22卒 本選考ES
総合職
22卒 | 立教大学 | 男性
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Q.
東急株式会社に入社してチャレンジしたいことと、そのように考えた理由を教えてください。(300字以内)
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A.
偶然体験を創出できるタウンマネジメントに挑戦したい。私は社会に出て、人々の暮らしに感動をもたらしたいと考えているが、人の感動は偶然から生まれると日々感じている。私は旅行好きだが、一番思い出に残るのは、偶然素晴らしい音楽に出会ったり、一期一会があったときだ。ゆえに、どんな人でも食わず嫌いせずに繋がりを築くという自信の強みを活かし、異業種の人とも関わりながら、人々が偶然体験をできるイベントを開催したい。特に二子玉川ライズは、偶然を体験できる土壌がある。そうした環境下のタウンマネジメントで、あらゆる世代・国、全ての人々の人生に感動をもたらし、ゆくゆくは偶然体験を創出できるハードづくりにも挑みたい。 続きを読む
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Q.
あなたが大学時代に周囲と協力して挑戦した経験について、ご自身の行動と担った役割を含めて教えてください。(400字以内)
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A.
私は自動車事故対応コールセンターの学生部署で、新人研修講師8人の責任者として働いている。その中で、入社3か月以内の新人離職率を33%から0%にするため、講師陣で改革を行った。私たちは、新人に「お客さまのニーズを把握し、貢献する」という業務の楽しさを伝えて、定着率を上げるため、2つのことに取組んだ。1つ目は、講師がお客さま役をするロールプレイング研修で、マニュアル記載外の質問を新人に投げかけることで、新人がマニュアルに頼らず、顧客の意図を把握しようとする効果を狙った。2つ目は、研修開始前、各新人の特性を把握するために、必ず意見交換の会合を実施することである。半年間継続した結果、新人は機械的に業務をこなすのではなく、お客さまに貢献する業務のやりがいを知り、離職率も0になった。アルバイトとしても、制度改革に取組んだことによって、どんな立場であっても現状に甘えず、進歩に挑戦する意義を学んだ。 続きを読む
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Q.
あなたの人生のモチベーショングラフを作るとしたときに、一番山となる経験を詳しく教えてください。また、その経験が今の自分にどのように繋がっているかを教えてください。(400字以内)
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A.
高校3年時の部活動で、ケガから復帰した後である。私は春の公式戦前に学校行事で負傷してしまった。練習試合では後輩にスタメンを取られ、焦りを感じたが、負傷時にできることは、アドバイス等の声だしに全力を注ぐことだった。しかし、試合を外から見ているうちに、私のチームでの役割は「チームが悪い空気のときこそ先陣を切って盛り上げること」だと自覚した。ケガ明けに出場した試合では、仲間のシュートが外れれば、誰よりも先にリバウンドに飛びつき、悪い流れならば、攻めのスティールを徹底した。それ以後、私は自分の技術向上だけを考えるのではなく、チームの一体感を考えて練習・試合に臨んだ。ミーティングでも意見が衝突すれば、取次役を積極的に行った。最後の公式戦は敗退したが、チームの成長に貢献した日々は、とても充実していた。引退して以降も、組織で軋轢や停滞が生じたとき、チームのために何ができるか考えて行動するようになった。 続きを読む
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Q.
あなたの人生のモチベーショングラフを作るとしたときに、一番谷となる経験を詳しく教えてください。また、その経験が今の自分にどのように繋がっているかを教えてください。(400字以内)
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A.
塾講師のアルバイトで、1年目に担当した生徒の、6人全員が第一志望群に合格できなかったことである。私は大学受験の文系科目を担当していた。生徒と良好な関係を築き、自分の指導法にも自信があったが、誰も合格できなかった。原因は、生徒との慣れ合いになってしまい、生徒に対して、合格のために必要な厳しい言葉を投げかけられなかったことだ。私は、2つの新たな指導法を実践した。1つ目は、中間目標を提示し、必ず達成するよう促すことだ。ただ厳しく促すのではなく、目標の設定意義も意識して伝えた。2つ目は、他教科講師との連携だ。生徒の現状を正確に直視し、合格へのプロセスをチームで作成することで、甘えを許さない環境を作った。結果として、翌年は担当生徒全員が合格した。塾講師には生徒の人生を預かるという責任があった。私はこの経験で、自身の責任を自覚し、当事者意識を持ち、その場しのぎではなく、未来志向で考えるようになった。 続きを読む