私は、がんなどの治療で切除した腸管を繋ぎ止める(腸管吻合)、医療用フィルムを研究している。腸管吻合は通常、病巣切断後に腸管の端部同士を針と糸で縫合することで実施されるが、縫合不全により腸内容物が腹腔内に漏出し、深刻な合併症を引き起こす場合がある。そこで、針と糸に代わる、より簡単に切断部を被覆・固定できる粘着性のシートやゲルなどの素材が開発されてきた。ところが、接着性能や生体との親和性(生体適合性)が不十分であったことなどから、縫合不全や炎症反応を引き起こしてしまう等の問題があった。これらの問題を解決するためには、消化時の腸管の運動に耐え得る強固な接着力と柔軟性を兼ね備えた、生体と親和性のある材料が必要となる。一方本研究室では、厚さがわずか数百nmの高分子超薄膜「ナノシート」を開発中であり、薄さに由来する優れた接着性と柔軟性を有することが先行研究により明らかになっている。本研究では、このナノシートを腸管吻合に応用するべく、材料となる高分子の選定やシートの作製・物性評価から、動物実験による有効性の評価まで、一通りの検討を行っている。ところが、実際に切断したラットの腸管に単独のナノシートを貼り付ける動物実験では、内側からの圧力や腸の動きに耐えられずに剥離してしまい、中身が漏出してしまうことが明らかになっていた。そこで現在は、さらに接着力向上を実現するため、近年研究が進められている接着性高分子「ポリドーパミン」に着目し、これをシート表面に修飾することで接着力の向上を試みた。直近では、コロナ禍で研究室が閉鎖されてしまったのだが、自宅でもできることはないかと考え、可能な範囲で修飾方法を変えながら100個を超えるサンプルを作製し接着力の検討を行なった。論文の精読と実験を重ねた結果、触媒やマイクロ波を用いることで、より短時間で接着力を約10倍向上させることに成功した。尚、先行研究からこの生体接着性はポリドーパミンが有するヒドロキシ基に由来することが分かっている。すなわちポリドーパミンを構成する、カルボキシ基を有するキノンと、その還元体でヒドロキシ基を有するカテコールの割合に大きく影響されるということである。これを踏まえ、今後はドーパミン溶媒に水酸化ナトリウム等の求核試薬を加え、キノンからカテコールへの還元を促進することでヒドロキシ基を増加させ、シートの接着力向上を目指したいと考えている。さらに、引き続き強度や耐圧性能を検証し、再び動物実験にて有効性を調べ、ナノシートの腸管吻合用材料としての実用化を目指す。
本研究を通して、生体材料に対する知識や実験技能の習得だけでなく、積極的に新たな手法に挑戦し粘り強く取り組むことの大切さを学んだ。また、教授や医師、企業の方との数多くの議論や研究報告を重ねることで、異なる立場の方の意向を汲み取り、分かりやすく物事を伝える能力も向上させることができた。昨年には、ナノシートの細胞レベルでの安全性を検証するため、ドイツ・ボン大学の免疫学を専門とする研究室にて研究留学に挑戦した。そこで、新たな実験技能や知識だけでなく、異なるバックグラウンドを持つ海外の研究者の考え方も学ぶことができた。このように、研究を通して様々な立場の人とのコミュニケーション能力を磨き、多角的な視点を養うことができた。
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