16卒 本選考ES
総合職
16卒 | 早稲田大学 | 男性
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Q.
1)学生時代に特に力をいれたことの中で、あなたの強みが最も活かされたエピソードを、具体的にご記入ください。※400文字以内
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A.
大学3年次、約300名が参加する関東学生マーケティング大会の運営代表を務めた。その中で“大会のルールが十数年変わらないこと”や“毎年特定チームが受賞していること”が原因で、参加学生・協賛企業双方のモチベーションが低下していると感じた。そこで私は30名の運営チームを率いて大会の活性化に挑戦した。当初、チームの中にはやる気が無く非協力的な人もいた。しかし代表である自分が常に率先して企業訪問などの行動を起こし熱意を見せることで、次第にそうした人も協力をしてくれるようになった。そしてチーム一丸となり、審査員の方へのヒアリングや賞の増設等、例年とは異なる取り組みを多々行った。結果、例年と異なるチームが多く受賞し協賛企業の方からも「大会に新しい風が吹いた」との評価を頂く等、企業・学生双方の満足度の向上を達成した。この経験から、周囲の信頼や協力を得る為には、言葉だけでなく行動に移すことが大切だと学んだ。 続きを読む
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Q.
2)あなたの人生で最大の困難や挫折は何ですか?また、それをどのように乗り越えたのか、具体的なエピソードをご記入ください。※600文字以内
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A.
人生最大の挫折は、高校サッカー部の最後の大会でキーパーのレギュラーを取れなかったことだ。中学時代はキャプテンを務めており、高校2年までもコンスタントに試合に出場し続けていたが、ある時、同期のキーパーにレギュラーを奪われ試合に出ることができなくなった。その時人生で初めて試合に出られないという経験をし、強い挫折感を覚えた。その後はレギュラーを奪い返すために、【毎日の練習後の、1日2時間走り込みなどの自主練】や【自分の不足点を積極的に顧問に聞き、練習に活かす】という取り組みを継続的に行った。しかし、レギュラーを獲得することはできず、最後まで試合に出ることができなかった。初めは人生最大の努力が報われなかったことや、レギュラーを奪われるまで本気になることができなかった自分に憤りを感じた。しかし顧問や同期から引退の際に、「最後は誰よりも努力をしていて、その姿は周りにも刺激になった」との言葉をいただき、結果に結びつきはしなかったが努力は無駄ではなかったと思うことができた。そして二度とこうした後悔をしないために、一つ一つの活動に本気で取り組もうと考えるようになった。その後は大学受験や、よさこいサークルでの活動、関東学生マーケティング大会の運営代表など全ての活動に対して、最後まで全力で取り組むことを徹底した。この経験より、「どんな状況に置かれても、最大限の努力を以ってやり抜く」ことの大切さを学んだ。 続きを読む
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Q.
3)あなたが当社でチャレンジしたい事、実現したい夢など当社を志望する理由を自由にご記入ください。※600文字以内
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A.
街づくりを通して地域の活性化に貢献したい。幼少の頃地元である兵庫県明石市に明石海峡大橋ができた際に、橋の完成により人の移動が盛んになり、それに伴い活性化していく地元の雰囲気を目の当たりにし、幼いながらに興奮や感動を覚えた。人と人、都市と都市とを繋ぐ拠点を作ることで、そこに人々が集まり社会が活性化し、次世代へと継がれていく。このような街づくりを、コンセプトの策定から実行まで一貫して行うことができるデベロッパーに魅力を感じた。中でも貴社は住宅から商業施設、オフィスビルやリゾート施設など幅広く事業展開しているという点で、様々なアプローチで地域の活性化に貢献できると考えた。また二子玉川再開発のような、ただ新しい建物や人気の建物を作るのではなく環境やその土地の持つ歴史等も考慮し、その土地に調和するように開発していく街作りにも魅力を感じた。このように地域に密着した開発を行うことで、長期的な視点でそこに住む人々の安心や幸福を追求することができると考えた。街に今ある風景や文化を残しながら、より安全で安心できるように開発し、街に新たな価値を生み出していく。また開発して終わりではなく、その地域のコミュニティが活性化されるようなエリアマネジメントも行っていく。そして建物を拠点に人と人とを繋ぎ、そこに住む人、働く人、訪れる人全員が垣根なく交流できる活気ある街を作りたい。このような街作りを貴社で実現したい。 続きを読む