのは勿論、視野を広く保ち、常に「周りのため」という気持ちを忘れず仕事に取り組んでいきたいです。 続きを読む
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Q.
これまで複数の人達と共に取り組んだ経験の中で、深く印象に残ったエピソードを教えてください。また、その中であなたが担った役割についても教えて下さい。(全半角300文字以上400文字以内)
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A.
高校で所属していたダンス部のお話です。3年の6月に開かれる私立高校の創作ダンス大会がこの部活動の最大の行事でした。部員は女子のみ約60人。今までは幾つかの少人数グループに別れて創作していましたが、この大会は3年生だけが、学年で1つのグループとなって活動しなければならない唯一の行事でした。3ヶ月という短い準備期間でテーマ決めから振付、衣装作りまでを行いました。苦労したのは対立を最小限にし、団結すること。仲の悪い人同士もいる、その状況下でそれを乗り越えるために私ができたことは、メンバー皆と沢山話し、人と人とを結ぶことです。テーマ決めでは、まずは抽象的な意見を沢山出してみることで皆が重ねて意見を言い出しやすい環境を作りました。ようやくテーマが決まり、振付段階では意見の相違による陰口なども生じましたが、私は色々な人と話しながら情報収集をし、折衷案が見つかるように皆の仲を取り持つ役割を果たしました。 続きを読む
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Q.
今後、三井物産の一員として働く中で最も大切にしたいと思うこと(考え方、行動指針、心構え等)について教えて下さい。(全半角200文字以内)
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A.
コミュニケーションと実行力を大事に働いていきます。仕事は1人ではできません。組織、グループ、チーム、ペア、どれも人と関わり合っていくことによって初めて成り立つものです。コミュニケーションとは必要不可欠で基本的なことでありますが、成長する上でも最も大事なことです。自分に求められるものを素早く素直にキャッチして実行していくことが成長に繋がります。貪欲に成長し続け、貴社の「人のために」働き続けたいです。 続きを読む
17卒 本選考ES
業務職
17卒 | お茶の水女子大学 | 女性
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Q.
三井物産で業務職として働くことを志望する理由を教えてください。(全半角300文字以上400文字以内)
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A.
私の強みである、人と話すことが好きで、コミュニケーションを取ることが得意である点や、協力し合い状況に気を配りながら物事をやり遂げる経験が豊富であることが活かせると思うため志望する。大学時代には、リーダーとして、時には調整役として協力してイベントやサークル活動をやり遂げた経験を持つ。そのため、チームで共に物事に取り組む難しさや楽しさ、やり遂げた時の充実感も味わった。日本を代表する商社である貴社の世界各地での大きな成果は、第一線の優秀な人材の力とそれを支えるバックオフィスの力が合わさったチームワークの結果であると思う。バックオフィスでは、状況を察知して素早くサポートできるように気働きや積極的なコミュニケーション力が求められると思う。またチームワークがうまくいくと、個人の持つ力の何倍もの効果が得られることも、醍醐味であり面白さを感じる。貴社でチームの一員としてその醍醐味を味わいたい。 続きを読む
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Q.
◆2.これまでに複数の人達と共に取り組んだ経験の中で、深く印象に残ったエピソードを教えて下さい。また、その中であなたが担った役割についても教えて下さい。(全半角300文字以上400文字以内)
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A.
起業家と企業のビジネスマッチングイベントを作る授業に学生45人のリーダーとして参加したことだ。起業家の働き方を知る機会であり、主体的に関わりたいと思いリーダーに立候補した。学生は4グループに分かれて準備を進めた。どのグループも、グループ「内」の情報共有はできていたが、グループ「間」はできていなかった。授業という制約があり、直接話す機会が少なかったため、私はSNSで情報共有に取り組んだ。直接会う時には、「人と話すことが好きで、相手の顔、会話の内容を覚えていられる」という私の特性を活かし、メンバーを観察し、各々の性格に合った声掛けをした。グループ「間」の情報共有もできたため、イベント当日は全員が、自分の仕事だけでなく、他の人の仕事も理解し助け合うことができていた。団結して共同作業を行うには、全員の意志疎通と、自ら率先して動き信頼を得ることが重要だと学んだ。 続きを読む
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Q.
今後、三井物産の一員として働く中で最も大切にしたいと思うこと(考え方、行動指針、心構え等)について教えて下さい。(全半角200文字以内)
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A.
私の強みであるコミュニケーション能力、向学心を活かし、営業部門のパートナーとして働き、誰からもプロフェッショナルであると認められ、周囲から信頼される存在になりたい。そのためには(1)正確で迅速な業務遂行(2)受け身にならず、様々な分野にアンテナを張り、自ら情報収集をする(3)周囲とのコミュニケーションを欠かさず、情報共有がしやすい環境作りをする。この3点を意識して働いていきたい。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 早稲田大学大学院 | 男性
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Q.
周囲と協力して目的を達成する過程において、あなたがとった具体的な行動を記述してください。(200文字以内)
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A.
主体的に学問に取り組みたいという考えの基、私は大学院で新しい研究テーマに挑戦することを決意した。しかしゼロベースでのスタートだったため、実験装置を作り上げる必要があった。装置作製には、教授とベンダーとの連携が不可欠だと考え、教授と何度もコンセプトを摺り合わせ、予算をもらい、ベンダーの技術担当と密に連絡を取り合いながら装置の設計・製作を行った。この結果、予定通りに所望の装置を完成させることができた。 続きを読む
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Q.
逆境に直面した時、あなたはどのように対応してきましたか。具体的なエピソードを踏まえて記述してください。 (200文字以内)
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A.
学部4年次に卒業研究に取り組んでいた際、周囲の同期が各々順調に研究を進める中で、私は思い通りの実験結果が得られず焦燥感に駆られていた。しかし焦っても仕方がないと楽観的に捉え、洗い出した問題点を先輩に徹底的に聞き、つぶさに解消することだけに集中した。結果、論文提出までに所望の実験結果が得られ、またこの経験から逆境を楽しむ姿勢を身につけた。 続きを読む
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Q.
過去にあなたが下した最大の決断について、決断までの過程や、その決断に至った理由を具体的に記述してください (200文字以内)
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A.
私が下した最大の決断は、大学院進学である。決断理由は、主体的に学問に取り組みたいと考えたからである。大学までの学習は、受動的で自主性が重んじられるものであった。一方大学院は、自身が主体となって研究する姿勢が求められる。つまり主体的に動かないと大学院では何も得られないし、逆に、主体性を養う場として大学院は最適である。社会人に不可欠な主体的行動力を、社会に出る前に身につけたいと考えたため決断に至った。 続きを読む
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Q.
自分自身や所属組織に変化が必要だと感じたことはありますか?その理由とあなたがとった行動を具体的に記述してください。(200文字以内)
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A.
所属研究室では当初、個人作業に没頭する人が多く、室内の交流が希薄であった。盛んな交流が各々の研究に良い影響をもたらすと考え、新たなスポーツイベントを企画した。研究室対抗のソフトボール大会での優勝を目標に、野球経験者の同期と協力して練習メニューを考案し、各々の予定に合わせてグラウンドの予約を取り、活動を先導した。この取り組みが奏功し、大会では準優勝、加えて研究室内のコミュニケーション向上が実現した。 続きを読む
17卒 本選考ES
総合職
17卒 | 早稲田大学 | 女性
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Q.
三井物産 世の中にあるものやサービスを繋いで新たな価値を生み出し、日本の人々の衣食住のいずれかを豊かにするアイディアを説明してください。〜800字
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A.
「地方を拠点とした中小企業」と「高級バス」サービスを繋げ、「快適な通勤時間」を生み出すことで「地方に住んだり、地方を訪れる人の生活」を豊かにできる。現在、地方が人や企業を呼び込もうと様々な取組みをしているが、地方再生や安い家賃のために中小企業の誘致が成功しても、社員が都市から通したくなければ本末転倒である。そこで都市の主要な駅から地方を繋ぐ高級通勤バスを運行し、長い通勤時間を、読書や自分の趣味の時間に充て、「朝活」として有意義に過ごせれば、社員も心地よく地方で過ごせると考えた。 高級バスの料金は社員が一部出し、他を浮いた土地代を用いて企業が賄う。高級バスはコストが高いため、1日に何本も出すことができない。社員は定時にバス停に到着しなければ、自腹をきって他の移動手段で出勤するしかないため、遅刻の減少につながる。同じ問題で帰宅時間も揃えなければならないが、それによって残業をゼロにすることが出来るのではないだろうか。どうしても残ってしまった仕事はバス内でするという手もある。毎日利用することでバス会社は安定した利益を得ることができ、バス内で飲料や軽食を販売したり、ネイル・マッサージなどのサービスを提供できればそれによる利益も出るだろう。 また地方に住む人の暮らしを便利にするため、社員を会社に送った後は、ラゲッジスペースに乗せておいた生活必需品などの物品を移動販売する。または、献血車のように簡易的な医療機器を載せておき、移動診療所として利用出来れば、高齢者が都市にある病院に行きづらいという問題を解決できる。会社が長期休暇の場合は海外旅行客などを地元の宿まで乗せれば地方活性化、宿泊施設不足解消の糸口になるだろう。 将来、地方により多くの中小企業が進出すればコスト削減や運行本数を増やせる。自動運転や電気を動力にしたバスが理想的だが、日本の技術発展を待ちたい。 続きを読む
三井物産の 会社情報
会社名 | 三井物産株式会社 |
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フリガナ | ミツイブッサン |
設立日 | 1947年7月 |
資本金 | 3414億8200万円 |
従業員数 | 53,602人 |
売上高 | 13兆3249億4200万円 |
決算月 | 3月 |
代表者 | 堀健一 |
本社所在地 | 〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目2番1号 |
平均年齢 | 42.3歳 |
平均給与 | 1899万円 |
電話番号 | 03-3285-1111 |
URL | https://www.mitsui.com/jp/ja/ |
採用URL | https://career.mitsui.com/ |
NOKIZAL ID: 1130324