正月、農家の一人息子として誕生。たくさんの夢を持ってほしい、世界で通用する人間になってほしい、との思いからと名付けられた。大学4年現在、夢はたくさんあるが英語は苦手。
農村の保育園に入園。園児が5人しかおらず、何をやっても1番だった。
田舎にある学年40人ほどの小学校に入学し、人の多さに驚いた。かけっこも勉強も勝てなく、小さな挫折を経験した。
「働くことの大切さを教える」という両親の考えで、農作業を手伝った分を給料としてもらった。秋には腰を痛め泥まみれになりながら斜面に埋まる人参を抜き、芋を入れた10キロを超える袋を引きずりながら車まで運んだ。日本有数の豪雪地帯であるため、夜中に叩き起こされハウスが潰れないよう除雪することもあった。これにより根性や忍耐強さを培った。
野菜の直売を手伝うようになった。お客様には可愛がっていただき、多くの人とふれあうことで親和力が身についていった。
サッカー部に入部し、休日にはバスがないため10㎞近い山道を自転車で越えて練習に向かった。先輩の引退後は主将になり、毎日練習後に行われる20本のインターバル走では誰よりも前を走り大きな声を出すことで部員を鼓舞した。
毎日10㎞の道のりを自転車通学するようになった。後に「青い家」という有名な心霊スポットを通っていることを知り、さらに遠い道を使うことになった。
陸上部に入部し、体力を生かして長距離を始めた。自信を持って臨んだ2年夏の大会では自分1人地区予選で敗退し、悔しさから猛練習をすることで秋の大会では北海道大会出場を決めた。先輩の引退後は長距離部長となり、全員での北海道大会出場を目標とした。部員を引っ張り、時には支えられることで、高校最後の大会で目標を達成した。
すすきのにある寿司屋で接客の仕事を始めた。直売所で培った親しみやすさ、相手の目線に立つ力を生かし、「接客が気持ちいい店」として人気を高めた。企業の重役の方とも話す機会が多く、非常に勉強になった。
バレーボールサークルに入った。レベルの高いサークルに未経験者として入ったため苦戦するも、休日も練習に付き合ってくれた友人のおかげで上達し、サブとしてではあるが試合に出場して優勝に貢献した。だが目標はレギュラーとして優勝することであるため、現在は「最も輝く瞬間」に向かい、新たな武器を磨くなど特訓中。
貴社に入社し営業に配属される。失敗も少なくないが、体力と根性を生かし多くの経験を積むことで、徐々に成長する。
5年目には営業企画となり、受け持った地区で貴社のシェアがトップに。合併した影響が大きく出始め、全国的にシェアが伸び上位2社に肉薄する。
7年目以降はマーケティングに配属に。営業の経験を活かし、マーケティング部で新商品の開発や、宣伝部で効果的な広告を打ち出していくことで、日本飲料業界トップシェアに貢献する。
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